オトナはコドモを信じてくれ。
私には1歳と3歳のこどもがいます。こどもと接していると、このヒト将来大丈夫かな?と疑うこともしばしばあります。
最近は3歳の娘が毎日「保育園にいきたくない。」と訴えてきます。理由を聞くと「先生がトイレにいったらダメ」と言ったからだそうです。そんなこと先生は言わないし、言ったとしても何かしら事情があったと思います。
だけど私は、何があってもこどもを信じようと心に決めています。「ほんとに?」と疑うような言葉もこどもには絶対言いません。「そっか、それはイヤだね。」と受け取り、こどもが感じた“イヤだったこと”を解決すべく先生と会話します。
過保護かどうか、嘘か本当かは関係なく、こどもの言っていることを信じるために親は存在するべきだと思うんですよね。こんなワガママで、他の子と同じように保育園に行けない、だからちょっと将来不安だなぁと妻が言います。だけどこれからこどもが、自分で選択して歩んでいく未来も信じてあげることが大事なのです。
「オトナはコドモを信じてくれ。」
突然そう思ったわけではありません。中学校の美術の筆記テストのときです。落ち着いて問題を解けば誰でも良い点が取れるような筆記テストでした。そのテストで私は散々な結果だったのです。
手応えあったのに...。授業中に行われた解説と採点結果をみ比べてみると、どうみても私の解答は合っているのです。
それで先生に「僕の解答合ってると思うんですが...。」と言いにいきました。すると、とんでもない返事が返ってきたのです。
「こんなに採点間違うはずないじゃないか。お前これ今書き直したんじゃないか?消しゴムで消した跡もあるぞ。」
これを聞いた私は心の中で、
「えええええええ〜〜〜〜〜!!!!」
と叫びましたよ。なにも言わない私に、
「ちょっと考えさせてくれ」と先生は言ったのです。
悔しくて涙がでてきます。その涙が溢れないように、友達に悟られないように席に戻りました。
あとあと、「今回は信じることにする」と怪訝な表情で訂正した採点を返された私が、そのテスト用紙を破いて丸めて捨てたことはどうでも良いですね。もう手遅れなのです。
私はこどもにはそういう体験をさせたくない。