「頑張れ」は無責任な暴力なのかもしれない『しん次元! クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦〜とべとべ手巻き寿司〜 』
ネタバレ感想
「スパイダーバース」や「THE FIRST SLAM DUNK」を代表に3GCDアニメーション作品がたくさん公開される中、しんちゃんがCGアニメーションで映画化されると言うことで公開前から期待はかなり高かった。実際、素晴らしい作品だと感じた。
子供向けアニメの劇場版が大人も楽しめるようになっていることはよくあるが今回のしんちゃんはかなり社会派で、もはや大人向けな内容となっている。というのは、今回の敵はいわゆる「無敵の人」でどん底の人生に絶望した末に世界の破滅を目論んでいるのだが、絶望の理由がかなり今日の現代社会の内容なのである。例えば、戦争や流行病、エネルギー問題といった社会問題で将来に希望が持てないというものだ。
この敵に対して野原家がコミカルに時にはシリアスに立ち向かっていく様がとても痛快で、飽きることなく楽しめた。さらに終盤の巨大ロボットバトルには感動した。まさかしんちゃんでカンタムロボのファンネルやエヴァのサハクィエル戦を彷彿とさせるシーンが見られるなんて思わなかった。
君たちはDoomerを知っているか?
Doomerとは欧米で生まれたネットミームの一種であり、その代表的な意味は「将来に希望が持てず疲弊した若者」というもので1980年代半ばから2000年前後に生まれた世代のことを指す(もれなく筆者もその世代でありDoomer的な思想を持っている)。
日本では「さとり世代」とも呼ばれる現在の20代、30代の人間の中には不景気や戦争、最近だとコロナによるパンデミックにさらされることで将来への希望が見出せないでいることで犯罪を犯したりする者がいる。彼らが「無敵の人」であり、しんちゃんの敵として登場する。
Doomerについて詳しくはこの動画を見てほしい。
頑張れるのも才能
終盤しんちゃんは敵である非理谷の精神世界でいじめられていた非理谷少年と共にいじめっ子に立ち向かうのだが、ひろしやみさえたちは外から頑張れと声援を送るばかり、しかもその声援はおそらくしんちゃんに向けられているものと考えられる。今必要なのは頑張れではなく共に戦ってくれているしんちゃんの存在ではないのかと考えてしまった。
どん底の人間に頑張れの言葉は響かない、なぜなら彼らはもうすでに頑張ったからである。その結果、どん底の人生なら頑張り続ける方が難しいと私は感じる。頑張れなくなった人間に必要なのは言葉よりも共に戦う仲間の存在だと強く思う。だからこそサンボマスターの歌詞が響く。
あと、非理谷とひろしの年齢が5つしか違わないのにラストの上から頑張れ発言は少し違和感を感じてしまったが、それは私のDoomer的思考がそうさせるので何も感じなかった方々は無視してもらって構いません。
子供を持つ大人にこそ見てほしい
劇場の客層は当然ながら子供連れが多く見られた。しかもその子供の年齢がしんちゃんたちと同じくらいの幼稚園児くらいだったことから、「この子らにちゃんと伝わってるのか?」なんて余計な心配をしていたのだが、今思えば子供達にとってはしんちゃんが少し下品に悪と立ち向かい勝利するだけで十分である。むしろ一緒に見た親がこの作品を通して子供たちの将来や社会について考えるきっかけとなってほしいと思う。
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