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軽井沢で『マラソン』を走る(序) " 旅先で『日常』を走る ~episode47-①~ 長野編 "







前回のあらすじ


〜 普天間で『国境』を走る 〜

“ そういえば、祖国を離れ、軍人として異国で任務につくストレスはどれほどのものなのであろうか? そんな、今まで考えてもみなかった疑問が、ふと脳裏をよぎった。どうか、ここに暮らすすべての人たちがお互いの存在を尊重しあって、いつまでもこの平和な光景が続きますように。”

軽井沢で『マラソン』を走る(序)


 ▪︎ 2019年の軽井沢ラン

2019年の梅雨頃のことだっただろうか? 私が参加しているPLANETS CLUB内で、その年の10月に行われる『軽井沢マラソン』にメンバーのみんなで参加しよう、という企画が立った。
私はその前の年の10月に走り始めたばかりの新参者であった。それでも5kmくらいなら苦もなく走れるくらいには上達していたので、「走り始めてちょうど1年のタイミングで、ハーフマラソンに初チャレンジしてみるか」と一念発起し、大会にエントリーした。

来たるハーフマラソンに備え、私は走り込みを強化した。7月からは週5回、10kmを走る目標を立てた。しかし、この年の梅雨はなかなか明けず、走れるような天候の日は貴重だった。思うように走る機会を作れず、私は気が焦り気味だった。
7月17日水曜日。降り続いた雨は夜になってようやく止み、私は「このタイミングを逃すものか!」と、手早く身支度を整えて走り始めた。2kmほど軽快なペースで駆け抜け、いつも走っている洗足池公園に差し掛かった。池の周囲は電灯が少なく、雨上がりでぬかるんだ路面の状態を測る術は、シューズ越しに足裏に伝わる感触だけだった。

確かにそこはピンポイントで日当たりが悪く、一年中泥濘んでいるような場所だった。いつもなら大事を取って、舗装された脇道にルートを変更するはずだ。しかし、この日は気が焦っていたためか、そのポイントに思いっきり体重を掛けて足を踏み込んでしまったのだ。
案の定盛大に尻餅を突き、衝撃を緩めようと突いた左手の手首を骨折してしまった。ひとまず公衆トイレまで這々の体で向かい、自分の身体に付いた泥を洗い流し、そのまま駅前の交番に駆け込んで助けを求めた。結局救急車で近くの救急病院に搬送され、翌週に入院・手術・リハビリとなった。

それでも、軽井沢マラソンを走る目標はまだ捨ててはいなかった。私は、退院した翌々日から何事もなかったかのようにクラブのランオフに参加し、二次会のBBQではひたすら肉を炭火で焼き続けた。しかもプロテクターを嵌めている左手で(なにを隠そう、私はサウスポーなのだ)。なにしろ、3ヶ月もしないうちにハーフマラソンを走らなければならないのだ。

しかし、10月上旬に歴史的な超大型台風が日本列島全域に襲来した。この台風によって軽井沢一帯は多大な被害を被り、軽井沢マラソンは開催目前で急遽中止となってしまった。
それでも、走る気満々でスタンバッていた我々は諦めきれなかった。クラブのランオフを、マラソンが予定されていた同日に軽井沢で開催することにした。

2019年10月19日。
本来なら軽井沢マラソンが開催されていたはずの日曜日。私は9時頃に東京駅を出発する長野新幹線に乗り込んだ。高崎を越えたあたりから、車窓の風景がのどかになっていく。青い空と白い雲、そして蒼々とした山々が続く。

待ち合わせの10:30に余裕を持って、私は軽井沢に到着した。すでに総勢20数名の参加者の多くが集結していた。マラソンは9:00スタートの予定だったので、前泊の宿を手配していたメンバーが多かったようだ。
これまであまり積極的にクラブのオフ会には参加していなかったので、はじめましてのメンバーも多い。私は会う人会う人にのべつまくなしに『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の名刺型カードを配り続けていた。なぜなら私はクラファンでこの映画のアンバサダーになっていたからだ。これも重要任務のひとつだ。

駅のトイレで着替えコインロッカーに荷物を押し込んだら、駅前の広場に集合して準備体操を行う。体操を侮ってないけない。怪我を防ぎ、末長く走り続けるためには省略できない、重要な工程なのだ。

では、身体もほぐれてきたところで、ランオフのスタートだ!

