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鹿フンとバレンタイン

年が明けた途端、時間の進みは加速度的に速くなり、2月なんてもう光の速さで過ぎていく。光の速さで駆け抜けかけたが、「おっと、バレンタインがあった」と後ろ走りで少し戻り、その思い出に立ち寄る。

もちろん職場などの儀式めいたバレンタインは不要と思っているが、バレンタイン自体は良い。14日の日にたくさんの若者や子どもたちの淡い恋心がゆらゆら動いていて、それをチョコに乗っけて伝えるなんてとっても微笑ましいことに感じる。

現在の私は、フリーランスおじさんという誰かからチョコをもらうにはかけ離れた肩書きだ。もうお返しのことを考えないで済むという気持ちは微量。むしろなんだかさみしくて、チョコと隣り合わせの若者たちのことが真っ直ぐ羨ましい。

今はもうバレンタインデー当事者から足を洗ったが、そんな私にだってバレンタインデーの思い出ってやつはあるのだ。

ひとつが淡く、しっかり甘酸っぱい思い出だ。

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小5の時にはじめて本命チョコをもらった。本命チョコどころかそれまで親族以外からチョコをもらったことなんてなかった。そして、中高と男子校だったこともあり(鉄板言い訳。いや中高でも付き合ったことはあるんだ)、チョコをもらう機会に恵まれず、小5でもらったこのチョコが最初で最後の甘酸っぱチョコとなった。

大学生となり、彼女からチョコをもらったことはあっても、もうそのチョコに10代でもらうチョコのような瑞々しさはなかった。

放課後に体育館でそわそわと市のドッジボール大会の練習をしていると担任の先生にちょっとこっち来いと呼ばれた。肩をぽんぽんと叩かれながら体育館の玄関に連れて行かれ、すりガラス越しに斜陽が差し込むそこに女子が1人いた。私の大好きな子だった。そしてチョコをもらった。

悶絶。「ひぇー、うれし恥ずかしー!」と心臓がバクバク。チョコを受け取る手も震えていた。普段から仲良くしていて、もしかしたらもらえるかもという予感があったので、アイドリングバクバクしておいて良かった。

まわりの友達にバレないようにリュックの奥に仕舞い込もうとするが、紙袋がリュックの端や教科書に干渉してうまく入らない。紙袋と中身をセパレートし、中身は大切にタオルで包み、紙袋も折れないように教科書の間に挟む。

手紙もついていたと思う。はっきりした言葉は書かれておらず、少しがっかりしたけど、彼女の書くか書くまいかの心の揺れ動きが感じられるかけがえのない手紙だった。

きっと私は耳まで真っ赤に染めていたに違いない。その時の自分の姿を想像すると、なんて愛しいのだろうと思ったりするのである。

喜んでいた私だが、すぐにピンチに直面する。ただの優しくて面白い太っちょだった私は人気者ではあったが、いわゆる異性の対象にはならないのだろうと子どもながらに悟っていた。

まさかまだ10を回ったところの彼女が私の良さをわかってくれるなんて。我が春はまだまだ先のことだと思っていたので、お返しとかどうすりゃええのわからん、あわあわとしっかり面食らってしまった。

悩んで、お菓子とスマイリーのシャーペンを用意した。これで良いのか本当にこれで良いのかと悩んでいるうちにホワイトデーがやってきて、スマイリーのシャーペンなんてもしかしたらダサいと思われるかもしれないから無難にチョコだけにしておこう、いやそれでは物足りないのでは?ええい、渡さないほうが逆にかっこいいだろ!などと色々なことを考えているうちに帰る時間になってしまった。チキンな私に小学生の下校時間は早すぎる。

そして数ヶ月間放置したのち、もう自分から渡せなくなって親を通じて渡すというダサく最低の行動を取った。そんなあかんたれな私だ。このことは今でも結構反省している。

反省はしているけど、今でもなんでもない日にしれっとプレゼントを渡すことはできても、本意気のプレゼントは苦手だ。きっと否定されるのがこわいのだろう。もう私はバレンタインからは足を洗った。今を生きる若者は後悔のないよう楽しんでくれ。

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そしてもうひとつの思い出は甘くも酸っぱくもなく、臭い。

この出来事を通過したがためにバレンタインデーの思い出は塗り替えられてしまった。バレンタインデーが近づくとまず想起されるのはこちらである。

今はもう退職しているが、数年前まで県庁に勤めていた。これは県庁に勤めて2年目のころ、もう10年以上前の話だ。

その頃はまだ職場の女性陣全員から男性陣全員に向けてチョコを渡すという風習が全然あった。集金して代表で誰かが買ってくるのだが、面倒だから誰も進んでやろうとはしない。

私が居たのは人数の多い課だったからなおさらである。そんななか、新年を迎えると共に配属されたバイトのガサツ系おばちゃんが唯一私がやると名乗りをあげたのだ。いきなりそんなことができるなんてすごい。

そして女性陣もまだ素性のわからないおばちゃんに任せることに一抹の不安を抱えつつ、やってくれるならやってくれと任せたのだろう。

不安は的中する。
バレンタインデー当日に用意されていたのはあろうことか「奈良の鹿のフンチョコ」であった。TもPもOも合っていないそのチョコが約50人分紙袋に詰め込まれている。

赤茶けたざらっとした再生紙のパッケージに鹿とフンのイラストが描かれ、フン型の小窓が設けられている。何っていうんだろうこういうの。上下がアーチ状になっていて箱とも袋ともつかない中間的な容器。円を押しつぶしたような断面。麻紐の輪っかとかも付いていた気がする。

綺麗な服に身を包んだお姉さんたちがフン袋を抱えて、俯きながら男性陣に配って回る。「これを50回やるのはきついぞ」と私は嬉々として眺めていた。

男性陣の顔も引き攣っている。そりゃあフンを正式に受け取る時の正しい顔など分からないだろう。とびっきりおしゃれな先輩が上品なフェリージのバッグに赤茶けパッケージをガサっと仕舞い込む。あれを家に持ち帰ってからどうするのかとっても気になった。

「これはすごいものを見た。最高」とほくほくしていると、ホワイトデーのお返しの調達をやってくれという話が舞い込んできた。

どうするのが正解なのか。アンサーソング的にゴリラの鼻くそチョコ的なのを返したほうが良いのかと悩んだが、そんな勇気はなかった。もうこれは勇気とかで解決できる問題ではなく、ネジが外れてないと絶対できない。

だから私は、あえてめちゃくちゃ頑張って用意した。複数のお店でチョコ、ミルクジャム、紅茶を買って、自分で小袋に入れてラッピングしたのだ。

そして当日何事もないかのように配って回った。鹿フンチョコとの対比により、鹿フンチョコの輪郭をよりはっきりさせてやろうと企んだのだ。センスの良さもアピールしてやろうという魂胆が小賢しいが、そうしかできなかった。この時のなんとも言えない空気を思い返してはひひ、と笑っている。

この場にいた誰かもこのことを思い出してふふ、と笑ってくれていたら良いなと思っている。後から笑えたならどんな出来事もオールオッケーだ。


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