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「濃い時間」と見聞きした時の違和感

今日は六本木で会食。ビジネスシーンで活躍中の同世代との会話は刺激的で馬鹿話から、今後のキャリアにつながる話やら、自粛が明けた後に仕掛ける仕込みの裏話まで。なんなら次の商談につながるアポまで取れちゃって、大変濃い時間を過ごすことができましたー。Nさんの起業話と合コンでの失敗話の落差が超ウケた(いい意味で)。

こういう文脈で使われている「濃い時間」ってのに遭遇すると、意地悪根性がふつふつと湧き上がってくる訳です。

理由はなんとなくこんな感じ。

・「濃い」が主観に寄りすぎる表現な為、内実を汲めない
・「濃い時間」が抽象的で具体的なイメージができず消化不良になる
・馬鹿話からビジネス話まで幅広く網羅した「濃い時間」を過ごせるわたしってイケてるでしょ感のアピールがひっかかる

他人の書く文章で、気になる単語なんてそんなにないのだけれど、この「濃い時間」にだけは、なぜだか目を留めてしまう。この意地悪な気持ちはどこから来るんでしょうね。どこかに何か、壮大なコンプレックスでも抱えているのかしら。


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