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「wonder」:#choosekind

最近みている映画は、「The・悪人」があまり出てこない。
今回の映画もそうだった。

主人公は、生まれてから顔の手術を何度もした、オギーという少年。
だけど、オギーを取り巻く一人ひとりにも物語があるんだよ、と伝わってくる構成だった。

映画の舞台は、学校。

くっついたりシカトしたり、その場の流れでつい友人の悪口を言ってしまったり――。

そんな残酷だけど、よくある学校という“世界”の話だ。

そこでは、多くの場合、見た目やキャラクターでスクールカーストが形成される。そんな暗黙のルールに対して、私は中学生の頃くらいから違和感を抱いていた。

なぜ、自分ではどうにもできないことで自分の立ち位置が決まるのか、と。

そんな疑問を、この作品はストレートに表現していたように思う。

同時に、学校社会の表層からは見えない一人ひとりの物語も描かれていた。

スクールカーストに関係なく、子どもたちはそれぞれの苦しみを抱えているのだ。特に家族関係から派生する苦しみを。

* * *

この映画に登場する人物は素敵な心の持ち主ばかりだった。

いじめっ子のジュリアンは転校して、物語はハッピーに終わった。

きれいすぎるストーリーはあまり好きではない、という人もいると思うけど、私はシンプルでハッピーなストーリーも好きだ。

映画は現実を表現する必要はないし、映画のなかにある幸福は、私を元気づけてくれる。

ただ、私はいじめっ子・ジュリアンのことが気になった。

ジュリアンの両親は、はっきり言って人格が破綻している。

ジュリアンはオギーに嫌がらせをしたことを校長先生に謝罪したけれど、親の態度は微塵も変わらない。

あの子は、どう育つのだろうか。
親に負けずに育つことができるだろうか。

映画にかぎらず、「どうにかしなければ」と感じさせる親と子どものやり取りを目にしたとき、何もできない無力感に胸が痛くなる。

先日、図書館のエレベーターのまえで、子どもを怒鳴っていた親の姿が目に浮かぶ。

大丈夫だろうか、と心配になる。
でも、詳しいことは何も分からないし、分かったとしても簡単に家庭に介入なんてできない。

たとえ誰かが介入したとしても親が変わることなんて滅多にない。

厳しい現実。

この現実を認識する以上の言葉が今は出てこないので、この件についてはここまでにして、最後にこの映画の好きなところに触れたい。

それは、格言を学ぶ授業のこと。

とっても良い!アレンジして学校の授業に取り入れたら面白そうだ。

ということで、思わず微笑みと涙がこぼれるいい映画でした。


※タイトルの「#choosekind」は映画のエンドロールに出てきたハッシュタグです。

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