【プロフェッショナルに聞く 第9回】橋本尚也Visionary Office株式会社 代表取締役 橋本尚也氏 × タミヤホーム 田宮明彦
不動産や税務、建築、労務など、さまざまなプロフェッショナルに、これまで積み重ねてこられたキャリアと実績をお聞きする「プロフェッショナルに聞く」。第9回は、Visionary Office株式会社代表取締役の橋本尚也様がご登場くださいました。
いつも笑顔でパワフルな橋本様は、不動産業界で長く実績を積んで来られた方です。その豊富なキャリアにより蓄積したノウハウと人脈を生かして、現在は不動産コンサルタントとしてご活躍されています。そんな橋本様は、若い頃からパワフルに高みを目指して努力を続けて来ました。現在のキャリアの土台となった「大学時代」も含めて、橋本様の人生を紐解きます!
<プロフィール>
橋本 尚也氏
橋本尚也Visionary Office株式会社
代表取締役
亜細亜大学法学部法律学科卒。株式会社大京(東北支店長→営業部長)を皮切りに、株式会社ダイナシティ(事業統括部長→常務取締役)、株式会社シティインデックス(取締役副社長)、明和地所(部長)、明和リアルエステート(部長)で経験を積んだ後、独立・開業。不動産業界で培ったノウハウと人脈を生かして、経営コンサルティングや販路拡大支援、人材育成などの相談に応じる。すでに130社以上の顧問実績を持つ。
亜細亜大学体育会本部の委員長を務め、800人の部員を束ねる!
田宮「いつも元気いっぱいの橋本先生ですから、お若かった頃は今以上にパワフルだったのでしょうね」
橋本様「若い頃のこと、どこから話しましょうか?」
田宮「思い切って高校時代から」
橋本様「わかりました。高校時代の私はとてもやんちゃで、あまり学校にも行かなかったんですね。でも先生がとにかく良い方で、面倒見が良かったんですね。それで、すでに二浪していたにもかかわらず、推薦で亜細亜大学の法学部に進学しました」
田宮「やんちゃな橋本先生の姿が目に浮かびます」
橋本様「私の性格的に、最初は真面目に大学に通うけれど、途中で行かなくなるだろうと。それで学生寮に入りました」
田宮「亜細亜大学の学生寮と聞くと、規則が厳しそうなイメージがあります」
橋本様「朝起きたら寮内を掃除して、寮歌を歌う。そんな学生生活を送っていました」
田宮「部活は入らなかったのですか?」
橋本様「もちろん入りましたよ。亜細亜大学は体育会が強かったですから。私は合気道部に入りました。今思えば、この時期が私の人生の土台になりました」
田宮「早くも土台を築いたのですね」
橋本様「こう見えても私は性格的に真摯なところがあって、真剣に部活動に打ち込んでいたんです。その後、体育会本部に入って、先輩に鍛えてもらいました。毎年、3年生が委員長を務めるのですが、私が先輩から推薦を受けて、委員長に選ばれました。そうそうたるメンバーが候補者に名を連ねていたので、当時は『なんでお前が?』と非難轟々でした。でもこの時も周囲の先輩が『橋本はこれだけ頑張ってきたんだ』と弁明してくれて、それでようやく委員長に就任できました」
田宮「亜細亜大学体育会本部の委員長として、どんな活動を行っていたのですか」
橋本様「当時の亜細亜大学は、正式な運動部だけでも800人以上所属していました。体育会本部は、この運動部を統括する立場にあります。対外的な活動としては、各運動部が所属する連盟の会合への参加があります。また、プロ野球選手として活躍している卒業生がたくさんいたので、応援団長として何度も先輩方の応援に行きました」
田宮「縦横無尽に活躍されてきたのですね。就職活動も順調に進みましたか?」
橋本様「体育会本部の卒業生を通じて、いろいろな会社を紹介してもらいました。ただ、一社目に受けた会社の面接に学生服を着て行ったら、断られてしまいました」
田宮「橋本先生らしいエピソードですね」
橋本様「その後に受けた大京観光(※)から、無事に内定をいただきました。面接官から『うちは厳しいけど大丈夫? しかも最初の数年は全寮制だよ』と言われましたが、体育会本部で鍛えられていましたから、望むところだと思いました」
※現在の「株式会社大京」。
課長昇格後は、部下との関わりを重視。指導した部下全員が部長職に昇格!
