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チャイとミルクティーが好きです。

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  • 『チャイの旅』ができるまで

    僕の本がどうやってできたかを解説

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『チャイの旅』ができるまで

第二章:カンテでの楽しかった日々 その06:カンテ資料館<看板猫『プラオキャット』の誕生>  今回は、その昔「カンテ」の看板用に作った「素焼き猫:プラオ・キャット」についてお話します。 「カンテ」のオーナーは、インド・グジャラート州のアーメダバードへ行った時、左の写真(1)の手前に写っているような素焼きの人形が欲しくて20体ほど注文したのですが、間違って後ろにポツンといる猫のような置物が10体ほど混じって届いてしまったことがあったんです。  「こんなの買った覚えはない。

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      第二章:カンテでの楽しかった日々 その20:カンテ資料館 < チャイにおもうこと > 『チャイの旅』出版の直接のきっかけは、2016年7月に、僕がカンテを辞めた事を松田君にメールしたことでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 松田さん、こんにちは。 お元気ですか?  僕は今年の3月いっぱいでカンテを退職し、今は失業中です。  34年間カンテに関わってきたので、しばらくはそこから気持ちを抜け出すのが大変です。(笑)  で、今まで僕がカンテ在籍中に作

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        第二章:カンテでの楽しかった日々 その19:カンテ資料館 < 『サークルトータス卒業文集』 >  雑誌「オレモリ」以降、松田くんとは連絡なしの状態が15年ぐらい続いたと思うんだけど、2013年のある日、松田くんから1通のメールが来たのでした。  内容は、「今、松本さんの本を作ってまして、その中で、カンテ時代をよく知る井上さんと神原さんに、トータスと対談をして頂いて本に載せたいのですが。」ということでした。  インタビューは昔雑誌でやってもらったし、Junichi君の時はT

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          第二章:カンテでの楽しかった日々 その18:カンテ資料館 <人物交友録:阪上寿満子 > 「チャイの旅」の奥付に書かれている「協力」には、6人の名前が書かれています。 <上段> 井上 温・・・「カンテ・グランデ」の創始者 トータス松本・・・言わずと知れたウルフルズメンバー Junichi・・・ドローイング・アーティスト そして、阪上寿満子 今回は、彼女について少しお話しします。  さて、阪上さんとはどういう人なのかというと、肩書きは「有限会社『P3PEACE』の代表取締役」

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          『チャイの旅』ができるまで

          第二章:カンテでの楽しかった日々 その17:カンテ資料館 <チャイ袋へのこだわり>  カンテのチャイ用の茶葉は、元々はこんなデザインの紙袋で売られていました。(もっと古いパッケージは、アルミパックに直接シールを貼ったもので、静電気で埃が付くので紙に変えました。) なんか怪しくていいです。 このパッケージの「ひげおやじ」には、得体の知れないものを感じます。「カンテのオーナーですか?」とか訊かれたこともありましたが、「そうです。」と答えた事もあります。 しかし、この人はほんと

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           第二章:カンテでの楽しかった日々 その16:カンテ資料館 < チャイ缶の変遷 > カンテが紅茶を直輸入し始めたのは1974年頃で、スリランカの高地産のディンブラ(ポットティー用)と低地産のゴール地方の茶葉(フラワリー・ファニングス=チャイ用)の2種類だと聞いています。 その後、個人の輸入業者からダージリンとアッサムを買うようになり、茶葉の販売もするようになりました。 1980年ごろまでは、写真のように「量り売り」だったのですが、中津店、梅地下店、阪急ファイブ店と店舗が

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          第二章:カンテでの楽しかった日々 その15:カンテ資料館 < 神原部屋2006> 純一君の個展:Junichi の "I Like Drawing"は、カンテで10回行われました。 Act.1 ・・・1997.12 Act.2・・・1998.1 Act.3『PEZ展』・・・1998.7 Act.4『Boys and Girls』・・・1998.12 Act.5『Friend』・・・1999.7 初の作品集 "JUNICHI "(マガジンハウス刊)2000.3 出版記念個展

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          第二章:カンテでの楽しかった日々 その14:カンテ資料館 <音楽雑誌(?)『オレモリ』> 平成10年(1998年)、僕が純一君との3回目のユニット展:Junichi 「I Like Drawing Act.3」 をやることは決めていたんだけど、何をテーマにするかは決めてなかった。 その頃彼はたくさんPEZの絵を描いていたので、それならもっと描いてもらって僕の持ってるPEZと合わせて『PEZ展』をすることを思いつきました。 ギャラリーに、彼の描いたPEZと本物のPEZをい

