見出し画像

絵を描く私が平日に会社員を続けている理由

私は個人で4年前から本格的にイラストレーションを描いているが、平日はフルタイムの会社員として小学生向け通信教育の教材を企画・開発する仕事をして、かれこれ10年以上になる。

私の平日の仕事を朗らかに表現すれば、「教材というメディアを通して、全国各地の小学生の毎日を応援する仕事」ぐらいの感じになる。全国の子供たちのために学習テキストや動画レッスンを作ったり、勉強の目標を達成した子へのごほうび用にゲームやノベルティを作っては告知したり。それ楽しいんじゃないと思う人もいるだろうし、実際とても楽しい。

ただ、忙しい。そして精神的な余裕が無い。
子供の教育に携わる者としての責任感と倫理観のフル稼動がベースで、教材はカンペキなのが当たり前。想定外が重なると終電間際が続く日もあるし、うまくいかない企画会議で白熱バトルして疲弊する日もある。私自身、諸々の事情が一気に重なりまくって軽くメンタル終了しかけたこともある。メンタル豆腐で不器用な私は、(あれもこれも、とても無理だ…ああ、みんな一体どうやって乗り越えているんだろ…)と落ち込むのが日常だ。

といっても、別に会社の悪口が言いたいわけではない。教育を本気で仕事にするというのは、ある程度そういうことなんだと思う。
正直いって、片手間でできるような仕事ではない。

だから、4年前にイラストレーションを描くようになって以来「会社員である自分」の取り扱いには随分と悩んできた。周囲には「趣味があって楽しそうで良いね」と言われるけど、私は絵については本気なのだ。子育て欲よりも、絵を描きたい欲の方が強いくらい、創作に賭けている。
かといって平日の仕事も真剣勝負なので、絵と平日の仕事を完全に両立させるのは難しい。10年以上も狭い世界で働いているのでキャリア的にも不安だし、これから先、どういう働き方をすればいいかもよくわからない。

それでも今まで仕事を続けてこれたのはどうしてなのか

転職や退職が脳裏をよぎることも、なかったといえば嘘になる。毎日転職サイトを見てた時期もあったし、いろいろな人に話を聞きにいっては考え続けてきた。それでも結局のところ、イラストレーションは別にすると、今より魂を燃やせて自分の人生にフィットしそうな場所に出会えていない。それは一体、どうしてなんだろう。

単純にものづくり・編集という仕事が楽しいというのはある。だけど、自分の化けの皮を剥がしながらつきつめていくと、ずいぶん個人的な、そして根深い動機にたどり着いた。それは、イラストレーションを描くようになった動機とも共通している。

要するに私は「子供時代の私自身を救いたい」のだ。 

鍵っ子だった私の子供時代。絵本や漫画や音楽が日々を支えてくれていた、内向的な子供時代。芸術で生きていく人生に無邪気に憧れながらも、地方都市の中流家庭育ちで文化に触れる機会も少なく、広い世界を知らずに育った。学校と家庭の狭い世界で、優等生でありつづけることが生存戦略だった子供時代の私は、自分の欲望をうまく吐き出すことができなかった。そんな子供時代への後悔を、大人になっても長いこと引きずってしまった自覚がある。
もちろん、環境のせいだけじゃない。真に才能に溢れた人はどこに生まれたってちゃんと頭角を表すのだろう。だけど、もし子供時代に一流の学びや多くの選択肢に安心して触れられていたら、自分の人生はもう少し良い形で明るくひらけていたかもしれない、という後悔(怨念)は今も私の中に残っている。

私は自分が作る教材を手にする子供たちに、同じ後悔をして欲しくはない。
「あなたは一人ではないし、価値がある。いつもあなたを応援している」
そういう子供だった私が心から欲しかったメッセージを、教材を通して届けたいし、知りたかった選択肢を、教材を通して知らせたい。そんな個人的な動機が原動力にあったから、私はしぶとくこの教材制作の現場で働き続けている。

子供の頃にうけとったメッセージは、人生を少しずつ左右していく。家族や学校の先生、友達からダイレクトにうけとる言葉にはかなわなくても、「教材」というメディアが誰かの人生を動かすこともあるんじゃないか。そう考えながら働き続けてきたことに今さら気がついた。

やりたい仕事が、まだまだある

だから私が作りたいのは、「自分が子供の頃にあればよかったのになあと思う教材」だ。言葉にすると凡庸かもしれないけれど、例えばこんなことを教材で実現したい。

・本当に自分がやりたいことが学べる
・ものの見方や考え方を広げられる
・学ぶことは苦行ではなく、楽しいことだと思える
・正解がない問いを恐れず、クリエイティブに答えを出せるようになる
・自分の軸を持って、主体的に判断できるようになる
・社会の多様性を大切に思える

…どれも自分には足りないなあ、もっと欲しいなあ、どうして誰も教えてくれなかったかな、なんて常日頃思っている力ばかりだ。会社員という立場でも、めざしたい社会の姿とか、届けたいメッセージが起点にある教材を作りたい。
やりたい仕事が、私にはまだまだあるんだ。

教材づくりの仕事はイラストレーションと同じ、私の存在証明

気づいてみれば、イラストレーションも教材も同じ、「今の私の存在証明」だったのだ。「子供時代の自分を救いたい」なんていう個人的で内向きな動機で万人向けの教材を作るのがいいことかどうかはよくわからない。でも、わたしのように大人になってから本音をグズグズ出す人生は、ちょっともったいない。同じ思いを子供たちにさせたくないし、私自身も悔しいから、なんとかして自分の人生の舵を取りもどしていきたい。
表現に飢えていた子供時代を、「絵を描く私」と「教材を作るもう一人の私」の両方の手で取り返す。時間は有限だ。焦る。でも、世の中に誇れるような絵も教材も生み出したい。私だって負けないよ!と子供達に張り合う気持ちすらある。そうだ、私はまだ子供時代を生きている。

正直、仕事と絵を両方全力でやるにはどう考えても時間が足りない現状は、気の持ちようを変えただけでは解決しない。そのバランスにはまだ迷っている。でも、少なくとも今この瞬間は、「よっしゃ、どっちの山も登ってやるぞ」と私は思っているらしい。だから今日のところはそういうことにしておこう。


…とりあえず待ってろ、子供時代の私。

いただいたサポートは、イラストレーションの製作費として大切に使わせていただきます。