田宮「面接官が自ら『うちは厳しい』と言った大京観光に入社後、どのようなキャリアを積んでこられたのですか」
橋本様「大京観光の中でも最も厳しいと言われる『東京支店』に配属になりました。職種は営業で、完全に実績がモノを言う世界です。私は負けず嫌いですから、絶対に勝つと決めていました。だから同期が契約を取り付けてきたら表面上は『おめでとう』と言いますが、心の内では『畜生!』と悪態をついていましたね。そうこうするうちに、気がついたら課長に昇格していました」
田宮「一番厳しい東京支店で、早くも実績を上げたのですね」
橋本様「でも、『名プレイヤー名監督にあらず』を地で行ってしまいました。いざ、部下を指導するとなると、『なんでこんなこともできないんだ』と思ってしまったのです」
田宮「なるほど、橋本様にとっては『できて当たり前』だったのですね」
橋本様「すぐに考えを改めました。当時の大京観光は、価格は一流・営業三流と揶揄されていて、そんな評価を受けてはならないと思ったんですね。営業の質を高めなければならないと思った。経営者の視点で、どうしたらお客様の評判が良くなるのか徹底的に考えていきました」
田宮「部下への指導も変わりましたか?」
橋本様「そうですね。部下とは真正面から向き合いました。厳しく指導することもありましたが、そんな時は必ずその後、一緒にご飯を食べて、部下の話を聞きました。私の自慢は、ほとんどの部下がやめず、全員が部長以上に昇格したことなんです」
田宮「面倒見の良い上司だったのですね」
橋本様「当時の大京観光は日本一のマンション供給量を誇っていましたが、有利子負債が多く、事業再生のため銀行配下となりました。そのせいか、不動産ならではのダイナミックさがなくなってしまったのです。それで、振興デベロッパーのダイナシティにヘッドハンティングされたこともあり、同社で役員を務めました。
田宮「波乱万丈なキャリアですね」
橋本様「その後、不動産ファンド系の会社で取締役副社長を務め、最後はマンション系のデベロッパーで営業部長と事業企画部長として働き、60歳の時に退職しました」
これまでのキャリアで培ったノウハウと人脈を生かし、コンサルタントとして活躍!
田宮「橋本様は現在、不動産の総合コンサルタントとしてご活躍されていますが、なぜ独立しようと思ったのですか」
橋本様「以前から副業でコンサルティングを行っていたのが、理由の一つです。私がこれまでのキャリアで築いてきた人脈を生かすことで社会に貢献することができるのなら、ぜひこれを晩年の仕事にしていきたいと思いました」
田宮「なるほど。どのようなニーズに応えていらっしゃるのですか」
橋本様「最も多いのは販路拡大支援ですね。不動産会社を新たに立ち上げた経営者の依頼に応じて、顧問としてコンサルティングを行っています。私は現場が好きなので、会社に入り込んで若い営業職の皆さんと一緒に販路拡大に向けた方法を検討していくことが多いですね。嬉しいことに、かつての部下が不動産業界の要職に就いており、彼らを通じて良いご縁をつなぐことができています」
田宮「これも橋本様が人との関わりを大切に育んでこられたからですね」
橋本様「そうかもしれません。起業したばかりの会社の場合、社会的な信頼を勝ち取るのに苦労するケースが非常に多いんです。私が顧問として会社に入って不動産業界とのマッチングを行い、実績をつみあげていくことで、その企業の信頼性も高まっていきます。ここにやりがいを感じますね」
田宮「弊社も橋本様にぜひ社員教育の面でも尽力いただきたいと考えています」
橋本様「私で力になれるのなら、ぜひ」
田宮「橋本様はビジネスにおいて優秀な実績を残されているのはもちろん、人としても非常に魅力的な方で、お会いするたびに会話が弾みます。今回も大変興味深いお話をお聞かせいただき、とても感謝しております。橋本様、ありがとうございました」
タミヤホームでは、年間1,000件の解体工事を手掛けています。
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