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          第二章:カンテでの楽しかった日々 その13:カンテ資料館 <Junichi ! Junichi !! Junichi !!!>  ウルフルズがツアーパンフの撮影にカンテにやって来た1998年の前年、ひとりの男の子(7歳)と知り合います。それが純一くん。 純一君のおかあさんが「カンテのギャラリーを借りたい」と、当時ブッキング担当だった僕のところに来たというのが事の始まりでした。 正確には、「息子が今描いている絵を、カンテのギャラリーで展示したら面白いと思ったので、参考まで

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          第二章:カンテでの楽しかった日々 その12:カンテ資料館 <「ゴム印」に寄せる想い>  僕はカンテに入る前から「スタンプ好き」で、スタンプそのものは持っていませんでしたが、スタンプのデザインとか「スタンプを押したい!」という気持ちが強く、アメリカの色んなスタンプを集めた洋書を持っていたりしたんですね。その本には、動物やアルファベットのかわいいスタンプがいっぱいで、木のスタンプをたくさん押せば森になるといったアイデアも詰まっていたんです。本当はそういうスタンプがたくさん欲しか

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          第二章:カンテでの楽しかった日々 その11:カンテ資料館 <トータスまんが「茶の口福」>  1998年6月、ウルフルズのツアーライブパンフ用に、カンテの中津本店にやってきたメンバーたちは、厨房でチャイを作ったり、看板のシロと戯れたりして写真を撮り、かつてバイトしていた頃を懐かしんで、はしゃいでいました。  その時に、久しぶりにカンテに来た記念にと、トータスが描いてくれた3コマまんがは、彼らしいオチのある絵でした。  このまんがのタイトル「茶の口福」というのは「身内ネタ」で

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          第二章:カンテでの楽しかった日々 その10:カンテ資料館 <思いつきで作ったコラージュパネル>  僕が雑誌好きだということは前にお話しました。 古本や新本を買い漁っては、僕の気に入った写真やイラストを切り抜いて保存し、貯まったらスクラップブックを作ったり、クリアホルダーに分類したりするのが高校時代からの僕の趣味でした。  1992年頃、ある一つのアイデアが浮かび、早速その制作に取りかかりました。 東急ハンズとかに売ってるA2サイズぐらいの厚紙のパネルを買って来て、そこに僕

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          第二章:カンテでの楽しかった日々 その9:カンテ資料館<中津「NP」と初代「秘密基地(神原部屋)」>  1982年のことです。 カンテと庭を挟んで、オーナーの所有する店舗用の木造二階建ての借家があり、そこが使われなくなった後、しばらくは喫茶の倉庫として使っていたらしいのですが、前年にアパレル部門「NP」を本格的に始めたこともあって、その倉庫の1階をブティック風に改造して2階を倉庫にしたのが「NP中津店」でした。 ここでは、地方から大阪に仕入れに来られた服屋さんや雑貨屋さん

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          第二章:カンテでの楽しかった日々 その8:カンテ資料館<伝票の裏コレクション> 伝票の裏は、色々遊びました。 伝票は1店舗につき印刷するのは5万枚。だいたい1年に1回のペースで、1回ごとにデザインを変えていたから、けっこうたくさんはあったはずなんだけど、似通ったデザインだったので残っている資料はこれぐらいですね。 一番右のポットはJunichiくんの絵 その次は、インドの木のハンコから起こした象のイラストで、その次のはそれに網掛けをしたもの。 一番左は、インドで見つけた象

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          第二章:カンテでの楽しかった日々 その7:カンテ資料館<かつてあった100円割引券・1986年>  「カンテ」はかつて、来店してくれたお客さんに割引券を配っていました。 僕がカンテを辞めた10年前は「50円割引券5枚綴り」でしたが、2000年以前は「100円割引券3枚綴り」でした。今回の絵は、1986年の「カンテ・グランデ 大阪マルビル店」のOpen記念割引券の裏面のデザインですね。財布に入るサイズです。  全く新規オープンを思わせないこの鳥のデザインは、カンテに来られたお

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          第二章:カンテでの楽しかった日々 その05:カンテ資料館<そば猪口と真鍮のチャイスプーン> 第一章では、僕がどういうものに影響されて育って来たのかを、本や雑誌を中心に話してきましたが、ここからは、カンテ以前に吸収してきたものとカンテで吸収したものとが、どんな風に合体してレシピ本「チャイの旅」の完成に向かうのかをお話しようと思います。 このそば猪口が、僕がカンテと出会った何年前から使われていたのかは分かりませんが、オーナーが、ある時、作家もののそば猪口を見つけ、チャイを提供

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