Vol.3 多摩地域の自然と歴史が育んだ日本酒。
日本の食文化に欠かせない食材といえば、米。米を使った日本の酒といえば日本酒です。米が主原料の一つであることから“米どころ”=“酒どころ”と思う人も多いかもしれませんが、実は酒蔵が多いのは“水どころ”なんだそう! 教えてくれたのは、多摩川の源流にほど近い東京都青梅市の〈小澤酒造〉23代当主、小澤幹夫さんです。
東京に名水あり。青梅の山から湧き出る水で酒造りする〈小澤酒造〉
「ワインの場合、原料であるぶどうは水分が多く傷みやすいのでワイン醸造所とワイン畑は隣接してたり近かったりしますよね。日本酒の場合、米は変質しにくく保存も輸送もできます。でも、もう一つの原料である水は保存も輸送も大変です。だから、水があるところで日本酒造りが栄えるんです。古くから銘酒の里として知られる京都伏見は良質な地下水が豊富。伏見のある京都盆地の地下には、琵琶湖一個分の地下水が蓄えられているそうです」
〈小澤酒造〉のある青梅市沢井も名水で知られる地です。目の前に流れる多摩川は清らかに澄み、緑深き山々には湧水が豊富。
「他県や海外などで澤乃井を紹介する時に『東京の日本酒です』と言うと、『東京の水で作った酒なんて』とおっしゃる方もいます。そんな時、蔵の周辺の写真を見せるんです。そうするとみなさん『えっ、ここ東京なの!?』と驚くんですよね。東京という誰もがイメージする都会の風景と、ここに広がる自然豊かな風景に大きなギャップがあるんです。このギャップこそが、青梅・奥多摩エリアの魅力だと思います」
2つの仕込み水を使い分ける〈小澤酒造〉が水にこだわるわけ
江戸の酒は塩辛い江戸料理に寄り添ったキレの良さが特徴ですが、〈澤乃井 大辛口〉は、その江戸の味を今に受け継いでいる小澤酒造の代表的な酒。仕込み水は、多摩川対岸の山の中に湧く「山の井戸」から採れる、やわらかな軟水です。
小澤酒造ではもう一つ性質の異なる湧水を仕込み水として使っています。蔵の裏山に湧いている「蔵の井戸」で、こちらは中硬水。蔵の北のほうにある高水山を源とし厚い岩盤を通じて湧き出る水で、創業当時から使われてきました。
「もともと小澤家は、森を守り、山を整える林業を生業としてきました。そしてその山の湧水を使って酒造りが始まったわけです。水と共にあり水にこだわる〈小澤酒造〉の酒造りをもっと伝えていきたいし、水の力で酒のポテンシャルを上げていきたい。その取り組みの一つが、「蔵の井戸」の中硬水を使った生酛(きもと)造りの酒。生酛造りは自然の力を利用して発酵させる昔ながらの酒造法です。中硬水はミネラル分が多いため酵母が活発になり、いわばフルボディの奥深い味わいの酒になるんですよ」
近年特に力を入れるようになったという〈小澤酒造〉の水へのこだわり。当たり前にあった恵みに改めて注目し、〈小澤酒造〉の酒造りを未来につなげるための試みなのだなあ!と感じました。
日本酒と水を介して知る奥多摩・青梅の魅力
23代当主がもう一つ、力を入れていきたいと考えていることがあります。それは実際にこの地に足を運んでもらうということ。「酒蔵があるということは、この街に人を呼ぶひとつのきっかけになります」と小澤さん。地域の観光をリードする存在として、小澤酒造では酒蔵を中心にさまざまな施設を運営し、多くの人を迎え入れています。酒蔵見学は平日2回、土日祝日は3回行っています。また、蔵の南側の多摩川沿いには、レストランや売店、カフェなどが点在する庭園、〈澤乃井園〉が広がります。
「アクセスが良いというのは、東京の酒蔵の強み。直接お越しいただき、この山々の緑を見て、空気を吸って、なるほどここならいい酒ができるよね、と納得してもらえればうれしいです。そして、うちの日本酒やその仕込みに使っている水を通じて、奥多摩・青梅に興味を持ってもらいたいですね」
また、多摩地域の酒蔵は繋がりが密で、みんなで新しい日本酒の飲み方を研究しているそう。
「お酒を飲みながら食事をする時、まずお刺身や野菜の料理から始めることが多いですよね。本当は日本酒が合うんだけれど、最初の一杯はのどごしも欲しいからビールが飲みたい。そんな時にちょうど良いのが、日本酒の炭酸割り“日本酒ソーダ”なんです。日本酒と炭酸を1対2で割って、氷も忘れずに。ぜひ、試してみてください!」
日本酒好きもそうでない人も、すべての人を楽しませる〈石川酒造〉
〈小澤酒造〉と一緒に新しい日本酒の飲み方を提案している〈石川酒造〉は、〈小澤酒造〉から多摩川を車で40分ほど下った福生市にあります。
看板酒〈多満自慢〉など、すべての酒造りを担っているのが、若き杜氏の前迫晃一さん。前迫さんが、杜氏に抜擢されたのはなんと32才の時。今年で40歳という若き杜氏なのです!
