新しい夢をみる
なんとなく悲しい気持ちだ。
近代デザインの出発は、誰もが他からの強制(力)を受けることなく、自らの生活様式を決定し、自由なデザインを使うことができるのだという前提を条件のひとつにしていた。
これは『近代デザイン史』(柏木博編・著)という本に所収の「近代デザインに向かって」中の編者でもある柏木博さんの言葉だ。
この「自らの生活様式を決定し、自由なデザインを使うことができる」という創造性が気づくと何処かに消えてしまっているように思った。
柏木博さん自身、
それは理想的生活や環境へのプロジェクトとしてあった。それらが忘れ去られた現在では、デザインは、「市場システム」のゲームとして展開されたり、あるいは、どうせ捨てられるものとして「とりあえず」使うものとしてデザインされている。
と、「おわりに モダニズムの展望」で書いているように、「理想的生活や環境」をみずから生みだすためのプロジェクトであったモダンデザインは、とうのむかしに形骸化してしまっている。
モダンデザインというプロジェクトそのものの形骸化は良いとしても、かわりに「理想的生活や環境」を人びと自らが生みだすような代わりのプロジェクトがないのが問題である。
すくなくとも、この日本では。
そのことをあらためて意識して悲しい気持ちで週末を迎えようとしている。
ポジティブに夢をみて
悲しい気持ちになってしまうのは、自分で自分自身をポジティブな思考のなかに連れて行ってあげるだけの想像力をもたない人が世の中には結構いるのかな?と思ったりするからだ。
いい夢をみることができない人。
自分が好きなこと、やりたいこと、実現したいことというのを明らかにできない人だ。
しかし、100年くらい前のモダンデザイン全盛期は、そうじゃなかった。
いい夢をみて、それを社会において現実化していた。
あんまりいいプロジェクトではなかったと思ってるけど、すくなくともモダンデザインのプロジェクトは、すでに僕らにとっては過去になりつつある未来の夢を100年すこし前あたりから思い描き、実際、1960年代になる前くらいまでは現実に形にしてきた。
それは文字通り、近代社会と近代文化をデザインし実装したプロジェクトだ。
その夢をみて、それを現実にする、デザインの手法はとても意義あるものだったと思う。
モダンデザインの夢のあとに
デザイン的なものがいまも未来をつくるために重宝がられるのもその名残だ。
それはモダンデザインという手法が力強いものだったからで、デザイン一般がそこまで力強いものかというとそうでもない。
モダンデザインが力強かったのは、デザインの力だけでなく、そこにちゃんと実現したい夢が重なったからだろう。
もちろん、いまでも世界のあちこちで夢は叶えられている。
しかし、モダンデザイン全盛期の頃と比べると、その夢が世界を包みこむほどの力はもてていない。
IT系のサービスは僕らの生活をこの上なく大きく便利にはしてくれているけど、僕らをおびやかす気候変動や病原体やらから僕らを守って、幸福な暮らしの夢へと僕らを導いてくれてはいない。
近代主義(モダニズム)あるいは近代への急進的批判が広がったのは1960年代のことである。それは、60年代末に起こった対抗文化運動と連動していた。それは、文化のメインストリームに対抗するという位置を持つと同時に、自らの生活環境を構成してきた近代主義に対する批判を含んでいた。デザインの領域では、近代主義批判とともに、過剰な消費社会に結びついたデザインへの批判が広がった。
と、「おわりに モダニズムの展望」で柏木博さんが書いているような、モダンデザインの夢の終わりを引き継いで、現在僕らの生活をおびやかすほど、顕在化している気候変動の問題の引き金となった「過剰な消費社会」を新たにデザインしなおす夢は描かれていない。
新しい夢
僕らには新しい夢が必要だ。
この気候変動による生存の危機を乗り越えて幸福に暮らすための夢。
高齢者人口が増える社会で、高齢者も若者も心地好く生きていくための夢。
多様な人たちが共存する社会で、異なる人種、異なる階層の人たちが憎しみあうことなく過ごすための夢。
これ以上、地球環境が汚れることなく、非人間的な地球の同居人たちもこれまで以上によりよい存在のあり方を続けていけるようにするための夢。
そんな夢について語る場がまだまだ足りないのではないか。
そんな夢について議論し、それを実現する仲間と出会い、切磋琢磨する場がなさそうだ。
本当は企業や国がちゃんとそういう場の生成に尽力すればよいのだろうけど、まったくもってそうなっていない。
まるで、そんな夢などまるで必要ないかのように。
国も、企業も、もはや人びとの暮らしの夢をかなえることにはまったく興味がないのかもしれない。
もちろん、この場合の国とか企業は、他人事で外からみたものではなく、国民、組織人である僕たちそのもののことだ。
政治家や企業経営者のことを言っているわけではまったくない。
国民や企業組織人である僕たちが何故、自分たちの夢を語り、その実現を目指すための議論や作業の場をつくろうとしないのだろうか?とふと思った。
好きをめぐる政治と経営
そのとき、夢を実現するための力はもちろん必要だ。
だけど、それより何より、どんな風に自分が生きていきたいか、まわりの社会がどうあってほしいか、地球をどういう状態にすることを目指すのか、といったさまざまな観点で夢をみないとどうにもならない。
自分が好きなもの、ほしいもの、やりたいこと、実現したい状態が明確にできなければ、それを夢へと集約していくことなんてままならない。
そういう夢をみるために必要な「自分の好き」を知っているか?ということだ。
まわりの圧力ですぐに壊れてしまうような「好き」ではなく、現実の社会とのあいだでいかにその「好き」を維持したり、もっと力強く大きなものにしていけるか?ということだ。
これはひとつの政治である。あるいは経営でもある。
自分にとって限られたリソースを用いて、自分の好きの実現にどう思考しどう動くかである。
夢のために政治も経営もある。
その夢を実現するのは、個々人の「好き」にほかならない。
他人がくれた好きではなくお手製の好きを
妙喜庵の待庵のつくりには、すべてを捨てきった丿貫とはちがう、捨ててなお捨てきれぬものを残しえた利休の優位を感じる。二畳台目、室床、躙口、天井、いずれにも覚悟も作文もあった。逆にいうなら丿貫には「好み」が欠けていたということなのである。
こう書くのは、『日本数寄』での松岡正剛さんだ。
松岡さんは「数寄はもちろんスキである」と言っている。
そして、こう続けるのだ。
「好き」でもあるが、隙間を透くことでもあった。一言でいえばスクリーニングのこと、透いて漉いて、鋤いて空いていくことである。そのうえで好いていく。
好きになるためには、ぼんやりボーッと何も考えずにいてはいけない。
透いて漉いて、鋤いて空いていきながら、いらないもの、余計なものを削ぎ落としていき、残ったものが好きになることだと思う。
つまりは好きになるためには、大量のリサーチが必要だし、リサーチの結果を吟味し編集しながら、好きをつくっていく。
その先にようやく自分の「好き」はある。
まわりや時代に簡単には左右されない「好き」ができる。
他人がくれた紛い物の好きはいらない。
自分お手製の好きこそが大事だ。
その好きといっしょにあり続けたいと思うからこそ、夢はみれるようになるし、それを現実化したいと感じて行動できるようになるのだろう。
そうした夢がみれるからこそ、また「自らの生活様式を決定し、自由なデザインを使うことができる」ようになるのだろう。
その好きが少ない社会はやっぱり悲しい。
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