いや、その通りだよね。の「いや」はどこにかかるか
とりあえずなんにでも、かんにでも返答の頭に「いや」を挟むタイプっているよね、自身にもそういうことってあるよね。
そういうことを先日書いた。
ざっくり以下のような見解でまとめたつもり。
・感嘆の「いや」と否定の「いや」がある
・入り混じって強い否定でもないけれど「いや」を挟む習慣が生まれたのかも
そのあと、もう一つ視点が浮かんできたので書いておきたい。
「いや」は誰にかかるか
例えばこういう会話があったとしましょう。
A平社員:部長の方針ってごもっともなのですが、ちょっとスピード感に欠けると思うのです。時代が時代なんだから既存クライアントを切ってでも高単価な新規顧客開拓に人材を投下すべきではないでしょうか。
B課長:いや、A君の言う通りだよ。
このB課長の「いや」ね。
ざっくり4方向にかかりうるな、と。
1:A平社員の意見
2:部長派
3:自身の頭の中
4:A平社員の人格
4:A平社員の人格…というのは、まあ何と言いますか。先日記事の裏本旨でもあるのですが、とにかくどんなものにも一回否定しておかないと気が済まないタイプというのはこれに当たります。こちらは置いておきまして。
文脈からすると、1:A平社員の意見にしかかかりようがないのです。しかしながら、B課長の頭の中では、当然ながら色々な思いが錯綜している訳で、「いや」はそれら様々なところにかかりうるのです。2:部長派やら、3:自身の頭の中に。
もちろんそんな目に見えないところへの否定を言葉に出してしまっては、受け答えとして変ですよ。
A平社員:部長は間違っている! YES or NO?
B課長:No、その通り!!
文字面だけ見ると上記なので。
否定のあとに肯定が来てる。
変。
この場合のB課長の心情は以下X、Yのどちらかなのかなと。
X:「部長派間違っている!私も部長派ではないんだよ!Noである!」
Y:「部長派は間違っているのは確かなんだ、でも反対するのはリスクだしな…とはいえ、A君が正しいよ。だから私のこの妄想はNoである!!」
上記いずれかの心情が表に出てきて、A平社員の意見に肯定的であるにもかかわらず「いや」が出てきたと。
そういうことってありますよね。
話し手には肯定的で、話し手が否定している何かを同じく否定しての「いや」あるいは、自身の妄想を打ち消そうとしての「いや」。
そういう時の返答って、否定の後に肯定の返しが来得るんですよ。
いや、その通りなんだ
「いや」=感嘆の「いや」だという整理もできたのですが、会話においてはね、「いや」は必ずしも相手の意見にのみかかるんじゃないよね。そういう見解。
「いや」の方向は3D、4Dなのです。
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