駅前から1kmほどは、市街地を道なりに進んで行く。年季の入ったランナーから私のような初心者、さらには見学のみという猛者たちまで、モチベーションにはかなりのグラデーションがある。この自由さが我がクラブの良いところだ。

しばらくして、緑豊かな別荘地に差し掛かる。ここからは周囲の景観を堪能しながら進むので、ペースは自然とゆっくり目になる。

私は前方に位置取り、近くを走っているメンバー(I川さんなど)とたわいもない会話を交わしながら進んだ。一昨日の夜、コーチに正しい走り方のレクチャーを実地で受けた上で参加したので、無意識のうちにスピードが上がる。というか、減速の仕方がわからない 笑。さすがにそんなことまでコーチに教わろうという発想は浮かばなかったのだ。

観光地に出たところで、一行は小休止となる。

この通りが軽井沢一の繁華街らしいが、さすがに台風が一過した直後だけあって観光客の姿はまばらだった。我々もボランティアをするという選択肢もあったのだが、こうして復旧作業を邪魔しないかたちで地域にお金を落とすことも必要だという強い意志によって、あえて全力で大人の遊びを決行したのだ。

休憩後は駅に向かう。別荘地に走る道を駆け抜けた。

ゴールまで残り1kmほどの地点にある交差点で信号待ちをしていると、突然右側から人の気配が近づいて来た。
部長!」 (正式には当時まだランニング部の部長ではなかった現)部長が、こんなところから合流して来たのだ。どうやら乗って来たバスが渋滞につかまってしまい、遅れてしまったようだ。ともあれ、なんとか間に合って良かった。
こんな感じで、当初予定されていたマラソンコースよりはかなり縮小されたルートだが、7kmほどのコースを我々は楽しんで走った。

ゴールはスタート地点と同じ、軽井沢駅前だ。戻って早々に、H氏とAしのさんが売店に入ってなにか買い物をしている。戻ってきた二人の手には、缶ビールが合計3本持たれていた。
「大野さん。はい、これ。」 ちょっとなにを言っているのかわからないが、私は反射的にそれを受け取った。「はい、チーズ📸」

この写真は後日、クラブ活動報告の記事に引用された。こんなおっさん達の緩みきった写真でも、お役に立てるのならばどうぞご自由にお使いください。

ランニングの後はバスでタリアセンに移動して、

BBQのランチを堪能した。
もちろん、肉を焼く係は私が譲らない。

締めは、星野リゾートの立ち寄り湯で1日の疲れと汗を流しきった。

そして、軽井沢駅前で東京方面に戻って行くほとんどのメンバーに別れを告げ、長野方面行きの新幹線に飛び乗った。

私は有給休暇をガッツリと使って、これから北陸方面に向かうのだ。台風の被害により新幹線の線路が寸断されているが、長野在住のメンバーN島さんから第三セクターが運転をなんとか再開したとの情報を入手した。おかげ様で高崎に一旦戻ってから新潟経由という遠回りルートを使うことなく、無事に予定通り今日中に富山駅までたどり着けるようだ。ひと安心。


 ▪︎ 「軽井沢のB面」こと横川を走る

「来年こそは軽井沢マラソンを走ろう」、口々にそんな言葉を交わしつつ、2019年の軽井沢ランオフは解散した。しかし、年が明け2020年になると、程なくしてコロナ禍が世界中を席巻した。
そんな状況下で私は、軽井沢とは碓氷峠を挟んだ向かい側に位置している横川(群馬県)に走りに行った。

2月のある朝、ワイドショーで横川名物の『塔の釜めし』が取り上げられていたようで、Twitterのトレンドに上がっていた。それをたまたま見かけた私は、ちょうどその日が休日だったので思い付くまま横川に向かったのだ。

近所で散髪を済ませたら、もう時刻は13時を回っていた。冬場は日も短いし、急いで向かおう。

JR線を高崎駅で乗り継ぎ、横川駅に着いた時はもう15時近かった。

横川と軽井沢はかつて信越本線で結ばれていたが、長野新幹線の開通と同時に廃線となった。この間に他の駅は存在しない。たった一駅の区間が廃止され、本線は寸断された。なぜ?
碓氷峠は勾配がきつくかなりの難所であった。『アプト式』という特殊な方式を使ってなんとかこの区間の運行を賄っていた時期が長い。さすがに現代ではそこまでの労力を費やさなくても運行できるのだが、それでもこの山越えを維持するには多大なコストがかかり事故のリスクも高いので、この一駅だけが廃線になったのだ。

駅から5分ほど歩き、観光協会的な施設に到着した。

ここで荷物を預かってもらえるのだ。トイレをお借りしてサッと着替え、荷物を上品で丁寧な物腰の爺さんに預けた。

それでは、その廃線跡を進んでいこう。
かつては複線だった線路のうち一本をはがして、路面を整備した道。それが『アプトの道』だ。緩やかな上り道をゆっくりと走っていく。

