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12歳向けの本を書く。それは苦行だった。

田中宏和著『響け、希望の音〜東北ユースオーケストラ からつながる未来〜』執筆悶々七転八倒記です。

書影帯付き

1ヶ月ほど前の12月28日に10年ぶりとなる書籍を出すことができました。
同姓同名の田中宏和14名著の『田中宏和さん』(リーダーズノート刊)以来となる、田中宏和著『響け、希望の音〜東北ユースオーケストラからつながる未来〜』(フレーベル館刊)がそれです。
これから「12歳向けのノンフィクション本」を書くことになるかもしれない方の参考にでもなればと、執筆記をのこしておきます。
(ちなみに10年前の書籍広告は今もネット上の面白画像として回覧され中)

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もうすぐ10年を迎えようとする東日本大震災。その直後の2011年4月に音楽家の坂本龍一さんの熱い思いを聞くことからはじまった、被災地の学校の楽器の点検修理のプロジェクト「こどもの音楽再生基金」から発展し、2013年のルツェルン・フェスティバルの復興イベントからスタートした東北ユースオーケストラのこれまでのあゆみをまとめた本を書きました。
まずは、そのきっかけから。

2019年にこれまでの活動が評価され、久留島武彦文化賞なる表彰をいただけるとの知らせを受けました。その久留島武彦さんが19世記生まれの「日本のアンデルセン」と称された偉人であることもよく知らぬまま、「いただけるものはいただいておこう」とばかりいそいそと授賞式に臨席しました。その流れで参加した懇親会でフレーベル館の編集の方から「これまでの軌跡を小学校高学年向けのノンフィクションとして出版しませんか」とふいにお声がけいただきました。「懇親会」を軽んじ、あなどってはいけないですね。そこに、ただいることで、ボールが回ってくることがあるのです。
しかし、持ちかけられる出版の話なんぞパーティジョークみたいなものだと話半分に受けとめていたら、ちょうど今から一年ほど前、2020年の年明けに本気の相談事としてお話を伺うことになりました。

「12歳向けノンフィクション」という困難

フレーベル館に入社して児童書ひとすじ編集歴10年という渡辺舞さんから、「どなたか東北ユースオーケストラをずっと取材している記者の方とかいらっしゃらないのですか?」とのお尋ねに、「うーん、最初から? 心当たりはないですね。でも記録と言えば、わたしが書いていたホームページのレポート記事はありますが」とお答えしました。そうなんです。オケのキックオフとなった2015年の夏の沖縄県宮古島合宿から、旅先の団員を心配される保護者向けに子供たちの様子をできるだけクイックにお知らせする必要に迫られ、ブログを綴って写真とともにホームページにアップしていたのです。これまでの記事、題して「引率の先生は見た」のストックは使えるかもしれない。さらにうちには読者想定の12歳の長女がいるし、娘に向けて語るように書けば本になるんじゃないか。しかも自分が著者となれば印税分をオケの活動費に充てられることができるかもとのことだし。

「編集部で検討した結果、田中さんに著者になっていただこうと決まりました」という知らせに、「では心を決めて書きますよ!」と小躍り気味に安請け合いしたのが大間違いだったと、その後の呻吟苦悩で何度思ったことやら。甘かった。執筆過程で3度ほど「もう本を出すのはやめ。もういいや〜、嫌だ〜」と思った難産の末、今や無事に自分の両手におさまる書籍を見つめ、自己満足に過ぎない達成感をしみじみ味わっています。

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何に難儀したかと言うと、「12歳向けのノンフィクション本」という書籍の設定に合わせて「書く」という行為ですね。ふだん使わない脳や心臓や筋肉を立ち上げることで、いつもは何気なく行っていた「書く」回路がたびたびショートしました。加えて「本にする」という過程も決して平坦ではありませんでした。
去年の3月、毎年の定期演奏会が新型コロナウィルスの感染拡大のため悔しくも中止になってしまったあと、緊急事態宣言に入ったあたりから、ゆるゆると本の全体構成の検討からはじめました。

