櫻井育子(朱紅)

たのしくあそんで、たのしくいきる。生涯発達の視点から、みんなたのしく「自分育て」ができ…

櫻井育子(朱紅)

たのしくあそんで、たのしくいきる。生涯発達の視点から、みんなたのしく「自分育て」ができる社会を模索している実験と研究をする生涯発達支援塾TANEの代表をしています。書道と発達の研究所、「書と生き方研究所」も主宰。

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    朱紅が主宰する「書道塾tane」、旅する書道「すみあそび」、いろいろな場所でいろいろな人と書くことで見えてきたたくさんの「生涯発達理論」を発信していきます。

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最近の記事

ものがたる線ものがたり⑤

あるとき、書くのが嫌になった。大学2年生くらいで師範を取った。その後、お稽古を続けているうちに公募展に出すことにどうしてもワクワクしなくなっている自分がいた。目的がよく分からなくなった。思えば小学生から続いていたのは、「自分の思った通りにお手本の線を書きたい」というモチベーションがあったからだった。しかし、書道=得意、ということを自分が認識したあたりから、「楽しいこと」ではなく「人よりできること」に変化していたのだ。 「やれること」ではなく「やりたいこと」をやりなさい、など

    • ものがたる線ものがたり④

      書道を小学校2年生から習い始めたが、その前から、祖父が自分で墨を擦り、スクラップブックや自分で買った本を補強してタイトルを書く、などの工作をよくやっていて、わたしは幼い頃からそばにいて墨を擦る手伝いをしていた。硯のすべすべした感触が好きだった。雄勝硯の美しい彫刻の入った硯は形見として今でも使っている。 書くことがとにかく好きだった。だから落書き帳がすぐなくなって、祖父はわたしの落書き帳をチラシや包装紙の裏を製本して作ってくれた。紙に、土に、道路に、あらゆるものが画材になった

      • ものがたる線ものがたり③

        ものがたる線ものがたり③ 今回の個展の宮城会場である塩釜という場との出会いは、斉藤文春さんとの出会いから始まる。コロナ禍で、誰もが出歩くこと、集まることを制限されたときに、閉塞感の中で精神的に保つことができたのは書道があったからだったと思う。その頃はだいぶ制限が厳しくなっていたが、わたしの中では必要以上の制限をするのは嫌で、そもそも書道塾taneに人など集まっていない!(流行ってないんだから)というひねくれた思考もあって、「少人数なら貸すよ」という場所で小さく(ある意味いつ

        • ものがたる線ものがたり②

          ものがたる線ものがたり② 会場になるアトリアと最初に出会ったのが2019年、トパさんのイベントだった。しかもここで今回、対談ゲストに来ていただくモリソンさんに会っているという、まるで伏線回収ものがたりだ。 しかしまだ、そのときは自分が表現する側になるなどイメージすらない。 東京。震災後にさまざまなしがらみの中にいたとき人混みに紛れることで安心していた場所。「なにものでもない存在としてのわたし」を確認したくてクルーになった気がする。所属することが苦手なわたしは、たぶんよそ

        ものがたる線ものがたり⑤

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          ものがたる線ものがたり①

          初めての個展、ものがたる線。 開催まで、さまざまな想いを書いていこうと思う。 女を書きたいと思ったのは、まずはこの3本から成り立つ漢字のおもしろさに魅了されたから。 女という文字は、紙の前にひざまづく人間、つまり巫女であるという説があり、最近はとても「巫女」という存在に関心を寄せていた。神の言葉を、つなぐ存在。通訳。いい仕事だな。つなぎめ、境目、境界、際、間。 さらに、やはり女という生き物の不自由さや制約は全くなしに生きていたわけではない。無意識にたくさんの傷も受け継い

          ものがたる線ものがたり①

          線とかたち展を終えて

          6/4~6/9まで仙台のギャラリー「SARP」で行われた斉藤文春さん企画の展示に21名のうちの一人として参加させていただいた。実はわたし自身の「作品」というものをこれまでほとんど発表したことがなく、書道展や公募展では書の作品を書いてきたとはいえ、今回のように本当に自由に、書なのか、絵なのか、なども本当にこだわらずに「やりたいこと」を表現した、というのは初めてに近い。 わたしはそもそもなぜ書くのか、という問いに答えを見つけたいし、そもそも「書く」という行為と「描く」という行為

          線とかたち展を終えて

          書くと「見える」世界がある

          あっという間に1月も終わります。 そうそう、あっという間、といえば「すみあそび」の時間も体験された方はわかると思うのですが、書くまでは悩んだりしている方も、書き始めるとあっという間、という感覚を味わえます。 時間は平等に刻まれているはずなのに、なぜ「長い」「短い」などと感じるのでしょう。それは、わたしたちの感覚は常に「主観的」だからなんですね。自分の感じたことを基本に、さまざまな事柄を覚え、生きているのが人間。だからこそ、「感じ方の違い」というのが当然あるはずなのですが、自

          書くと「見える」世界がある

          感じると伝えるの間

          こんばんは!今日はちょっと書道とは違うお話を。 実は先日、「対話型鑑賞会」というイベントに参加しました。美術館にある作品をみんなで観て「自由に話す」というものです。そこで、「感じたことを自由にどうぞ」と言われたときに、久しぶりに「え、何を話そう」という感情がわいてきました。この感情って、みなさんも経験したことはありませんか?  「感じてはいるんだけど、言いたいこともあるんだけど、何を伝えようかもっと考えたい」とか「どのあたりの言葉を使ったら、伝わるんだろうか」と深く考えすぎて