まっすぐ緩やかな上り道を進む。ちなみに、左手に一本だけ線路が残っている。これは、観光用のトロッコ列車のために転用されたのだ。
さらに進んで行くと、左側の線路のみどんどんと高台に上がっていく。いつの間にか線路を見失っていた。

左右に鬱蒼と生い茂った緑を眺めながら進む。すると頭上に橋が掛かっているのを見つけた。

なおも進む。右手側の景色が開けて来た。その先には、変電所跡があった。

碓氷峠を越える信越本線は、11.2kmの間にレンガ造りの18橋梁と26トンネルで最大66.7パーミルという傾斜を克服し、横川と軽井沢を結びました。開通当初は蒸気機関車だったため、連続するトンネル通過の際に機関士や機関助士が窒息するなどの危険がありました。
そのため信越本線のこの区間は、幹線としては日本で最初に電化されたのです。




このあたりで、久しぶりに左手の線路と合流する。

さらに進んで行くと、目の前にトンネルが現れた。ここも抜けて行く。

トンネルを抜けたところに標識があった。さらに進めば湖や眼鏡橋があるそうだ。そして、その先も険しい道のりをめげずに進み続ければ、軽井沢に着くのだ。行ってみようか?
しかし、今日は時間に限りがあるのだ。今回はここで引き返そう。

近くて遠い軽井沢…

来た道を下って行く。途中に見つけた公衆浴場で、軽く汗を流した。このあたりは、もしかしたらクラブでのランオフにちょうど良いルートかもと、名案が脳裏をかすめた。

日が暮れかけた頃にようやく横川駅に戻り、売店で釜めしを買って、

帰途の車中で堪能した。もちろん釜は持ち帰った。釜は後日実家に寄贈し、今では鉢植えとしての余生を送っている。

 ▪︎ 2021年の『軽井沢マラソン』

結局、新型コロナウィルスは猛威を奮い続け、2020年も、そして2021年に至っても軽井沢マラソンは中止となった。
「軽井沢マラソンとはいかないまでも、もう一度みんなで軽井沢を走ってこの連載の『長野編』にしたい。」という強い思いを私は持っていたが、それも叶わぬままに他の46都道府県のエピソードを書き終えてしまった。

残されたのは長野県のみ。

それならばせっかくの最終回だ。この機会にもう一度軽井沢で走り、この連載を締め括るとしよう。私はそう決意した。
「いつ走りに行こうか?」 土日を利用して訪れようかとも思ったのだが、じつは私、社会人生活25年目にして初めて「お盆休暇」を取得できるのだ。飲食業の私にとって本来お盆は稼ぎ時なのだが、緊急事態宣言の余波がこんなところにも… 

ワクチンも無事に(39℃近い高熱に見舞われたが)打ち終わったことだし、お盆休暇をフルに使って軽井沢だけではなく長野県内をガッツリと走り、そしてその様子をたっぷりと描写して、この連載を終えることにしよう。
もちろん、ゴールは軽井沢だ!

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2021年8月13日。

私だけの『軽井沢マラソン2021』の幕が切って落とされた。長野県各地を3泊4日で回り、軽井沢をゴールにする算段だ。
初日である今日は6時に起床した。青春18きっぷを使って各駅停車を乗り継ぎ、まずは松本駅を目指す。本来なら諏訪湖に寄ってカヤックを漕ぐ予定だったのだが、なにしろお盆期間中の天候が芳しくなくカヤックツアー自体の開催も不明瞭になってしまったので、キャンセルをしたのだ。

「天候が芳しくなく」などと雑にまとめてしまったが、お盆を中心として前後一週間くらいだから半月くらいの長きに渡り日本列島に秋雨前線が停滞するという、映画『天気の子』さながらの異常事態となっている。当初はアウトドア三昧の計画を立てていたのだが、流石にこの天候では無理はできない。旅程に余裕を持たせつつ、宿を温泉地に変更するなどフレキシブルな対応を取った。旅慣れた私、頼もしい限りだ。

松本駅まで向かう車中で、長野県に関する記憶を辿っていこう。

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この連載の山梨編でも軽く触れたが、私の父は山梨県出身だ。帰省にはいつも特急あずさを利用して甲府駅でバスに乗り換えていたので、その終着駅である松本という駅名には馴染みがあった。それでも、幼少の頃に甲府よりも先に足を伸ばすことはなく、松本どころか長野県全体と縁がない生活を送っていた。

初めて長野県を訪れたのは中学2年生の時、学校行事の『移動教室』という2泊3日の校外学習だ。野辺山にある大田区の宿泊施設に泊まったのだ。果てしなく先まで真っ直ぐに伸びた通路の右側に二段ベッドが向かい合ったかたちの4人部屋がずらっと並ぶ、異様な光景を今でも覚えている。

