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考える人、詩人

2015年に亡くなったポーランド生まれの美術史家、ペーター・シュプリンガーの『アルス・ロンガ − 美術家たちの記憶の戦略』を読んでいる。
またしても、パトスフォルメル的なイメージの反復の例がみられて面白い。
どうやら、僕はこういう話が相当好物らしい。

1つ前で紹介したカルロ・ギンズブルグの『政治的イコノグラフィーについて』でもそうなのだけど、歴史上、時代を越えて類似のイメージが意味を変えながら繰り返し浮かび上がってくることがある。
アビ・ヴァールブルクはそれをパトスフォルメル Pathosformel(情念定型)と呼んだのだけど、面白いのは形を敬意をこめて踏襲しつつも、その意味は時代時代でズレていくところだ。
すでに元の意味が忘れられたところに新たな意味を見いだす、そのズレを生じさせるものこそ創造力なのだとも言えるし、意味と形象には本来的な関係はないのだということでもある。

いままた大きく時代が変わろうとしていて、これまであったものの意味が正反対になるものもあるくらい更新されようとしているが、僕らはその意味のアップデートをちゃんと創造力を働かせて受け止めないといけない
「元どおり」なんてことを前提にしてしまうことなく、「事後」としての変わってしまったいま、そして、いまとしての未来を柔軟に受けとめる姿勢が必要だ。

環境の変化に取り残される生き物は滅びるしかないのが、自然の摂理なのだから。
ウィルスだけが危機をもたらしているのではない。

情念が強い形をつくる

歴史のなかで変転するイメージの意味に最初に着目した人であるヴァールブルクが素晴らしいのは、その意味の変転を、同じようなかたち(定型)をもちながら異なる意味をもつ時代が違う複数の図像を1枚の平面上に並べてみせることで表現する試みをしている点だ。

晩年に制作された『ムネモシュネ・アトラス』である。971枚の図版を総数63枚の黒いパネルに配置することで、歴史を俯瞰しながら意味の変転をヴィジュアライズする。
いま必要なのは、そうした俯瞰的な視点だ。
この大きな変化の前と後をちゃんと見据えて動くには、その大きな歴史的視点が欠かせない
昨日と同じものがまるで異なる意味をもつものに変わるということにどれだけ敏感になれるか? 意味の変化に気づくのに遅れるほど、取り返しがつかないことがたくさんあるのだから。

田中純さんは『歴史の地震計: アビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ・アトラス』論』で、こんな風に書いている。

ヴァールブルクによって発見された「情念定型」とは、激しい感情の表出としての「身振り」が定型化し図式化することを通じて、その感情の強度を保ったまま、さまざまな……ときには逆転した……意味内容の表現に転用されうるという現象にこそ関わっていた。この「定型」は形態上のヴァリエーションを含むとともに、意味作用ないし情動喚起作用の変異可能性をも潜在させているのである。

情念定型というものが生まれること自体が興味深い。強い思いの集積はある形象を生む。
その形はその時代時代にたくさんの情念を集める依代になり、形はより強い存在となる。

異なる意味のイメージを並べて俯瞰する

しかし、それでも時代が過ぎれば意味は失われて、力をもった形だけが残る、意味を欠いたイメージとして。

さらにそれは、勝者/敗者、上昇/下降といった両極性に対応するさまざまな情念定型と相互作用し、ときには融合して変容していく。そうした情念定型のヴァリエーションや変異過程、或るイメージが担う意味内容の重層決定の様相といった、イメージ相互のネットワークに関わるがゆえにリニアな言語記述では語りにくい関係性を表すために、晩年のヴァールブルクは『ムネモシュネ・アトラス』を代表とするような、パネル上での図像の平面的配置を採用した。

そうしたイメージの上を入れ替わり立ち替わり移ろっていく意味の痕跡に気づこうとすれば、時代時代で異なる意味をもったイメージをその痕跡として、並置してみるのがいいだろう。
ヴァールブルクの『ムネモシュネ・アトラス』はまさにそんな試みなのだと思う。

それが「リニアな言語記述では語りにくい関係性を表す」ものだとしたら、それが表現していることは日常的な直感ではつかみにくいものでもあるということだろう。
そして、現実にその歴史的なレベルでの「情念定型のヴァリエーションや変異過程、或るイメージが担う意味内容の重層決定の様相」のようなものは見事に日常的な論点からは無視されてしまう。
いま起ころうとしている問題はまさにそれだ。