全体構成は、わかりやすさの極み、起承転結に。

編集者からの「出だしは2012年の坂本さんと津波で被災したピアノの出会いからはじめてください」という提案を受け、序章にあたる「まえがき」はそれにしたがうとして、本編の展開は小学6年生にもわかりやすい「起承転結」にしようと決めました。ベタこそ、すべて。「オール・ユー・ニード・イズ・ベタ」と割り切ろう。
そこで考えたのが、

「まえがき」は、2012年1月の坂本さんと宮城県名取市の高校での津波ピアノとの出会い。

「起」は、311から東北ユースオーケストラができるまで。

「承」は、東北ユースオーケストラの初めての演奏会まで。

「転」は、団員による有志演奏会の葛藤。

「結」は、東北から熊本、全国につながっていくまで、そして新たな挑戦。

せっかくなので、これまで聞いてきた団員の体験談もコラムのように入れたい。とすると、4つの章は「楽章」と表現し、その合間に「間奏曲」として311の特異な経験をした団員の独白の聞き書きをはさみこもう。津波と原発事故の体験を小学生にも読みやすく実感できる記録として残せたらと思ったのです。

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(実際の書籍の目次ページです)

ここまでが去年の6月に入ったくらいだったでしょうか。編集者からも「この構成は素晴らしいです!」との後押しの言葉をもらったので、まずは全体の構造が見えたのでひと安心。

ひたすらインタビュー、そして「事実確認」が「書く」こと。

それからは部分となる材料を集めるために、あらためてインタビュー取材を徹底してやりました。現役OBOGの団員、関係者など総勢20名は超えました。これはコロナ禍であったからこそできたことだと振り返ると思います。東京だけでなく、福島宮城岩手とあちらこちらに住む人たちに電話やLINE、Zoomなどでつないで話をすぐに聞けた、この取材のデジタル・トランスフォーメーションが無かったら、この本は生まれなかったでしょう。これらインタビューと同時並行して、本のコンセプト、テーマ、タイトル案、登場人物の構造的整理と人物登場のタイヤグラム、フレーズ集、などを書いていきました。その取材メモはロディアのメモ帳2冊、コンセプトメモはモレスキンの手帳1冊になりました(ポストイットでどの章に活かすエピソードかを色分けしました)。

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これまで団員に311の体験談の聞き書きをホームページに掲載する際も、ほとんど録音は録らずに、その場でキーワードをメモして、それを頼りに間を置かず、本人の独白スタイルにして書くということをやってきたので、今回もできるだけそのやり方を踏襲しました。あとでインタビューを再生すれば良いと思うと、油断してその場その時の緊張感や集中力が出ない気がするからです。しかし、今回は「ノンフィクション」の記録として残すために、細部の事実確認作業が最後の最後の校了まで必要になりました。そのため何度も追加で質問をさせてもらった人たちもいます。
「その時に吹いていたのはピッコロ? フルート?」
「当時の弟さんの年齢は?」
「レンタカーは何駅で借りたの?」
ノンフィクションの書籍をつくる責任と大変さを味わいました。先にも述べましたが、取材のDXなかりせば、この何倍も大変だったかと思うと気が遠くなります。

黒い手帳のほうには、さまざまな言葉をあれこれ思いついては書き連ねました。

コンセプトは? テーマは? タイトルは?

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これは団員のみんなを描く時の「基本スタンス」のようなものですね。
それぞれ各人各様の311なのであると。これは、出入り自由で、楽器の演奏技術を問わない、東北ユースオーケストラの開かれた姿勢とも重なるかもしれません。

そして、このノンフィクションに潜り込ませたい「テーマ」もいくつも考えました。

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このテーマの考察、探究については、オケの監督である坂本龍一さんの思考=志向をとても意識しました。やはり坂本さんあっての東北ユースオーケストラ であって、その活動を書籍化するからには、ご本人が眼を背けるものにはしたくはありません。
わたくし自身も考え続けている、「人間と自然の関係」については、本の基調低音のようにしたいと思いました。”耳をひらく”は坂本監督が団員とのワークショップでよくお話になる「音」への向き合いでありますし、折に触れ語られる、そもそもの「音楽の力」を押しつける態度への疑念。2017年にリリースされたオリジナルアルバム『async』でも表現された、「音楽」(music)ではなく「音」(sound)をつくるという志向性。
そんなこともあって、本に流れる時系列の「軸」として、こんな言葉を書き留めたのだと思います。

