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僕の考えるDEIの世界

先日、お願いしているコーチングの方の集まりに参加したときに、DEIの話になって、ちょっと思い出したことがあるのでつらつら書いてみる。

まー最近結構広まってきている考え方ではあるけど、一応知らない人のために解説サイトを転用しておくと、↓のような話になる。

DEIとはなにか。DEIを構成する「3つの要素」について、説明します。

Diversity(ダイバーシティ)とは「多様性」を意味し、個人や集団に存在するさまざまな違いのことです。年齢や性別、セクシャリティ(性的指向)、人種、国籍、民族、宗教、障がいなどの違いにかかわらず、すべての人にとって心地よい居場所があることを意味しています。

Equity(エクイティ)とは、公平な扱い、不均衡の調整を行う「公正性」を意味します。私たちは一人ひとりが異なるため、全員が能力を発揮するには、一人ひとりに合った環境を整えることが重要という考え方です。

Inclusion(インクルージョン)とは、一人ひとりの多様性が認められ、誰もが組織に貢献できるという「包括性」を意味します。グローバル化が進み、異なる文化背景を持つ同僚と働く機会が増える中、企業には多様な人財が活躍できる場を提供することが迫られています。

引用元:https://social-innovation.hitachi/ja-jp/article/what-is-dei/

ということで、「多様性」を意味するDiversity、「公正性」を意味するEquity、「包括性」を意味するInclusionの頭文字をとって、DEIと言っている。

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昔、外資の大手の会社にいたことがある。
そこは、結構早い段階から、このDEIの概念を取り入れる活動をしていた。

私の上司だった女性マネージャーより、このDEIのインプットをするランチミーティングをすると言われて参加した際、
「会社の方針です」と、ミッション的な抽象度の高い目標を出されたのだが、
そこに書かれたいくつかの方針の中、いの一番に、「健常者は、障害者と同じように働けることを理解する」と書かれていた。

私は、「すみません、ちょっと空気読まないこと言っていいですか」と切り出し、以下のようなことを話した。

  • そもそも、健常者と障害者が同じように働けるということは、適正な配慮を行えば当たり前の話であり、またそれは合理的配慮の観点の元、企業の社会的義務である。いちいち明文化する意味がよくわからない。

  • これを明文化、それも冒頭一発目に明文化するということは、「今までできていないからこれから改善する」という意識にも捉えられるが、マネージャーとして今まで障害のあるメンバーに「障害者は健常者と同じようには働けない」という見方をしていたのか。

  • 今まで会社はDEIに力を入れていたとのことだったのだが、このような話が出てきてしまうということは、今までの活動はいったい何をしていたのか。会社に言われてやっているだけで、マネージャー当人の意識がかなり低いからこういうミッションが当然のようにできてしまうのではないか。少々残念に感じている。

…今読み返すと、とんでもなく生意気なこざかしいクソガキの発言以外の何物でもないのである。
が、有難いことに心理的安全性は結構ある会社だったので、こういう発言も煙たがられることはなかった。

とはいえ、もちろんミーティングは一瞬静まり返った。
が、ぽつりぽつりと「大西さんの話は正しい」という意見が出てくるようになり、最終的には参加者のほとんどが私の意見を肯定する形で会議が終了した。

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この話で黙っていられなかったのには、いくつか背景がある。

僕は身内に障害者が結構いる。友達にもいるし、一緒に働いていたこともだいぶある。
狙っていたわけではないのだが、縁あって、こういう人たちとのつながりは結構多いのだ。
障害の度合いも種類もみんなバラバラだ。
たとえば、こんなん↓

  • 強迫性障害で自宅以外の場所が汚く見えることを理由に、実家から出られず、片道3時間の通勤をしている人とはよく飲みに行った。特例子会社勤めで給料が安く、いつもサイゼリアで飲んでいたが、転職して大幅な給与アップを勝ち取っていた。

  • 超大手企業で開発職をしていた人が、双極性障害で働けなくなり、手帳を取って障害者として私と一緒に働いていたが、地頭がとんでもなくいいので、すぐにチームリーダーとして活躍されていた。私はバカかつ若かったのでよくぶつかりもしたのだが、業務におけるプロセス構築のスキルはだいぶ学ばせてもらい、今でも身になっている。

  • 交通事故で車いすになった後、データベースマネジメントを学んでスキルとされている方がいた。しばらく活躍されたあと、退職の道を選ばれたのだが、「今のうちのチームに絶対に必要な人材だ」と上長ならびに当人を交渉し、アルムナイの形で帰ってきてもらった。

なんなら、そこら辺の健常者よりも優秀な人たちが、たまたま障害を負ってしまっただけ、というパターンなんざ、いくらでもあるというのを、20代の早いうちから身につく環境にいた。
だから、「健常者は、障害者と同じように働けることを理解する」というのは、当たり前すぎて、「何言ってんだお前」という反応になってしまったことで、上述の反応になってしまったのである。

なお、この会社が、これでも相当社会的に進んだ考えだということ。
自分がかなり特異な環境にいて、レアケースの人生を歩んでいたこと。

そして、今の日本において、障害者の風当たりはものすごく強く、下手すると「差別」の概念から抜け出すことすらできていないことを知るのは、この会社をやめて数年たってからである。


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多様性とは、公正性とは、包括性とは、なんなのだろう。
DEIとは、何を意味する言葉なのだろう。

これ、どうも、多くの学者たちの間でも、議論が済んでいないことのようであるから、不用意な決めつけは僕の立場でするべきでないと思う。
だから、これから僕は漠然とした話をする。

僕の考えるDEIの世界は、たぶん"メタ世界も含めたポケモンの世界"だ。

もう今ポケモンは1000種類を超えていていろんなやつがいる。
古来からある対戦、交換に限らず、ゲームや遊び方も種類が増えた。

好きなポケモン、嫌いなポケモン、あると思うけど、
それも含めてあの世界である。そして、ユーザーの我々である。

対戦で使えないポケモンが、ポケカの世界でもそうだとは限らない。
何のとりえもないと思われたポケモンでも、ぬいぐるみで愛されることがある。
色違い収集家と、ランクマガチ勢に、人間として優劣はないだろう。

DEIって、そういう世界なんだと思うんだ。
たぶんね。

…って、昨日カラオケで「アカシア」歌ってて、思った。
DEIって、アカシアの歌詞の世界なのかもしれません。

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