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『死にがいを求めて生きているの』を読んで。。。

ようやく読み終えた。
何もまとまっていない中で、
このままだと、何も手につかなさそうなので、
今の頭の中に渦巻いていることをとりあえずでいいから文字にしてみようと思う。

今回はグサグサと私の心を刺してきた作品だった。
朝井リョウさんの作品は『何者』以来の2作品目だから
まだまだ、語れるような人間ではないが、
『何者』よりも貫かれた気がしている。

私は、自分の物差しがない側の人間だ。
他人の物差しで自分の位置を教えてもらえないと、
生きていけない人間だと思う。

小学生の頃は学級委員もしていたし、
中学の課外活動のリーダーは毎回だったし、
高校生の頃はテストの順位が出るのもうれしかったし、
大学に入ってから雄介のように目立つことをたくさんしてきた。
それで私が決まると思っていた。

私はここにいるんだ!
そうやって叫ぶことで他人に存在を認めてもらえないと
自分の居場所が分からなくなる。
それ以外の生き方が分からない。

生きていけないのだ。

承認欲求って簡単な言葉では言い表せないような
自分の存在を誰かに見ていてもらえないと怖いのだ、
一種の強迫観念のように
自分の存在をアピールしていないと
生きていてはいけない気がしてしまうのだ。

でも、きっと、そんな自分がおかしいと思っている自分もいる。
といっても、社会人になって、ようやくおかしいと思えるようになったのだが。

学生時代の周りに同じ年齢・趣味嗜好・性別・・・
そんな人があふれている中で
自分をアピールすることがむずかしかったから、必死になっていた。
のだと思う。

いや、吐出した才能があったなら、こうはなっていなかったのかもしれない。
ただ、勉強も一生懸命やっても中の上くらいだったし、
運動に関しては下の下だった。
私には、声を大きくすること、先生と仲良くなること、優等生でいることしかできなかった。。

ただ、そんな特殊ともいえるような学生生活という環境から離れてみて、
そんなことをしている人間を小説などを通じて客観視する機会ができて、
おかしいと思うようになった。

他人に認められないと生きていけないなんて。
自分で自分を認められないなんて。

それでも、すぐにそんな強迫観念がとれるわけがない。
今でも。私の頭にも心にも体にもしみついている。

お願いだから。私を見て。私を肯定して。
こんなこと思いたくないのに、心の底からそう叫んでいる私がいるんだ。

いつか、そう叫ばなくてもいい日が来てくれたらいいなと思うけど、
そうなったときの私、
それは本当に私なのかなと思う私もいる。

なんて言葉でこの文章を閉めようか。。。
ここではよく人生は難しいという言葉で占めることが多いが、
それ以上言いようがないのだと思う。
この小さな頭からはそんな言葉しか出てこないのだ。
頭を良く見せることしかできないこんな頭では。

だから、今日も同じ言葉で占めておこうと思う。
人生って難しくて、面倒くさいよね。。
それでも、生きるしか、もがくしかないんだね。

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