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という考えを巡らせているうちに、本のコンセプト(基本的な考え方)というか、ゴールが浮かびました。

遠大なゴール=コンセプトを据え、執筆スイッチを入れる。

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せっかく本にするのだから、これくらい遠くて高い目標を掲げて書きはじめよう。でもその後、「世界中の12歳」だとぼんやりするから、本書にも名前だけ登場するグスターボ・ドゥダメルさんに敬意を払い、「ベネズエラの12歳の男の子」にしようと決めました。そのため、仮に翻訳されることを想定して、今の日本の時事的な現象はできるだけ触れないようにしよう。「スマホ」と書いても、「あー、そんなモノを100年前は“スマート”と表現したんだ」と笑われるくらいであればOK。いま読む「人力車」にあたる感覚をもたらすような事物は書籍に刻んでおこうと決めました。

ついでのタイトル案は仮で意識のかたすみに置いておこうと、

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「テーマ」については、さすがに地球的視点での「民謡とは何か?」は手に負えないと思い、3つに絞り込みました。
(書きはじめのメモより)
テーマ:
・自然の中でともに生きる他ない人間にとって、「自然」とは?
・音が「音楽」になるとは?
・人が人と何かを成すとは?(ダイバーシティ&インクルージョン)

いざ書きはじめたのが7月1日、第一回の原稿の締め切りは7月末に迫っていました。

「一人称で書くのは無理です!」と拒絶を続ける。

実は書籍の「序章」にあたる、今回の本で言うところの「前奏曲」となったパート、2012年1月の坂本さんと宮城県名取市の農業高校での津波を受けたピアノとの運命的な出会いについては、あっという間の自動書記のようにすらすらと書けました。実は最終的に書籍に残った分量の5倍ほど書いてしまったのですが・・・。しかし、「あ、これはいけるな!」という手応えを感じました。
わたくしとしては、ナレーションの無いドキュメンタリー映画のカメラのように、状況を描写していけばいいと思っていたのです。
しかし、その前に編集者からもらっていた依頼のメモの一番目には、

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これについては、生理的とも言える拒絶感がありました。
「自分視点は必要ですか?」
「そもそも日本語には一人称は必要無いと主張する言語学者もいますよね」
時枝誠記とか、三上章とかは読んでいるのかなと思いつつ、
全体構成を考えはじめてから2ヶ月ほど抵抗をし続けました。
「やはり一人称で書くのは無理です!」
長らく文章を書く時には、キャラクター設定として「わたくし」を使用していましたが、ふだん暮らしている中では一人称を発しない、使わないことがほとんどです。
口にするとしても「ぼく」「俺」「わたし」「お父さん」など、時と場合と相手により変化します。
「ドキュメンタリー映画の巨匠」と敬称されるフレデリック・ワイズマンのように、ナレーションは不要。東北ユースオーケストラの歴史を第三者の客観カメラのように物語り、描写していけばノンフィクションのストーリーとして成り立つはずという目算があったんです。そこには意図せず「自分」ならではの表現みたいなものが否応無くにじみ出てしまうはずだし。あえて「自分」なるものを一人称にして語りしゃしゃり出るのは嫌だな、格好悪いなという、ま、美意識みたいなものです。同姓同名コミュニティを長らく主宰してきた者としては、同じ名前のもとに自他が融解する法悦を好んできたわけでありますし。
例の黒い手帳をめくってみると、こんな書き込みをしていました。(もはや本を書くということ自体を投げ出したかったのかもしれませんが)

