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ノヴァセン/ジェームズ・ラヴロック

まさかこのタイミングでラヴロックの新しい著作が読めるなんて思わなかった。

ガイア理論の提唱者として知られる英国王立協会フェロー、ジェームズ・ラヴロック。
1919年7月生まれの彼の100歳の誕生日に、この本は出版された(つまり、もうすこしで101歳を彼は迎えるわけだ)。

大気学者であったラヴロックがNASA勤務時代に、地球がひとつの生命体のような自律的な統制システムであるというガイア理論を提出したのが1960年代だったから、そこからでも半世紀が経っている。
そのラヴロックが100歳にして存命だったのを知ったのもびっくりだったが、その100歳になる間際に書かれたこの本『ノヴァセン』の内容の鋭敏さと発想の柔軟さに驚かされた。

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なにしろ、鏡のように輝くブックカバーに包まれたこの本でラヴロックが提唱するのは、人新世(アントロポセン)さえ超えた、ノヴァセンという新たな地質学的時代区分である。

アントロポセンが産業革命以降の人間の活動によって、地質学的レベルで地球環境を書き換えた時代であるのに対し、この本でラヴロックが提唱するノヴァセンは、「〈超知能〉が地球を更新する」というサブタイトルから想像がつくように、知性的生物の後釜となるであろう〈超知能〉(ラヴロックは好んでそれを「サイボーグ」と呼ぶ)の活動により新たに地球環境が書き換えられる時代だ。

生物が地球環境を生存可能にしている

論点を明らかにするために、ガイア理論の提唱者らしくラヴロックがあらためて指摘するのは、地球環境が生命の生存に適した環境であるようにしているのは、ほかならぬその生命そのものであることを指摘する。

一番有名なのは、光合成をするシアノバクテリアの出現によって地球に大量に酸素が発生したGOE(great oxidation event)と呼ばれる出来事だ。
それにより、人間はもちろん酸素を呼吸して生きる生物がはじめて発生可能になった。

ラヴロックがこれに匹敵するものとして並置するのが、17世紀のトーマス・ニューコメンによる炭鉱での排水用の蒸気機関の発明に代表される産業革命だ。

この惑星の歴史上、過去にふたつの決定的な出来事があった。ひとめ目は34億年前に光合成を行うバクテリアが出現したことだ。光合成は太陽光を利便性の高いエネルギーに変化する。ふたつ目は1712年にニューコメンがつくった効率的な機械によって、石炭に閉じ込められた太陽光を動力に直接変換したことだ。

このニューコメンの発明がアントロポセンの到来の引き金である。シアノバクテリアが地球環境を新たに作り直したのと同じように、人間が地球環境を変えはじめたのがこのニューコメンの発明に代表される産業革命だった。

ここまでは最近の気候変動や環境問題、そして、それをいかに乗り越え、持続可能な社会を維持するかという議論でよく語られることである。

しかし、ラヴロックが斬新なのは、そのアントロポセンすらもう終わりかけていると考える点だ。

わたしたちはいまや第3の局面へと入りつつあり、そこではわたしたち――とそれを継ぐサイボーグたち――は太陽光を情報へと直接変換する。

シアノバクテリア、そして、人間に続き、今度は、サイボーグ=自律的に思考し行動する強いAIが、地球環境=ガイアを変えるというのが、本書でラヴロックが展開する議論である。

暑すぎず寒すぎず

生命がガイアを自分たちが住むのに適した環境にしているという話は何も、植物の光合成により酸素が生み出されているということに限らない。
二酸化炭素の量が調整され、地球環境が適度な温度に冷やされていることがそれ以上に意味のあることだとラヴロックはいう。

その際、地球外生命の可能性を探る議論で用いられることの多い「ハビタブルゾーン」と呼ばれる恒星の大きさと距離によって、生命が生存可能な惑星(つまり暑すぎず寒すぎずの環境にある惑星)を判断する考えの欠陥をラヴロックは指摘する。
その考えに基づくと、そろそも地球がハビタブルゾーンとしては暑すぎるはずだからだ。その暑すぎる環境を適度に冷やしているのがほかでもない地球上の静物だからだ。

ハビタブルゾーンというアイデアは欠陥があると思う。というのも、まさに地球がそうであるように、生命をたたえた惑星はその生命に好ましいやり方で自らの環境や気候を改変していくものだ、という可能性を無視しているからだ。現在の地球環境が単なる地質学的偶然の産物だという誤った思い込みによって、地球外の生命探査で膨大な時間が無駄になってきたかもしれない。本当のところ、地球環境は居住可能性を維持するために大規模な適応を行ってきた。太陽からの熱をコントロールしてきたのは、生命なのだ。もし地球から生命を一掃したら、あまりにも地球が熱くなりすぎて、もはや居住は不可能となるだろう。

この生命による地球環境の冷却機能ゆえに、人間の知性をはるかに超えた超知能が登場しても、すくなくともしばらくは人間と超知能は共存できるだろう、とラヴロックはいう。

わたしたちは少なくとも最初のうちは恐れる必要がないのは、こうした非有機的存在が人間や有機的世界全体を必要とするからだ。この有機的世界は気候を調整し、地球を冷涼に保つことで太陽からの熱をブロックし、未来の天変地異が最悪の事態を引き起こすのを防いでくれる。SFでよく描かれているような人間と機械の戦争といったものに突入することはないだろう。というのもお互いを必要としているからだ。ガイアによって平和が維持されるのだ。
この時代をわたしは「ノヴァセン」と呼ぶ。

