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感じると伝えるの間

こんばんは!今日はちょっと書道とは違うお話を。
実は先日、「対話型鑑賞会」というイベントに参加しました。美術館にある作品をみんなで観て「自由に話す」というものです。そこで、「感じたことを自由にどうぞ」と言われたときに、久しぶりに「え、何を話そう」という感情がわいてきました。この感情って、みなさんも経験したことはありませんか?
 「感じてはいるんだけど、言いたいこともあるんだけど、何を伝えようかもっと考えたい」とか「どのあたりの言葉を使ったら、伝わるんだろうか」と深く考えすぎて、結果、ものすごく単純な言葉を言ってしまった、、、とか。

自由に感じていたはずのことも、「自由に話してください」と言われた瞬間に、「何を伝えればいいのか」を選択することから会話が始まるのですが、その場に合わせてしまいすぎたり、本当に言いたかったことではないことを伝えてしまったり、他の人が話しているのを聞いて、「ああ、これも話せばよかった」と思ったり。なんとなく、「言いたいことはいっぱいあるのにうまく言葉にできない」とか、「もっと自分は考えてるのに、伝えられない」とか。

わたしは実は幼稚園を中退し、小学校1年生では場面緘黙の疑いを持たれたり、それくらい集団が苦手で他者とのコミュニケーションが難しいと感じることの多い子どもでした。「考えたり感じたりしていることはあるけれど伝えられない」というのはとてももどかしいものです。

場合によっては、自分がきちんと評価されないんじゃないかと傷ついたり。見られている自分と、自分が知っている自分自身が、どうもうまく噛み合わないような気がする。そうやって、「感じていること」と「伝えられること」にアンバランスのある状態が、わたしはとても長かったなあ、と思います。

その「見られている自分」と「自分が見えている自分」の差が、他の人とのコミュニケーションの壁になる一方で、そうやって守ってきた自分もいた気がします。そしてどこかで、「もっと楽に話ができたらいいのになあ」と感じていたような気がします。

さて、みなさんは、どんな子どもでしたか?
感じていることを表現したり、伝えたりするのは好きですか?
また、みなさんが感じている「自由」って、どんなイメージですか?

なにかひとことでも、お聞かせいただけたら嬉しいです!

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