前迫さんの酒造りの個性の一つは、食用米を使うことです。一般的に、日本酒造りには酒米というでんぷん質が中心にぎゅっと集まった米を使いますが、前迫さんの造る〈多満自慢〉は、食べてもおいしいササニシキやコシヒカリといった米を使うそうです。
「東京の酒蔵として酒造りを続けていくためには、他県ではやらないことに取り組んだり、独自のやり方でおいしい酒を造ることに挑戦していかないといけない。王道じゃない挑戦をすることで、苦労もあるし工夫もたくさん必要ですが、その結果いい酒ができて、僕らの取り組みを面白がってくれるファンの方も増えてきたのはうれしいことですね」
そもそも〈石川酒造〉の始まりは、1863年のこと。石川家はこの地の庄屋の代表者として地域の運営を担いながら、農業を中心にいろいろな事業を営んでいました。江戸後期に稲作が順調になり余剰米が採れるようになったことで、石川家の13代当主が酒造りに挑戦したことがきっかけです。
石川家が代々暮らしてきた〈石川酒造〉敷地の中には、日本酒を醸造する本蔵、ビール醸造を行っている向蔵、資料を保存している文庫蔵など6つの国登録重要文化財と、樹齢400年を超える夫婦欅(めおとけやき)や樹齢700年とも言われる御神木など、見どころがたくさん。建物の一部は、地元食材を生かしたイタリアンレストランや食事処、売店にもなっていて、誰でも利用できます。
「江戸時代の頃から『地域の人が困った際いつでも訪ねて来れるように』と、門には鍵をかけないのが石川家なんですよ。今でも自由に敷地内を見学していただけます」と教えてくれたのは、〈石川酒造〉でラベルのデザインなどを担当しているデザイナー兼広報の石川雅美さん。
「毎月第4土曜日・日曜日には『感謝デー』というイベントを開催しています。『感謝デー』には、蔵の見学ツアーのほか、マルシェやイベントも行っています。その他にも、〈石川酒造〉は、ライブの開催や日本舞踊のお稽古、地域の会合などにご活用いただいています。私たちはここを“酒飲みのテーマパーク”と称していますが、お酒を飲む人も飲まない人も楽しみながらこの場を活用いただけることが大事。お酒だけでなく沢山のコンテンツがありますから、お好きなものを体験していただければ」
酒造りもレストランも、すべては地域のために役立つ存在であり続けるために
酒造りを中心に、多彩な事業を展開している〈石川酒造〉。誰でも楽しめる場であるようにということと、もう一つ、このように取組む理由があります。それは、「酒を楽しむためには総合力が大事」と、18代当主の石川彌八郎さんは言います。
「おいしいお酒を飲むだけでなく、それを楽しむ空間や一緒に味わう料理など、いろいろなものが総合的に作用していい時間になります。味わう前のワクワクやあとに残る余韻までを、〈石川酒造〉では提供したいと思っているんです」
そして彌八郎さんは、「そういった現在の事業は、すべて江戸時代から石川家がこの地でたどってきた道のりの延長線上にあるもの」と続けました。
「時代の移り変わりとともに、農業メインから酒造メインに石川家の事業は変わりましたが、変わらないことは地域のために・みんなのために、という想いです。地域に喜んでもらえる存在であり続けたい。それは18代目として地域とのつながりを未来につなげていくという責任感でもありますし、あとはやっぱりみなさんに喜んでもらえるとうれしいですからね」
改めて庭に出ると、蔵などの建物だけでなく、いろいろな古いものが点在しているのに気がつきました。明治時代にいち早くビール造りに挑戦した時に使っていたビール釜が飾られていたり、古い樽を再利用したテーブルやプランターが使われていたり。〈石川酒造〉のこれまでの歩みの痕跡があちこちに残され、訪れる人を楽しませています。
「訪れた人に一番感じてほしいのは、ここに積み重なった時間。ここで造ったお酒やビールをおいしい料理と一緒に味わいながら、この雰囲気ごと楽しんでください」
多摩地域には現在9つの酒蔵があり、それぞれの酒造りに取り組んでいます。各酒蔵のストーリーを紐解けば、「東京で造る日本酒?どんなの?」という疑問が「東京の酒、いいね!奥深い!」という感動に変わるはずです。ぜひ、酒蔵を巡って東京・多摩地域の日本酒と出会ってください。
【Vol.4:8月下旬公開予定】
次回は、府中市の大國魂神社とお祭りについてお伝えします。お楽しみに!
※文中の価格はすべて消費税込み、2024年7月時点でのものです。