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あらためて読み返すと相当悩んでいたんだなと自分でもわかります・・・。
ひたすら「一人称で書くのは無理」と唱え続けたのですが、担当編集者からは「小学校高学年が感情移入しやすいように、田中さん主観の一人称で書いてください。」「そうでないと困ります。これだけはどうしてもお願いしたいです」と寄せども返す波のごとく、切願懇願雨霰を受けるのみ。
どこまでいってもこの平行線状態では、どうにもこうにもまずいなと思っていた書きはじめ前の6月末。20年来の友人編集者たちとZoom飲みをしてみたら、「そのフレーベル館の編集者の意見はわかる。最初に自己紹介入れて、あとは気にせず書けばいいんじゃないの」との指南を受け、「じゃあ、これまでの”書く”スタイルを捨てて、もう後ろ向きに歩くぐらいの気持ちで書くか」と腹をくくったのでした。そして、もう一人の元編集者、現大学教授からも「原稿用紙200枚なら3週間缶詰と決めれば書ける!」とのアドバイスをもらい、意を決して書きはじめました。「わたし」が誕生しました。

書きはじめると、書き過ぎた。そして、団員の描き方は?

書くにあたって、12歳が読める漢字かどうかは気にしよう。できるだけ難しい熟語、語句は避けよう。
それだけを意識して、いざ「わたし」となりきって書きはじめると、すいすいタイピングが進み、第2章にあたるところまで書けたのです。たしか1週間もかからなかったはずです。「もう半分書けた」と、このスピードで驚かそうと編集者にメールしたら、「これはかなり削っていただくことになるかと・・・」との狼狽あらわな返信が届きました。
書くにあたってWord上の見開き1ページを1ページとカウントしていたのですが、それが書籍の2ページ分だったのです。つまり2倍書いてしまったんですね・・・。
それから「大人の登場人物の人数はできるだけおさえてください」と。結局、「わたし」部分を削って削って、中身を見ずに圧縮袋に入れるようにして物理的に半分にしました。せっかく書いたものをすぐに捨てる。「何をやっているんだろう」と自分の身を削る思いでありました・・・。
それから、後半の第3章、第4章に取りかかりました。しかし、この後半は執筆に取り組む前から難所になるだろうと予想していました。取り上げる団員による有志演奏会には立ち会えていないものがほとんどでしたし、2019年の熊本でに地元ユースオーケストラ との共演は他の仕事が忙しく、引率できなかったからです。とにかくいろんな人にインタビューして埋め合わせ、頭の中で映像として立ち上がらせて言葉に置き換えるしかなかったです。その時に助けられたのは、これらの活動を日本テレビNHKのテレビ番組にしてもらった記録でした。中でも石巻での有志演奏会まで取材してもらった日本テレビのニュース番組の担当ディレクターには、密着ならではのディテールに及ぶ現場取材での示唆をインプットしていただけたので、たぶんそれがなかったら物語にできなかっただろうと深謝あるのみです。

まずは、東北ユースオーケストラの団員に共通するキャラクターをこのようにまとめました。

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対称的な二人、復興についての考え方の対立を描く。

有志演奏会における登場人物の時系列の場面ごとのダイヤグラムをつくりました(これとは別に書籍全体版もつくりました)。

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まだ新型コロナウィルスの国内感染が広がる前の、昨年2月の福島市での合同練習会を視察した編集の渡辺さんが、練習の合間に団員にヒアリングしてみたところ、「どうも有志演奏会で対立があったそうなので、それを描いて欲しい」というリクエストをもらっていました。編集者は刑事のような聞き込みをするのだなと感心しました。
団員が自主的に企画、実施する有志演奏会は、東北ユースオーケストラ の良さであり、このオケの存在意義の一つでもあります。これまでの有志演奏会で、第1期からの大学生団員であるトランペット担当のユウトとチューバ担当のユウタの同級生の二人に意見の食い違いがあったとは知っていたものの、それをあえて根掘り葉掘り調べていませんでした。事件ではありませんからね。しかし、今回の書籍化にあたって、あらためて本人や現場にいた目撃証言のインタビューをしまして、二人の対立は根本的に深いぞと思いました。二人の性格もそうなのですが、とにかく「復興」に対するスタンスが対称的でした。「過去に重きを置くか」、それとも「未来に重きを置くか」。人とのつながりを「深めていくか」、「広げていくか」などなど。どちらが良いとも言えない。だからこそ、読者に投げかけたいモチーフだと感じたのです。
物語る「わたし」としては、こんなメモをつくりました。

