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「生涯発達」と「書」の関係性を考える⑤

わたしが書道塾を始めるきっかけになったのは、浅野敬志くんが高等部を卒業したとき、母、浅野雅子さんの一言がきっかけだった。アドベンチャークラブで5歳から一緒にいる敬志くんは、浅野さん曰く「重度の知的障害と自閉症」であり、言葉を話さず、自己主張も少なめなタイプである。それゆえに、与えられた指示は淡々とこなすが、「敬がほんとうになにをしたいのか分からない」ということはよく呟いていた。生活介護の事業所に就労が決まったとき、「なにか習い事やシュミができればいいな」という思いから、自分もやりたかった書道を習いたい、、、そういえば!とわたしを思い出したらしい。

言われるまで、自分に書道の師範免許があることはすっかり忘れていた。わたしは書道を極めることに挫折を感じていた。学生時代に師範はとったものの、どうも書道展に気持ちが向かわず、自分自身の制作活動も大人になってからはしなくなっていた。ただ、年に一度の書き初めシーズンに支援学校のこどもたちと自由な書道をすることだけは心底楽しくて、それだけは続けていた。

そんなことがきっかけで、大人も子どもも、障害があってもどんな人でも一緒に書くことのできる場を作ろうと思って始めた書道塾TANE。

敬志くんが書き始めるまでには、「ひらがな」「知ってる言葉」「知っている歌」など手本を書きながら試行錯誤であった。そもそもひらがなの認識も少なかったために、「関心を持って文字を書く」ことの限界があるかもしれないとも思った。ところが敬志くんの関心は思わぬところにあった。「文字の形」の面白さそのものをまるで味わうように、じっくりとあいだみつをの詩にはまり出したのである。

そのあとは、言うまでもなく、「書きたい」モードになっていく。できるだけ忠実に、できるだけ小さく。何度も墨をつけなくてもいいように近代詩用の長めの筆を導入した。

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対等に書いている仲間。現在の、雅子さんのスタンスはもはや親ではない。「どうやったら敬みたいに書けるんだろう」と、もはやライバルである。書道を一緒にやっていなかったらこんなふうには思うことはなかったという。

「自立」という言葉が先走ると、親と子が離れることだけに注目しがちだ。しかし、純粋に作品を通して子どもを尊敬し、今までなかった関係性にたどり着いた親子がここにいる。「親子で一緒に好きなことをやっている」というだけのことであり、「保護者同伴」ではない。「書く」という楽しさを味わう仲間だけがここにいるのだ。

障害のある青年期について語るとき、いつも話題になるのは「子ども」の生活についてのみである。しかし、障害のある青年だけの話ではない。親は?兄弟姉妹は?果たして大人たちは、「自立」(健全な依存関係を保ち社会で生きること)ができているのだろうか?

関係性が健全であること。それについては、いままでなかなか言及されていなかった。親の生活の自立。子どもとどう対等に付き合っていくのか。

そしてもう一つの視点。生きることは、単に生活ができるということだけではない。余暇があり、楽しみがあること。文化に触れ、喜びを感じること。

浅野くんの書は、オリジナリティを発揮し始めている。そんな中で映像作家の目に止まり、彼の書の価値を認めてもらう機会が少しずつ増えてきた。もちろん仕事としての依頼である。本人も、「書くことで認められる」という意識が芽生え始めてきた。そして、これからが楽しみなメンバーがたくさんいる。いろんな角度から「自立」について考えていければいいと思っている。

※写真撮影:熊谷麻那

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