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気をつかわずに愛をつかう

プリミ恥部さんの著書「気をつかわずに愛をつかう」という本を以前に読んだことがある。

少しスピリチュアルな要素もあるけど、つまりは目に見えないもの、心に感じたままの思いやりの話かなと私は思ってる。思ってる、というか最近よく思う。

この本を読む前、私は気遣いはして当たり前だし、するのが当然と思っていた。確かに気遣いは必要だ。しかし、人はいつの間にか、気遣いが義務のような感じになり、実際は心がこもってないのかもと思ってしまった。これは私の事なんだけど。

私という人間は、嫌われたくないという塊のような人間だったのかも。好かれたい、として、好かれる為の努力を無理にしていたような気がする。(よく思われたいは、人としてごく自然な感情だと思うが、過度になると自分が自分ではなくなるのだと思う。)

それに気がついてから、好きに生きている。行きたくなければ行かないし、会いたい人にだけ会い、無理な付き合いで立ち寄るを、一切やめた。完全に自分のことだけ。

そして、何もしなかった。一生懸命働いて、少し書いたり読書はしたけれど、基本、寝ていた(笑)

必要なことはきちんとこう思っていると伝えて、必要が有れば反省して次に活かそうと思った。

当然、今までとは違うことをしたからすごく傷つく事もたくさんあったのだけど、結果的になんだか楽になった。

未だ「気をつかわずに愛をつかう」が出来ているか分からない。

ただ無理はしてなくて、相手が喜んでいる姿を想像して、そして行動して、すると自分が一番喜ぶ。

相手が喜んでくれるということは、自分も喜ぶことをするということなんだと思うのだけど、思いやりと思い込みの差なのではないかと思う。優しさを感じながら出来ること、が愛なんじゃないかな。誰にでも。時にそれが厳しいと思えるようなことも愛だと思う。

何があっても飾らず腐らずの優しさを自分にも誰かに向けていたら、そのサイクルが少しわかったような気がする。

自分と他者への思いやりは巡り巡る。

(MacBook)

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