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自分の思考の嗜好としては、二元論や二項対立という図式的理解は好まないのですが、このパートの物語化においては、やはり「ベタ」で。全体構成の「起承転結」のように、12歳にとってわかりやすい対立軸をあえて提示して、「自分ならどう考えるか、どう動くか」を考えるきっかけになればいいと割り切りました。この第3章にあたる部分だけを取り出しても引き込まれるよう心がけました。
そのクライマックスとなる石巻の大川小学校をめぐる人の縁の不思議さには、取材を進めていて本当に驚きました。ぜひお読みいただきたい結末です。

いったん入稿したものの。まだまだ続くよ、編集作業・・・。

おかげさまの締め切りである7月末に原稿を送信することはできました。編集部で読んでもらい、チェックバックをもらうまでの2週間くらいがひと休み期間で、その後は9月末までに結局4回ほど改稿を重ねました。なにしろ物理的に文字数を減らす必要がありました。

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この初稿の9万4千字超えを8万字以下にするダイエットです。編集部から早々に戻しを受けた、「児童書」としての教育的配慮に欠けるいくつもの部分は、理由を聞くと「それはそうだな。仕方ないな」と妥協して削れたのですが、それ以外はどこを削っていいか、判断がつきかねる状態になりました。同じ原稿を何度も読み、推敲しているうちに夏の暑さも加わって頭が朦朧としてきて、「えーっと、児童書って何?」とか思いはじめました。もうわけがわからくなってきたので、「児童書としてのわかりやすさ」を優先して編集してもらおうと、「だったら短くしてください」と投げ出して、初校のゲラを待ちました。
こんどはゲラになった文章を気分一新読んでみると、何カ所も「あれれ? こんな原稿だったっけ??」と引っ掛かり、「省略し過ぎで最初に書いたのと意味が違っちゃってます!」と腹が立ってきたりして、「そもそもイライラするために本を書いているんだっけ?」とか思いはじめたりして、どこをカットするだ何を入れるだのやり取りで、11月末の校了まで情緒不安定的に何かと苛立ち、多々ぶつぶつと怒っていたような気がします。編集者の渡辺さんを困らせたいわけではなかったのですが、すみませんでした。

出版によるファンディングの困難と可能性

著者印税分の8%を一般社団法人東北ユースオーケストラ の活動費に充てるという手続き、契約スキームについては、編集の渡辺さんの上司の方やフレーベル館の法務担当の方まで知恵を絞って対応いただいて助かりました。
通常の出版の通例に従いながら支援金を生もうとすると、「善意でこれだけ苦労して書いて、さらに税金まで多く取られるなんて、いったい何のために書いたんだ」という壁に突き当たり、出版自体を止めようかとも思い悩みました。
今となっては、著者として、著作物についての責任を引き受けつつ、著者としての書籍印税分の課税をされることなく、支援団体へのサポートとできるファンディング手法はもっと日本で広がったらいいのではとも思いました。
「※本書の印税相当額は、一般社団法人東北ユースオーケストラ の活動費に充てられます。」
この1行のクレジットを書籍の奥付に表記できて良かったです。

「児童書」ならではの良さがある。

「児童書」という縛りのために、まさに呪縛を受け、これまでの「書く」という行為が制約を受けた訳ですが、一方で加圧トレーニングのごとく、負荷をかけて別の「書く」筋肉を鍛えることはできたのかもとは思っています。つまり、12歳でもわかるように書くということです。こないだフレーベル館のプロモーション担当の方と打ち合わせをして、「いやー、12歳向けに書くのが大変でした」と言ったら、ポツリと「一番むずかしいんじゃないかな」とおっしゃったので、「やっぱりそうだったのか・・・」と納得しました。
一方で、「児童書」ならではの良さがあるなと思ったのは、ビジュアルが多いことです。(↓口絵ページから抜粋です)

