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『介護と働く』 #09:父の帰還 -ひとり立ちのとき不安と準備と-

父、帰還する

2月の終わり。父がリハビリ病棟から自宅に帰ってくる日を迎えた。
ついに、在宅介護が始まる。

父の帰還をお天道様も歓迎しているかのような、雲ひとつない美しい晴天だった。

朝10時、退院の手続きを済ませ、お世話になったソーシャルワーカーや看護師のみなさまに見送られて、私たち家族は父と共に送迎タクシーに揺られながら我が家に向かった。

1時間後、父は我が家へと帰還した。

我が家にはこの日を無事迎えるため、父の居場所をセッティングしていた。電動ベッドに始まり、(痰の)吸引機、酸素注入器など機材は準備万端。さらに、24時間介助が必要な父の生活を支えるため、家族の介助スケジュールも整えて体制も準備万端だった。


新しい1日への不安

しかし、私たち家族は不安な気持ちでいっぱいだった。

これまで介助講習を受け、自宅に帰った後行う介護の仕方は学んだはずだったが、いざ看護師さんのいない素人だけの環境で大丈夫なのだろうかと。

痰の吸引がうまくできなければ、父は死ぬかもしれない。
酸素をうまくあげられなければ父はひどく苦しむかもしれない。
体位変換をうまくできなければ床ずれを起こして父は痛いかもしれない(けれど父は痛いと声をあげられない)。

私たちがひとり立ちをする日は、父を我が家に返してあげられたという充実感より、父に何かあったらどうしようという不安感で溢れていた。

そんな私たちの不安をよそに、その時は意外とすぐにやってきて、教わったことを必死で実行していった。

そして、その日はあっという間に、何事もなく過ぎ去った。何なら、車いすに移乗して家族4人で帰還の記念撮影をする余裕さえあった。(恥ずかしいのでここには載せないが、少し微笑む父の姿が写っている…)

きちんと準備とシミュレーションをしていれば、新しい日々も満足に過ごせる。私たちはなんとかやっていける。そんな自信が芽生えた1日だった。


誰よりも準備したと思えるか

いざやってみればなんてことはないのだから、何事も挑戦してみなさい、というのはご最もなのだが、私がこの日の経験でなにより感じたことは、準備の大切さである。

仕事をしていれば新しいことに向き合う瞬間(もしくは向き合わざるを得ない瞬間)は数多くある。

新入社員として仕事を始めたとき。異動して新しい仕事を始めたとき。いままで経験したことのない業務をお客さんに提供しなくてはいけないとき。転職や複業を始めて新しい環境に身を置いたとき。些細なことも含めればもはや毎日がそうかもしれない。

私の場合で言えば、自分より仕事を長く続けている方や専門的な方などがいる大勢の面前でセミナーをするときなんかもそうだ。

失敗したらどうしよう。

そんな負の感情で満たされることもある。

しかし、それを払拭してくれたのは、いつだって誰よりも準備をしてきたという自信だった。

誰よりも勉強してきた。誰よりもその分野で人の話を聞いてきた。誰よりも現場に赴いてきた。そして誰よりもそれを伝える練習をしてきた。

ここで伝えたいことは、準備をするのは当たり前であって、「誰よりも」と思えるほど準備をしてきたかが重要である。


対峙する相手に満足してもらう準備

また、現実的に誰よりもやったかということよりも、誰よりもやったのだと自分を納得させられたかどうかが、新しさの不安を払拭する意味では重要だと思う。

というのも、実際に誰よりもやっているかを問えば、世界には自分以上に長けた人はいる可能性がある。それを突き詰めたら自信をつけるのにかなりの時間がかかるだろう。(オリンピックで金メダルを取るのと同じこと…)

つまり、相対的にではなく、絶対的に自信を持てているかが重要だ。他の人よりできていると考えるのではなく、自分自身が(その状況では)きちんと準備できている、と感じることである。

例えば、セミナーやプレゼンで目の前にいる人にその重要性を伝えようとしたとき、伝えるストーリーや文脈が「対象者にとって」興味を持って耳を傾ける価値のあるものか、そのことに対して自信を持てればよいのではないかと思う。要するに、ターゲット不在のどんな状況でも「誰よりも」やれている感覚は得るのが難しいが、ターゲットを絞ってその人たちが満足できそうであれば不安は失せるはずだ。

私たちの介助も、「父」というターゲットと対峙したときに限りうまくできていて、これからもやれるという自信がついた。(実際病状や関係性の異なる人にも同じことが通用するわけではないだろう)

準備をしたという自信が、新たな日々を後押ししてくれる。
そして、その自信を確固たるものにするには、「誰よりも」準備をした感覚が含まれていることが大切である。
さらに、その「誰よりも」を感じるためには、ターゲットを特定して、その人がどうしたら満足するか想像して準備することが重要なのではないか、と私は思う。

ひとり立ちの日は怖かった。でも、恐怖こそが準備を駆り立て、私ならやっていけるという自信を芽生えさせる。臆病というのもまた悪くはないのかもしれない。


おわり

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