最後に届くビール
いやはや、訳あっていま地方都市の古びたカプセルホテルでこれを書いている。昨日は海辺の道の駅で車中泊をした。突発的に家を出てきてしまったが、家以外に長時間身を落ち着かせる場所を探すというのはとことん難しいことを痛感する。仕事をしなくてもよくてただ自由に過ごせばよいならキャンプをするのだが、仕事をしないとなので…
昨日から仕事をするために2、3時間おきにカフェを渡り歩き、車内でも膝にパソコンを置いて文字を打ち続けている。道中のニトリで買った切り株風クッションが適度な硬さがあって、デスクとして思いの外重宝した。
今日は奇妙なほどに暑く、予想通り地方都市の寂れたカプセルホテルはエアコンがきいていない。地方都市のカプセルホテル然としすぎている。館内着を可能な限りはだけさせて、いや、もう完全にパンツ一丁になっている。掛け布団をyogibo風に成形し、そこにもたれかかるが、反発はなく、我が体重の形にひしゃげるだけである。
生身の太ももにマックブックを置き、予想の倍は熱い彼を叩きながら、なぜか今は見かけない懐かしい俳優は誰かいないかと思い浮かべていたら真中瞳を思い出した。今は改名して「東風万智子(こちまちこ)」というのか。改名にも程がある。愛してやまない奇妙礼太郎的な名前になりたい。
順番は前後するが、とにかくメシやら風呂やらを済ませて早くゆっくりしたくて、チェックインしてすぐに歩いていける距離の大戸屋に行った。大戸屋は相変わらずメニューが素晴らしく、ナスの挟み揚げにきのこの餡がかかったものを食べた。私の食べたいをよくわかっている。生小も飲んだ。
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昨日は道の駅から歩いて2、3kmの銭湯を訪れた。その銭湯の先には寂れた商店街が続いており、今回はそんな気分ではなかったのだが否応なしに旅情を掻き立てられる。地方都市の夜の商店街は、寂しい雰囲気を纏っているくせになぜか青春を思い出す。子どもの頃の夏祭帰りの夜道のような心細いようなワクワクするような名前のない感情になる。
私のような者でも入りやすく、かつ良さげな居酒屋を探したが、居酒屋自体の絶対数が少なく、仕方なく大通り沿いで一番居酒屋に近しいローカル和食さと的な店に入る。痺れるほど渋い食堂があったが、入る勇気が湧かなかった。
しらすおろし、角煮、おでん、焼き鯖寿司と生中を注文。しかし、ビールが来ないまま料理が勢揃いした。途中で店員さんにまずビールをお願いできますかと伝え、返事をもらったはずなのにその店員さんはその後雲隠れして姿が見えなくなった。
なんだかとっても寂しい。仕方なく別の店員さんにもう一度ビールを頼むと伝えて、しょぼくれながら晩酌した。なにげないしあわせがとてもしあわせなときもあるが、なんでもないことがとってもかなしいときもある。
そんな昨日を思い出していたら、イマイチな思い出だけどメシに関する思い出なのでやっぱり腹が減り、売店でカレーヌードルを買って食べ始めたのが今である。