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文化を変える会話が行われる場

文化が大きく変わろうとする際には、会話の場が求められるのだろうか。もちろん、場といって物理的な空間だけ用意すれば、そこに変化をもたらすような会話が生じるわけではない。物理的な空間は必要条件ではあっても十分条件ではなく、では、十分条件とは何かといえば「新しい会話」そのものだろう。新しく会話されるべき話題があってこその変化である。場や形式からはじめようとしても、なかなか変化は起こらない。各自、新しい会話を用意するように。

あの17世紀後半もやはり、そういう会話の場が必要だったのだろう。1つ前にも紹介した『ピープスの日記と新科学』でも王立協会の面々が集まる場所として、コーヒーハウスや居酒屋が用いられた。

コーヒーハウスは共和国時代が終わろうかという頃、大学街やロンドンでポツポツとあらわれはじめ、〈新科学〉を推進することもあれば、ヴァーチュオーソを笑いのめすのにも役立ったのだった。ピープスが示してくれているように、〈王立協会〉員たちにはお気に入りの居酒屋やコーヒーハウスがあり、会合の前や後のおしゃべりに集まっていた。

王立協会の面々も出入りして議論や対話をすれば、その彼らを笑う輩も同じくたむろして口々に噂話や悪口に花を咲かせる。どちらの議論も可能で、それが流通するという健全な会話の場として成り立っていたのが、17世紀のコーヒーハウスだったのだろう。

18世紀にも入ると、コーヒーハウスは、新聞や雑誌、保険や株式会社、広告などを生む母体となる。いまや国際的な保険市場の役割も担うロイズ保険組合のはじまりが1688年頃にロンドンに開店したロイズ・コーヒー・ハウスであったのは有名な話。店に個人の保険引受業者が集まるようになり、さらに最初のバブルといわれる南海泡沫事件が1720年に起きた影響もあり、海上保険をロイズが一手に引き受けられる状況が生まれたのがきっかけである。
その他にもメデイアとしての機能を担うコーヒーハウス、政党がその拠点としたコーヒーハウスなども生まれ、まさに文化を変える場所としてコーヒーハウスは機能した。

そのはじまりがピープスたちの17世紀のコーヒーハウスで、当時は教育的な機能も果たしていたようである。

コーヒーハウスは「格安大学」となっていた。そこでは金のない知的な人間が知的な会話に加わり、ときには科学と哲学に関連する主題をめぐって気軽な講義やきちんとした講義を聞くこともできた。

こうした議論の場は何も大衆向けの場としてのみあったわけではない。ホルスト・ブレーデカンプの『ライプニッツと造園革命』を読むと、同じ17世紀、海をまたいだ大陸側ではライプニッツが、ロンドンの王立協会の面々がコーヒーハウスでしていたのと同じような「新科学」「新哲学」の議論を宮廷内でしていたことがわかる。

1699年の最小限の生活報告においてライプニッツは、ハノーファにおけるファースト・クラスの話し相手としてはゾフィーが唯一である、とくに彼女の自分に対する態度は決してフォーマルなものではなかった、と強調している。そうした彼女の態度を用意してくれた枠組みが、庭園なのだ。

ライプニッツにおいては会話の場は、コーヒーハウスではなく、庭園であった。

ブレーデカンプは「エピクロスが自然に則した生活を擁護することによって、庭園は哲学の上級審となった」と書いている。その上で、ライプニッツが会話の場所として選んだ「庭園とは宮廷や町から遠く離れ、自由な思考の諸々の条件を享け合うもののよう」というエピクロス以来の伝統を引き継いでいたのだろう。これを18世紀後半の啓蒙の時代で引き受けるのはルソーであるが、その前にこの役割を担ったのが他ならぬライプニッツだったというわけである。

18世紀後半のルソーのステイタスを1700年前後に占めていたのは、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツだった。ハノーファのヘレンハウゼン大庭園のために彼は、30年を超える期間ら造営にとどまらず哲学的省察に携わったのだから、そのプレゼンスたるや近年の研究で遭遇した問題の所在を明確に見せてくれるまたとない実例だった。(中略)身体と空間をもとにしたライプニッツの思想は、--脳の働きに従って身体外メディアと脳の結合が絶対である--拡張-マインド-理論の始祖と評価されるほとであった。これなかんずく庭園に対する彼の態度にも当てはまるのである。

このライプニッツが30年以上携わったハノーファーの庭園こそ、先のファーストクラスの人たちとの会話の場である。
そして、この後半部分に書かれていることこそ、ライプニッツが会話と庭園を結びつけた理由であるだろうし、テキストによる情報のやりとりだけでなく、そこに身体的なものが絡むことが会話--特に大きな変化を生む原動力となる会話--には不可欠である理由なのだろう。
脳の働きと身体的かつ身体外であるメディアを連動させること、それがライプニッツの庭にも、王立協会のコーヒーハウスにも求められていたことではなかったか。

面白いのは、王立協会(特に、ジョン・ ウィルキンズ)も、ライプニッツも、これほど身体的なものと結びついた会話を重視しつつも、同時に、しかも同じような時期に普遍言語の構想を進め、バイナリを用いた記述法を生み出していることだ。

このことから考えるとコンピュータ言語に通じるというだけで、どこか身体からは遠い存在と思いこんでしまっている普遍言語、さらに同じくライプニッツも王立協会も研究していた暗号なども、あらためて身体性、そして、その機械的な身体性という角度から流れると、凝り固まったイメージの「リアルな会話」というものも違ってみえてくるかもしれない。

そう。そこから考えると、きっと「なぜ会話を通じて変化がもたらされうるか?」も違う形でみえてくるはずだ。
そうすれば、無闇に対話の場を増やしたり、闇雲に会話のための空間をつくろうなどとは思わなくなるのではないだろうか? 形から入るのではなく、ちゃんと頭を使って必要から入りたいものだ。

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