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20代で『商売の楽しさ』を知りました

どこのどいつかわからない人間が書いた記事に「いいね」を頂きありがとうございました。

現在、46歳。今月末で47歳になります。
今までの転職回数は4回。多いほうでしょうか? 周りの40代に聞いたら、まぁ似たような感じでしたが。たまに10回以上の強者もいますが、相当セルフプロデュースがうまい方なんだなと感心しています。
今は、ITの世界のプロジェクトマネージャーやディレクターを職としてやっていますが昔は全く異なる職業に就いていました。

1社目
カラオケ屋。『女々しくて』を歌っているグループに同じ名前の方がいるカラオケ屋さんです。
大学を卒業してから29歳まで勤めました。
超氷河期と呼ばれる時代で所謂大手とよばれるところ(リク〇ートやN〇Kなど)は軒並み落ちましたが、このカラオケ屋に関してはあっさりと決まりました。
リク〇ートさんでは1次面接で大学名を名乗った途端に『ちゃらい大学に行っているね』と言われ、そのままフリーズして何も言えなくなってしまい見事に落ちました。

もともと大学生の時に接客のアルバイトばっかりやっていたのですが、大学3年生くらいに出会ったコンビニでのアルバイトが僕を飲食の世界へ導いてくれたのかなと今は思います。
そこは僕と同じ年くらいの社員さんがいるコンビニで、他のスタッフもほぼ同年齢。
基本わいわい楽しくやっていました。基本というのは、仲間と思っていたやつが実は新興宗教にはまっていて、同じく働いていた(その事実を知らない)女の子がそいつに呼び出されて、そのまま軟禁されてしまい(入信しないと帰らせてくれない)それをバイト仲間で救いに行ったりとか。
当時は珍しくデリバリーをいたのですが、「や」がつく方々に、レンチンが甘いから『タダにしろや』とか、店で売っていない『タバコを買って来いや』と言われたりを無視していたら軟禁されてしまい警察を呼ぶという。
軟禁ばかりですね。。。あ~この後、軟禁がまたあるのを思い出しました。

そんな感じで楽しく?過ごし、その内に発注や入金や何故か一次面接も任せられるようになり、時給も700円代だったのが1400円くらいに(夜勤ではなく)
売り場も自分たちである程度好きなようにさせてもらったのも大きかったです。当時僕たちアルバイト仲間の中で「シェルパティー」という紙パックのお茶が流行ったのですが、それを『これは世の中に広めんとあかん』という訳がわからない使命感で紙パックコーナーに5列並べるという暴挙にでたのですが、それが功を奏したのかバカ売れしたり。

こんなパッケージだった気が

そんな感じで仲間とわちゃわちゃとしながら店を作り上げていく、自分達が勧めた商品が売れていく、時給も上がる。それが楽しかったです
卒業後もそういう世界で働いてみたい、最終的に自分達の店を持ちたいという気持ちで飲食業界も受けていて引っかかってくれたのがカラオケ屋さんでした。

新卒での年収は300万くらいだったと思います。
同期は40人程いたと思いますが、1年半程で私と総務にいた女の子以外全員辞めました。
本当つらい職場だったと思います。カラオケ屋ですからもともとが夜の商売ですのでトラブルも多いですし、昼夜逆転した生活が続きますし(特に新卒は夜勤をやらされることが多かったです)

ルームでHしたまま放置したのを片付けたり。。。テーブルがびちゃびちゃなのを拭くのはつらかったです。
これまたルームで(男性同士の)AVの撮影をしてたりしていて、その現場を見た20代の僕はさすがに凹みました。

あと、店の女性社員の態度が悪かったということで、「や」のつく方々に軟禁され(あ~ここで軟禁出ましたねw)
『誠意を見せろ』と迫られ
『誠意って何ですか?』と言ったら
『1本』と言われ
『1本って何ですか?』と聞いたら
『100万』と言われ
『防犯カメラここついてますよ』と嘘をついて難を逃れたり。

あと、歌舞伎町店で働いていた時に、これまた「や」のつく方々に
『包丁かせ』と言われ、嫌な予感がしたので
『包丁、店にないんですよ』と言ったら
『料理はどうしてるんや』と言われ
『全部、レンチンでして』と言って引き下がったと思ったら、
しばらくして
『氷もってこい』と言われ、何だろうと思ったらビニールに入った小さい指だったりで、しかもそのルームを片付けしたりして。。。

チーマーにルームガラス全部割られたり
渋谷109前で夜中に土下座したり
もういろんなことが起きました。
所謂、夜の世界を知ることが出来ました。
もう20年前くらいの話なのでさすがにもうそんなことはないとは思いますが。。。
そんな感じだったので1年半も経つと同期はもう残っていなかったです。。。

そんな感じで勤めていたのですが、入社して1年半くらいで店長になりました。そして、その店長の采配一つで店の売り上げがこんなにも変わるんだというのを身に染みてわかり商売の楽しさを覚えました。
采配一つで前年比150や200%とか本当にいくんです。
例えば、ルームの埋め方とか。2~4人の部屋にピーク時に4人をいれたいので、あえてピーク前に大部屋に2人とかつっこんだりとかしながら多くの4人部屋をフルに開けておいてピーク時に4人部屋を埋めます、この回転率と部屋単価を気にしながらその日の部屋稼働を決めていく。
また、ご案内(所謂キャッチ)の配置によって売り上げが大きく変わったりとかもします。単価が高く且つ流行っている居酒屋にくるサラリーマンを狙ってそこにご案内の人間を立たせり、キャバクラのアウター狙いでご案内の人間をキャバクラ前に立たせたりとか(店長経費でキャバクラに通って揉めないようなこともしてました)
更に時給も采配ができるので、できる子にはガンガン時給をあげることもできましたし、店に出る賞金でみんなで高級焼肉食べに行ったりとかしてモチベーションを上げてもらったりとか。
大変なことも多かったのですが、店をつくっていく楽しさと売り上げを叩き続ける楽しさがそこにはありました。
この当時を図式として表すならばこんな感じです。
商売の楽しさ=売り上げを上げる=店をつくりあげる』
※ただし、この時点では「お客さんの喜び」に関して追及は薄かった。

この数字に興味があるというのはプロジェクトマネージャーやディレクターという職種にとって大事な要素だったなと今は思います。
ですので特にプロジェクトマネージャーを目指したい方は、数字に興味があるかどうかを自分に投げかけてみてもいいかもしれません。

さてカラオケ屋に話は戻りますが、29歳くらいには年収560万くらいになっていたと思います。年齢の割にもらっていたかなとも思います。
ただそのころに結婚も子供もできたのですが、まぁ中々家に帰れない、子供の顔が見れない状況が続いたのと、売上ノルマ(前年の自分を超えないといけないというw)が厳しくなったのと、このまま定年までこんな大変な仕事をやっていく自信がなかったのとで
辞めました。

奥さんに何と言って辞めたかというと
『俺、小説家になる。俺、直木賞作家になる。だから1年俺に時間をくれ』
というセリフでした
次回、『俺、小説家になるってよ』です!?


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