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もちろんこれまでに撮り撮られた写真からの選定や撮影者確認の作業は大変ではありましたが、上のような口絵のカラー写真ページや書き起こされたイラストレーションによるオーケストラ解説ページ、さらには本文中のモノクロ写真ページも加えて、書籍の210ページ中にビジュアルページが多いと大人も楽しんでページをめくれ、本文も12歳向けなので大人ならすぐに読めてしまう手軽さがあるなと気づきました。書店だと児童書のコーナーだけに置かれてしまいがちで、なかなか大人の眼に触れることがないのは残念ではありますが。
でも次に「児童書」を書くなら、事実確認の必要のないフィクションか絵本の原作、あるいは聞き書きの本に取り組んでみたいです。

縁でたまたま生まれた一冊の本

この『響け、希望の音〜東北ユースオーケストラ からつながる未来〜』は、同姓同名に満ちた本としてフレーベル館の編集部では話題になったそうです。わたくしが「田中宏和運動」と称し、これまで152人の同姓同名の田中宏和さんに会っている「一般社団法人田中宏和の会」を主宰していることにはじまり、中島みゆきさん。この毎日新聞にお勤めの中島みゆきさんには、石巻での有志演奏会をアレンジしていただき、物語の展開上とても重要な活動となりました。
またイラストレーションを担当された本田亮さん。わたくしの勤務先の同じフロアですぐ横に座っていた本田亮さんもやはり会社を辞めて環境まんがの著者としてフレーベル館から本を出されています。
さらにフレーベル館の伝説の編集者と同姓同名の人物の名前も書籍の中に紛れ込んでいるらしいです。
本書のあとがきで「ほんのちょっとした、たまたまの出会いが、運命の向きをひとひねりする。その偶然性を味方につけよう。本書の成り立ちは、そのシンプルなメッセージを体現しているとも言える。」と書きました。
まさにこの本自体が偶然の賜物です。
冒頭でご紹介したきっかけから、取材のDXで中味の濃い本になりました。
おまけに毎年の演奏会にご出演いただいた吉永小百合さんの写真掲載の許諾の流れで、「せっかくなので駄目元で帯文のお願いをしてみたらどうですか?」と編集の渡辺さんに言ってみたら、予想外のOKのお返事。
坂本監督からいただいた推薦の言葉は、
「東日本大震災を体験した子供たちとの出会いと演奏は、僕にとってかけがえのない体験です。なかでも僕が一番感動したのは、ここには上下関係がなく自由な空間だと、団員が言ってくれたことです。」
運営する身としてはこの上の無いお言葉をいただきました。
有り難いことに坂本監督と吉永さんのお二人の推薦文が巻かれ、コロナ禍における奇貨のような本になりました。
2年連続3月の演奏会で卒団員を送り出せないのは、なんとも無念な状況ではありますが、現役OBOG団員がこの1冊で自分たちの活動に多少なりとも誇りと自負を感じてくれたらうれしいです。

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(森永エンゼル財団様からの差し入れとともに現役団員への発送準備)

すべての偶然のはじまりは、音楽家の坂本龍一さんです。
楽器の復興プロジェクトの「発起人」から、ユースオーケストラ の「監督」へ。そして、東北ユースオーケストラ のために書き下ろしていただいた新作『いま時間が傾いて』の「作曲家」としては、去年に続き今年も晴れ舞台での世界初演が見送りとなってしまいました。苦渋の判断とはいえ、残念でなりません。

そして、書籍出版に到る苦労話を気ままに書いたこの原稿を、わたくしの誕生日の1月21日にアップしようとしていたら、図らずもその日に坂本監督の2度目の癌治療公表。第一報を受け、驚き落胆する他ありませんでした。なんとも言葉にできません。そこで、こうして3日ほど置いて「公開設定」のボタンを押すことにしました。
東北ユースオーケストラの現役OBOG団員から慕われる坂本監督のご快復を心からから願っています。2022年には団員と同じステージで共演される姿を舞台袖から聴きたいと強く願っています。

ここまでつらつら綴り連ねてきた執筆記は、書籍の結びを引用します。

響け、希望の音。
未来は無限にひらかれている。

きっと。

フレーベル館の書籍紹介ページです↓
https://www.froebel-kan.co.jp/book/detail/9784577049303/

一人でも多くの方に読んでいただけたら。
(もし買っていただけたら一冊あたり120円がオケの活動費になります)

どうぞよろしくお願いいたします。





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