地球環境が50℃を超えるとほとんどの生命が死滅するが、それはサイボーグも同じだろうとラヴロックは考える。
だとしたら、地球の冷却の必要性はサイボーグにとっても持続可能性の大事なポイントであり、「サイボーグは自分たちのためにも、地球を冷涼に保つという人間のプロジェクトに加わらなければならない」と考え、それには「これを達成するために使えるメカニズムは、有機的生命だということも理解するだろう」とラヴロックはいう。

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非線形的に世界を直観する

ラヴロックは、人間が、線形的に進むロジカルな思考ばかりではなく、非線形的に包括的な視点でとらえる直観を重視していたら、おそらくノヴァセンの到来はもっと早かったはずだと言っている。

超知能の到来に待ったをかけたのは、人間の線形的な傾向のある思考、人間のことばという直線的に積み上げられていく思考だと指摘している。

「話すことや書くことによるコミュニケーションは、当初は生存の可能性を高めるものだったけれど、同時に人間の思考力を低下させ、真のノヴァセンが出現するのを遅らせたとわたしは考えている」と。

人間のことばによる思考を「知能」だと誤解し、それを基本に人工知能をデザインしようとしたところに、間違いがあったのだ。そこでは直観という一瞬にしてすべてを理解するようなもうひとつの人間が(いや、ほかの生命も)もつ知性への洞察が抜けてしまっていたのだ。

一方で、超人的に速いかもしれないけれど、わたしたちはその頭を押さえつけてもいる。というのも現状のコンピューターの形は、使われているプログラムの命令が始まりから終わりに向かって論理的に一つひとつ進むものだからだ。そこには直観的な気づきといったものはまったく欠けている。それはたぶん、わたしたちが直観的な気づきというものに充分に高い価値を見出してこなかったからか、あるいは、コンピューターに自分たちの奴隷であり続けてほしいからだろう。

人間の思考の傾向に線形的なところがあるとしても、人間の脳がそうした線形的にしか機能していないかというとまったくそうではない。
言語的に機能する意識上の思考は線形的でも、より身体的なところでは一度にさまざまなことを同時に包括的に直観的に判断しているからだ。

ラヴロックがあげるのは、野球やサッカーなどの動作だが、ことばで考えるようにひとつひとつ線形的に積み上げていたら、とてもボールへの適切なプレーはできないが、人間は実際にすごい速度で瞬間瞬間の対処を当たり前のように行っている。

脳というのは、昆虫であっても哺乳動物であっめも、巨大な並列情報処理システムとして進化してきた。人類が日常的に駆使し、発明家たちが磨いてきた直観的思考は、おそらくそのロジックを進めるために並列処理を必要とするのだろう。これは古典的ロジックである1チャンネルの線形的な議論とは大きく違い、とてもパワフルなのだ。

この並列情報処理がAIにも可能になることで、サイボーグは人間をはじめとする多くの生物同様、ガイアで自律的に生きるための能力を獲得するはずだというのが、ラヴロックの見解である。

知識やコミュニケーションについての誤解

人間のことばから解放されたサイボーグたちはもはや、人間的な意味での会話は行わないだろう。そんなことをしなくても情報も、意図も伝達可能だからだ。

顔から情報を得るのはテレパシーだが、それは何もミステリアスな出来事ではない。わたしたちは情報を電磁波スペクトルから取得している――この場合は可視光だ。それは常に起こっているにもかかわらず、わたしたちはコミュニケーションといえば言語能力のことしか思い浮かばない。サイボーグにはそうした制限がない。お互いのあいだを行き交ういかなる放射からも情報を取ることができるだろう。

こうした意味においても人間は、知性も、情報も、コミュニケーションというものも見誤っていることが多い。

それは「僕らは世界にアフォードされながら創発的に発想してる」などで最近繰り返し書いてきたことでもある。
リモートワークでは十分に創造的な仕事が仕切れない理由もそれだ。いまのオンライン環境では直観が働くために必要な情報が得られない
そんなオンライン環境の設計になってしまっていることもまた人間が、情報や知識というものを「ことば」という幻想に欺かれすぎているからだろう。

このあたり、しっかり指摘できるラヴロックだからこそ、50年も前にガイア理論を直観できたのだと思う。

ふたつの種の共存

だが、ラヴロックは人間と超知能がずっと共存できるとも考えていない。
いや、どうなるかはわからないと言っている。

ふたつの種がどのようにやり取りをするのかはほとんど想像不可能だ。サイボーグたちは人間を、ちょうど人間が植物を眺めるように見ることになるだろう。つまり、認知も行動も極端に遅いプロセスに閉じ込められた存在だ。実際、ノヴァセンがひとたび確立されれば、サイボーグの科学者たちは、生きた人間をコレクションとして展示するかもしれない。ロンドン近郊に住む人々がキューガーデンに植物を見に行くのと、結局のところ変わらないのだ。

このあたりは、マックス・テグマークの『LIFE3.0』などを合わせて読むと良いだろう(「LIFE3.0/マックス・テグマーク」)。

100歳のラヴロックがすごいのは、人間がガイアから退場する可能性も冷静に受け止めているからだ。

そんな風に100歳の著者が書いた著作を、誕生日に一気に読んだ。
そのくらい読みやすい一冊でもあるので、おすすめ。


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