二度目の長野県上陸はそれから10年以上後、社会人になってからだった。会社の同期の結婚式で軽井沢のチャペルにお呼ばれしたのだ。一台の車に4人同乗して向かった。一人の同期が遅刻してきたせいで高速道路の渋滞にはまり、せっかくの式に間に合わず披露宴からの参加になった。我々4人にはバンガローがあてがわれ、軽井沢で一泊して帰ってきた。なぜか4人部屋に縁がある長野県であった。

そして三度目は冒頭に述べた軽井沢オフである。

近くて遠い長野県。今回の旅では、荒天の中でも最大限長野県を満喫して心理的な距離を縮めていきたいところである。

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松本駅にはちょうどお昼頃に到着した。

まだ8月半ばなのに若干肌寒い。周囲を見回すと、短パンを履いているのは私だけだった。乗り換えまで30分ちょっとあるので、長袖シャツと長ズボンを調達することにした。

駅前から伸びるインターロッキングの道を3分ほど進むとパルコがあった。

地下にGUがあった。サイズだけ確認して、試着もせずに購入した。

計3,990円也!この装備があれば、旅も安心して過ごせるだろう。

駅に戻り、松本電鉄で新島々駅に向かう。

新島々駅からバスに乗り継ぐが、乗り継ぎ時間は10分だ。急いで待合所のトイレでズボンを履き替える。そして、コインロッカーにリュック中から着替えなどを引っ張り出し、突っ込んだ。これから運動をするので荷物は軽くしておきたいのだ。
バスに飛び乗って一時間で、目的地に到着した。

この旅最初の目的地は上高地だ。当初は明日来るつもりだったが、諏訪湖の予定が消滅したことと、この雨足だと明日以降はたどり着けるかすら不透明だったので、急遽予定を繰り上げたのだ。

散策ルートの一番手前側である大正池のバス停で降り、ここから奥に向かって進んでいく。

雨足はけっこう強いが、傘は差さずにレインコートを羽織ってノルディックウォークで進む。いざ、スタート!

遊歩道は整備されてはいるが、あちこちに水溜まりができており、注意して進まないと足元がすぐにグチョグチョになってしまう。慎重に進もう。

雨降りでも変わらず進めるように、板が渡されているところも多い。助かる。しかし、このように道幅が狭い区間はノルディックポールが使えないので、ただの歩行になってしまう。

逆に水溜まりを避けながら進むような道では、ことのほかポールが大活躍する。棒高跳びのようにポールを地面に突き刺し、より高くではなくより遠くへと身体を運ぶ。雨で視界は阻まれ、フードを被っているので聴覚も不十分だ。その分、ポールを突く触覚だけが、今自分が上高地を歩いているという実感を身体の芯に刻み込んでいく。

1kmほど進むと、突然視界が開けた。田代だ。

靄が掛かってはいるが、北アルプスの山々が見える。私は今まさに、長野県にいるのだ!

しばし山の景色を楽しんだ後は、少し横道に逸れて田代池まで。

目の前にそびえる山々に降り注いだ雨の多くがここから湧き出るという。水だけではなく砂礫も流れてくるのでかつては水深5mほどあった池もすっかり浅瀬になり、一部は湿原になっている。自然の神秘だ(語彙力)。

すっかりのんびりしてしまったが、じつはこの先かなり急いで進まなければならないのだ。なにしろ上高地の滞在時間は3時間なのだ。というか、最終バスがその時間なので必然的にタイムリミットが決まってしまうのだ。ちなみに時速4kmのスピードでは最終バスに間に合わない算段だ。

とにかく先を急ごう。足元は不安定だが、幸いにも道がもの凄く空いている。500mにつき1組とすれ違う程度だ。これなら思う存分に飛ばせる。スタートから50分、4kmすすんだところで河童橋に到着した。

この一帯が上高地の中心らしく、レストハウスやら土産物屋やらリゾートホテルやらが林立している。人手も多い。お店の軒先を冷やかしつつ3分ほど休憩した後、ふたたび進んでいく。

橋を渡り左に曲がって少し進むと、キャンプ場が現れた。この雨の中でもけっこうな数のテントが張られている。そのままキャンプ場を突っ切ると「この先、熊が出ることも稀にあるから気を付けてね」という内容の看板があり、その先は緩やかな上り坂が続いていく。

