短編小説集【恋する20世紀】#5 暗号もしくはラブレター
N市発気まぐれ電車 #5 暗号もしくはラブレター
場所は、そうだな、雑踏の中。だからS通り。横断歩道の信号が青に変わって、人なみが動き出す瞬間。時間は、そう夕方6時頃。
君の耳もとで、スキダヨ。
あるいはK川ぞいの喫茶店。外は雪がチラついて。向こう岸の道路を走る車がボンヤリとかすんで見える。窓ガラスがくもってきたせい。君は外を見ようと、指先をガラスに近づける。と、すかさずぼくは、指で字を書く。
スキダヨ。
とまあ、こんな具合にいろいろと筋書きは考えてみたのだ。それこそ君を初めて見たとき以来。
最初に君と出会ったのが、去年の今ごろだから、もう1年前のこと。そろそろ決着をつけなきゃ。いつまでもオトモダチでいるわけにもいかないだろうし。けれど、君の答が絶対にYESであるとは限らないし…。
そんなこと考えてるあいだに、電車はS駅のプラットホームにすべりこむ。今日は3講時が終わったら、学校の近くの本屋さんで君と待ち合わせ。それまでに何かいい手を思いつくかな。
教室に入ったら、バッタリ杉田とハチあわせ。
----よお、ひさしぶり。どうした? うかない顔して。色男がだいなしだよ。
と、ぼくの顔を見るなり彼。
----まあね。忍ぶれど色に出にけりわが恋は、てとこかな。
と、ぼく。
結局、講義サボッて喫茶店へ。杉田と出会うと、いつもこうなる。けど、今日はちょっとした収穫。「近ごろ推理小説とか暗号とかに凝ってるんだよ」という彼の言葉でひらめいた。
3講時が終わって、杉田と別れてぼくは、待ち合わせの本屋さんに。君はどういう風のふきまわしか(いつもは雑誌を立ち読みしてるのに)法律書のコーナーに立っていた。
行きつけの喫茶店に入って、とりあえずコーヒー。いつものようにバカ話。夕暮、K駅前で電車に乗る君を見送った。
別れぎわにぼくは、1枚の紙切れを手渡した。
----友だちに推理小説マニアがいてね。いま暗号文に凝ってるんだよ。これ、解いてみてくれない?
その紙切れには、チャチな暗号文。
(月刊京都かわらばん1978年2・3月合併号掲載)
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