「マンスプ、トンポリ、ミソジニー」って流行りのカタカナ語をつまみ食い
以下記事の表題になっていたのは、マンスプ、トンポリ、ポリコレだったのだけれど、最後をミソジニーにした方が語呂が良かったので。
マンスプ/マンスプレイニング
これ、聞いたことなかったんです。
マンウィズ……?ってなりましたけども。
新しいカタカナ語ってどんどん湧いてきますよね。
全部追っかけるべきか?
別に知らなくてもよいような気もするんですが、その意味を調べると割と興味深い概念であったり、カタカナ語にされるという事イコール最近注目されている話題に関連する事項であったりするので、ふと知らないカタカナ語が出てきたときにちゃちゃっと調べるのは知識の補強のみならず、好奇心を満たしてくれるという意味で嫌いじゃない。嫌いじゃない、嫌いじゃない……なんでちょっとネガティブかというと、何でもかんでもカタカナにして!もっと日本語的な言葉で概念化してよ!!という矜持であり、ある種の忸怩から来る何かですな、これは。英語の勉強が好きなことと、概念をカタカナで表すことが好きか否かは全くの別感情なのであります。
では、ついでなので、他の二つ(プラス一つ)も。
トンポリ/トーン・ポリシング
トーンポリシングね。これはちょっと前からよく聞くようになった。
例えばこんな感じですね。
Aさんが言うように、ニュースで取り上げられるような「学校法人の設立に関して行政がどのように関与していたか」「自衛隊の派遣先が紛争地域なのか否か」「政治家の開催したパーティーが利益供与にあたるや否や」なんて適切に情報開示されていたかと問われると両手を挙げてYESと答えられる人は少ないと思います。
ただし、行政文書って何でもかんでも開示する義務があるのかというと必ずしもそういう訳ではなく、行政は必要に応じてそれを開示しないことができたりするんですよね。
この辺の第五条とか。
「特定のものに不当に利益を与え若しくは不利益を及ぼす」可能性があるから開示できないんですよー。言うたら、法的にはOK。それが妥当かどうかは行政事件訴訟法に則って、裁判で判断してもらう必要があるというね。基本的にはそういう立て付けな訳です。
Aさんの問題提起そのものは間違っていません。
現在の法的立て付けでは、行政(まあここでは政治家も含んで)は割と簡単に情報の非開示を決めることができますから。
Bさんはその問題提起の正しさを無視して、言葉遣いを指摘してその問題を唾棄している訳です。
これがトーンポリシング。
Aさんが言葉遣いを改めたり、ちゃんと勉強して主張すべき方向性を改めた方が良いのは言わずもがなですが。それは一つの礼儀であり作法として。
ちなみに、Aさんの主張を施策に落とし込んで実現しようとするならば、行政法の法改正が順当な手段であります。立候補するか、同じ思いを持った政治家を見つけて投票&プッシュするか。「クソが」って一生懸命汚言をのたまったとて、「当たり前」なんて限られた範囲内での常識を過度に一般化したとて、世の中は一向に変わらないってのは残念ながらの事実ではあります。
とてとて。
ミソジニー
これは…これは文字の意味だけでいいか。
女性蔑視って言葉じゃなくてここ数年でこの言葉に入れ替わった感。
記事にも出て来てたけど、対義語はミサンドリーって言うみたい。
しらなかった。
類義語でインセルって言葉もちょこちょこ使われているみたい。
あと次のこれ。表題には書かなかったけれど、冒頭記事内でちょっと触れていたのと、あと、書きたかったのとで。
ポリコレ/ポリティカル・コレクトネス
はじめて聞いたときは本当にパリコレ的な何かかと思うた。
「看護婦」を「看護師」としようだとか。映像表現で白人ばかりを主人公とすることの是非だとか。「お母さん」食堂ってお母さん像を何らかの形で固着させてしまっているのではないか、とかとか。
ポリコレそのものというより、行き過ぎたポリコレ通称「ポリコレ棒」の方が注目されがちな気もする。
これが行き過ぎかどうかはさておき、ちょっとドキッとしますよね。
ポリコレに端を発してそういう視点が増えてきている、と。
ポリコレと称するあれこれに触れて「ちょっと行きすぎじゃーん」って感じる人も多いかとは思うのですが、こういう観点って時代によってほんっっっとうに変わりますからね。
善し悪しは別として、悪意なしにそこそこ権力のある4、50代の女性が、若いアイドルにキスを迫るとか。昔なら笑い話だったけれど、今では大ごとですから。ワイドショーでのつるし上げ、あるいは逮捕、訴訟まで。「いつ結婚するの?こどもはできそう?」なんて男性のセクハラも然りね。
社会の一員である以上、カタカナ語には矜持やら、忸怩やら辟易もするけれど、社会性というのは社会と共にありまして、それなりにそういう言葉群から、風潮を感じ取る必要があるわけです。
ある程度はね。
ただ、社会の変化が加速する多様性の先に何があるかって、分断と言わぬが花の世界な気がしてね。だって誰しもが多様なすべての情報についていけるかというとそれは難しいし、所属しないコミュニティの文化なんて知りようもないものね。で、あれば不要な接触と発言は自ずと憚られますわな。
分断と言わぬが花の世界。
ほんまにそれは望まれてるのん?ってちょいちょい思ったりしながらさっきおやつのナッツをつまみ食いしてました。
平和がいい。
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