この無知、歴史的な直感をもたないがゆえの無知はかなりどうしようもないがゆえに憂鬱である。

考える人のイメージ

とはいえ、その憂鬱さを嘆いてばかりでも仕方ない。気を取り直すためにも、俯瞰的な視点を磨き続けていたい。

そんな意味でも、『アルス・ロンガ』というシュプリンガーの著作は、面白い。
この本が扱うのは芸術家についての記憶と彼らの作品についての記憶がどう重なりあいながら、それらが混在となった記憶を構成に残していくのかなのだが、ロダンあるいは彼の作品を《考える人》との関係をめぐる一連の考察は興味を惹かれた。

まず、シュプリンガーが僕らに目を向けさせるのは、上野の国立西洋美術館の庭にあるロダンの作品《地獄の門》だ。
その作品のなかに、《考える人》の形象は見つかる。

オーギュスト・ロダンは1880年、パリの装飾美術館入口の門扉の制作を政府から依頼され、ダンテ作『神曲』の地獄編にもとづく作品を制作することにした。(中略)《地獄の門》において、最も目立つ、ティンパヌムの中心に位置し、大きさでも際立ち、全体構図を支配しているのは「考える人」である。初期の素描や雛形で早くも、のちに「考える人」へと発展していく像が同じ位置に置かれている。この像は当初、《地獄の門》に霊感を与えた『神曲』の作者ダンテと同定されていた。

そう。そして、この《地獄の門》の中心に位置する「考える人」は、『神曲』のなかのダンテの姿なのだというのだ。

さらにはダンテの『神曲』にも着想を得ている、ミケランジェロのシスティナ礼拝堂天井画のなかのエレミヤ像にも。

そもそも、「考える人」の頬杖をつくポーズは、ミケランジェロの代表作フィレンツェ、サン・ロレンツォ聖堂メディチ礼拝堂のロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ像(1524-34)に結びつく。そして、この像も「考える人」と呼ばれている。ミケランジェロは、システィナ礼拝堂天井画のエレミヤ像にもこのポーズをとらせている。

さらにさらにラファエロの《アテナイの学堂》の最前列で、同じ頬杖をついたポーズをとるのは、ヘラクレイトスとしてのミケランジェロの姿だと言われている。

考える人、詩人

ダンテに端を発して、ミケランジェロやラファエロなどのルネサンス期の画家をはさみ、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した彫刻家であるロダンまで引き継がれていく「考える人」のイメージ。
ロダンは、1899年、単独のイメージとしての《考える人》の像を作品化する。
この像はもはや、ダンテに関連づけて語られることはなかったという。

パリ、ジョルジュ・プティ画廊で1889年に開催したモネとの二人展で、ロダンは《地獄の門》に由来するほかの彫刻とともに、《考える人》を展示した。そのさい、ロダン自身がこの彫刻を「考える人(penseur)、詩人(poète)」と呼んでいる。
《考える人》がダンテと同定されることはこの頃から少なくなり、考える人、詩人という呼び方が一般化する。そして、ロダンの生前の展覧会で、この像がダンテと呼ばれることはなかった。poèteの語源となったギリシア語poetesは、文学者に限定することなく、美術家や音楽家をも含む、想像力に富む創造者を指す言葉で、ロダンの時代のフランスでも、そうした意味で使われることがあった。実際、ロダン自身が自分を、また他人がロダンを詩人として言及してもいる。

ダンテの代わりに、考える人は一般的な意味での詩人となっている。
しかも、その意味するところは、「poèteの語源となったギリシア語poetesは、文学者に限定することなく、美術家や音楽家をも含む、想像力に富む創造者」だというのだから面白い。

考える人=想像力に富む創造者、ということだ。

意味を書き換えるのが創造力に基づく仕事だとしたら、それこそが考える仕事であり、考える人は詩人なのだ。

こういうことに気づかさせてくれるから、美術史や図像解釈学というジャンルは面白い。
だって、それはまぎれもなく人間の創造力に関する学問なのだから。それを歴史的に俯瞰することほど、人間と意味の移ろいについて知ることのできる学問は少ないと思っている。


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