1.5kmほど延々と上り続ける。相変わらずすれ違う人は少ない。この期に及んで「すれ違うとき以外はマスクいらなくね?」と世界の真実に気づき、マスクを外して進む。

雨降りで草や土の匂いが立ち昇っていることもあってか、嗅覚が自由になるだけで一気に感覚が研ぎ澄まされる。足の運びも軽快になり、快調に駆け上っていく。
しばらくすると道は下り坂になり、さらに1kmほど進むと突き当たりになった。明神だ。

『穂高奥宮』と書かれた石標が目につく。この先にある明神池は、安曇野にある穂高神社の奥宮扱いになるらしい。本宮との直線距離はそこまでではないかもしれないが、山越えを避けるルートを取ろうとすると松本まで一旦戻らなければならない。北アルプス恐るべし… 

ルートを左に変えて進んでいく。明神橋がある。

先ほどの河童橋と同様に吊り橋になっている。歩みを進めるごとにギシギシと揺れる。大雨で川の水位が橋の高さを超えても流されない作りなのだろう。実際に川の水位はかなり上昇し、濁流がゴウンゴウンと音を立ててかなりの勢いで流れている。

橋を渡り左へ折れ500mほど進むと、穂高神社奥宮に到着した。『奥宮』といっても、実質は明神池がそのほとんどを占めている。拝観料500円を支払って、明神池へと進んだ。

池が御神体なのか、それとも山なのか? 調べているほどの時間の余裕はないが、厳かな空気を纏っている。大雨だが湖面は穏やかだ。桟橋状にせり出している板の先に進み、参拝をする。

残り時間1時間15分。進む距離はあと4kmだ。川の対岸に戻らずにこちら岸を進んで戻ろう。行きの山道とはうって変わって平坦な道が続く。最初は川沿いだったが道はだんだんと右に逸れ、木々の間を貫く遊歩道を進んでいく。このあたりになると、もうすれ違う人もいない。たしかに今から明神に向かうなら、このあたりに宿泊するしかない時間帯だ。

河童橋の近くまで戻ってきた。山から流れてくる透明だが勢い溢れる水の流れを跨いで、なおも進んでいく。

河童橋を渡り、今度は右に300mほど進むと上高地バスセンターだ。なんとか間に合った。そして、ここで気温計を見て驚いた。なんと、11℃。避暑地とはいえ、8月でこんなに低い気温を記録することは稀であるようだ。

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新島々駅のコインロッカーから荷物を取り出すのに手間取ってしまい電車の定時運行を妨げてしまいそうになる軽いアクシデントはあったが、無事に上高地から松本駅まで戻ってきた。今日の宿は駅から徒歩3分くらいのカプセルホテルだ。宿に向かいながら、ディナーを摂るのに丁度良い店を物色する。なにしろ今日これまで口に入れた固形物は、玉子サンドとりんごパンのみなのだ。もう腹ペコで、お腹と背中がくっつきそうだ。

すると、交差点の向こうに丁度良さげな店を発見した。

『松本繋ぐ横丁』と書いてある。以前にも書いたが、私はこのような所謂『ネオ横丁』の運営管理が本業なのである。バカンス中とはいえ、ここは視察も兼ねて入ってみるしかない。

グルリと一周して一番活気がある店に入った。長野県上田名物の焼き鳥を売りにしているようだ。あと、長野県産の地酒も充実している。
大将の前のカウンター席に座り、まずはおすすめの日本酒を聞きオーダーする。『アルプス政宗』純米吟醸だ。

なんだかジョン万次郎的な語呂の悪さだが、味は淡麗にしてフルーティ。信州らしく林檎っぽい後味もある。これは当たりだ。
そういえば、去年の4月頭に私が担当している横丁で長野県産の日本酒フェアを開催したことがあったが、やはりフルーティな味わいのものが多かった印象だ。ちなみにそのフェアは緊急事態宣言発令により、早期終了となってしまった。

湿っぽい話は横に置いて、料理を食べよう。おまかせメニューを頼むと、やみつきキャベツ→馬刺→焼き鳥3本→鶏手羽揚げ のラインナップが登場した。

↑の画像に写っている緑色の液体は毒霧の素ではなく、地元のプロサッカーチーム『松本山雅』のイメージカラーからインスパイアされた着色ビールとのことだ。この後レバーとつくねを追加注文し、満腹で宿に向かった。

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一夜明け、8月14日。
この日は信濃大町経由で黒部ダムを観光する予定だった。しかし、朝起きると大変な事態が私を待っていた。

少なくとも、今日黒部ダムまで辿り着くことはできない。さらなる旅程の変更が必要になってしまった。さあ、どうする? 自分。


* 流石にキリがないので、次回に続きます。


次回予告


 軽井沢で『マラソン』を走る(破)

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