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お金の失敗は、その人の貌(かたち)をしている

まるでリビングに置かれたちょっと良いボックスティッシュのように、
手を伸ばせばいつでもあると思っていたストックのお金は、その時もう無かった。

差し当たってとりあえず支障がある、という訳ではないけれど。
それは、今の日常が今後も日常であり続ければ、という前提でのこと。

もちろん今までだって、全くマズいと思わなかった訳じゃない。
それなりに、その時なりに、何とかやってみた。
ただ、続かなかった。

継続は力なり
 従いまして
三日坊主は無力なり

のらりくらりと逃げ続けていた自分の欠点から、とうとう目を背けることが出来なくなった。

心のどこかでいつもいつも、お金のこと、それに連なる自分の意志の弱さを抱えている状況は、知らず知らずのうちに会話をする相手に届いていたみたいだ。

言葉を交わすいつもと同じメンバーが、今まではしなかった、お金の、しかも失敗した話を口にするようになった。

少額のカード未払いを放っておいて、クレジットカードが当分作れなくった、とか。
その時の職場の雰囲気で、高価な装飾品を買ってしまった、とか。
インフラ関連おまとめプランで家計の節約をしようとしたのに、家族が支払いサービスをガンガン使ってて、割引なんてとっくに相殺されてる、とか。

それぞれが日々を精一杯生きる中での、片隅の綻び。
その失敗は、なんてその人、なんだろう。

お金の失敗は、その人の貌をしている。

そう感じたその時に、どこか涙にも似た愛おしさが湧きあがった。
その失敗が、話してくれたことが、そしてダメだダメだと思っていた自分自身にさえも。

お金に関するセオリーは、世の中に溢れかえっている。
でもそれらは、皆どこか同じような顔をして、同じ方向を見ている他人、そんな感じがしていた。
けれど。

失敗のかたちが人それぞれであるならば、成功もまた然り、なんじゃないか。

私は、私の貌をしたお金の成功を、探しに行こう。


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