          感じると伝えるの間

          すみあそびに参加した方の声・感想

          今回は、皆様の声を一部ご紹介いたします。 これまで、あらためて本当にたくさんの方々とお会いしてきたんだなという実感が湧き上がりました。書道塾taneという活動をし続けてきたことは、「この場をひらくことで、さまざまな人が混ざり合える」という隠れた目的もありました。その中でも、やはりなかなか人と一緒に何かをするのは苦手、という方も、ここには来れる、ということで実際に今まで引きこもりがちだった方が、今は定期的に通ってきています。「ただ書くだけ」そんな場が、なぜ心地よいのか、今日は

          すみあそびに参加した方の声・感想

          書道とわたし

           本日わたしは誕生日を迎え、45歳になりました! 今日は、せっかくなのでわたしがなぜ書道を始めたのか、そして研究所開設の目的をまとめました。    小学校のころは、集団が苦手、雑談できない、発表できない、作文書けない!という子ども時代。小2で書道に出会い、おとなしくしていることが得意なわたしは「書道ならできる」と思い、高校までお手本通りに書ける自分に満足していました。大学生の時に師範をとり、自分には書の才能があるとすら思い込んでいましたが、公募展に出展するときにお手本がない

          書と生き方研究所・各コースについて

          いよいよ1/22からスタートします。どうしても、わたしひとりではできないことがあります。たくさんの方と一緒に、広げていきたい世界があります。一緒に学んでいきませんか? 気になる講座があったら、公式LINEのチャットからお知らせくださいませ。 https://lin.ee/AyImkQHこちらからどうぞ!

          書と生き方研究所・各コースについて

          言葉以上言葉未満

          いつかのわたし、いまのあなた、複雑な自分を持て余しているすべての人と対話するための言葉以上言葉未満。 大好きな劇団どくんごの、ヤッシーことウスバカゲロウさんが、「言葉から意味すら無くしてしまいたいんだよね」と呟いたことが忘れられない。 わたしたちは言葉を使う。言葉があるから分かることもある。言葉があるから分からないこともある。言葉で全てが解釈可能なほど単純な世界ではないことを知っている。伝わらないもどかしさ。言葉があるから余計に伝わらない。言葉が怖い。表現するのが怖い。何

          言葉以上言葉未満

          「わたしはここにいる」〜書、そして人が生きるということの研究〜(斎藤文春先生個展にあたっての寄稿文)

          はじめまして、というのは勇気のいる瞬間だ。そのひとがどういうひとなのか、何を考えて生きているのか、分からないからだ。時間をかけながら、表情や声や笑い方で次第に分かってくる。わたしたちはコミュニケーションの多くを、非言語に頼っている。そんな中でも、比較的短時間にそのひとそのものの情報が入ってくることがある。そんな体験をしたのが、文春さんとの出会いだった気がする。  2020年のこと。塩竈市の杉村惇美術館で「花と夢・みんなの書の展覧会」を開催するということを聞き、私が主宰している

          「わたしはここにいる」〜書、そして人が生きるということの研究〜(斎藤文春先生個展にあたっての寄稿文)

          「生涯発達」と「書」の関係性を考える⑥

          「そもそも前衛芸術とは何かというと、芸術という言葉で代表される美の思考や観念といったものをダイレクトに日常感覚につなげようという試みである」 赤瀬川源平著、「千利休 無言の前衛」を久しぶりに読み返した。買った時にはそれほどひっかかることもなかったのだが、あらためて今読んだら次から次へと唸りたくなる言葉たちが並んでいた。 「ズレたもの、歪んだもの、欠けたもの、見捨てられたもの、そういう人々の意識の外側にあって、人々の恣意を超えて鮮やかなもの、それらが彼らの美意識の先端にあっ

          「生涯発達」と「書」の関係性を考える⑥

          「生涯発達」と「書」の関係性を考える⑤

          わたしが書道塾を始めるきっかけになったのは、浅野敬志くんが高等部を卒業したとき、母、浅野雅子さんの一言がきっかけだった。アドベンチャークラブで5歳から一緒にいる敬志くんは、浅野さん曰く「重度の知的障害と自閉症」であり、言葉を話さず、自己主張も少なめなタイプである。それゆえに、与えられた指示は淡々とこなすが、「敬がほんとうになにをしたいのか分からない」ということはよく呟いていた。生活介護の事業所に就労が決まったとき、「なにか習い事やシュミができればいいな」という思いから、自分も

          「生涯発達」と「書」の関係性を考える⑤

          「生涯発達」と「書」の関係性を考える④

          「沈黙の中身は、すべて言葉」(谷川俊太郎)  「詩を書き始めようとする時、一枚の白い紙を前にして私はいつも途方に暮れます。何をどうやって書けばいいのか、見当もつかないのです。白い紙がまるで荒野のように思えます。私にできることと言えば、ただじっと待つことだけです。いったい何を待つと言うのでしょうか。」谷川はこう語っています。(谷川俊太郎詩選集1あとがきより) 自分自身のなかにある「言葉」とは何か、意識したことはあるでしょうか。わたしたちが普段使っている「言葉」は、あくまでも

          「生涯発達」と「書」の関係性を考える④