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ちょっとブレイク よみがえる味「明太子豆腐」


記憶のなかの味

むかしむかしの学生時代の話だけれど、味というものは昨日のようによみがえるもので。


南青山の路地を入ったところの「台所」というごはん屋さんでアルバイトしていたのは、なんとも35年ほど前。東京郊外の美大から都心のバイトに通うのはひと苦労だったけれど、料理好きになった原点がここにある。そして、自作のうつわと料理を組み合わせて紹介する仕事をしようと決めたきっかけとなったのも、ここ。

料理とうつわとアートが好きで、当時から食いしん坊で、いつも空想に飛んでいる学生だった。


美大のアルバイト求人

ある日、掲示板に「陶芸を学ぶ人」という条件でアルバイトを募集している飲食店を見つけた。それが冒頭の「台所」というごはん屋さん。

美大の「アルバイト求人」の張り紙はおもしろくて、学業柄「ヌードモデル」はもちろん、「課題てつだいます」「課題はこびます」は、まあ順当。「求むベース・ヴォーカル」「モデル募集」「ライター募集」などカルチャーな感じも、まあ大学あるある。「ごはんつくります」「犬の散歩します」や、ちょっとヤバイ「薬剤人体実験」なんかもあってバラエティに富んでいた。

好奇心から、マルチにバイトの味見をした。男女均等法がない時代、建築会社で「建築模型」を徹夜でつくったり(警備巡回中は隠れながら)、リサーチ会社でその後の「ライティング」仕事のきっかけにもなるバイトもした。大好きな「料理」に関するバイトとして、パン屋、フレンチ、ベトナミーズレストランでも美味しく働いた。そして、最後に、冒頭の家庭料理の食堂バイトに至る。(その後、全てが今の職業につながっている)


五感で学ぶ

南青山といえば、当時、アパレル会社やデザインスタジオが華を咲かせていたエリア。 街自体が、空間がデザインされ、モードやアートが浮かび上がり、たくさんの明日が詰まっていた。

ごはん屋さんの客層のほとんどはデザイナーやパタンナーで、頻繁にモデルや俳優も姿をあらわした。生活まるごと先を走る人たちが、いっときの安らぎを求めて隠れ家的な食事処に寄ってくれる。

店主は、こだわり強く、時にきびしく、けれどもセンスあるおじさんだった。深くワックスが染み込む木の床と木のカウンター。客席も味のある木のテーブルと椅子。骨董や民藝のうつわで家庭料理を出す。採用面接で「うつわを丁寧に扱うことはできますよね、陶芸の勉強をしているのならば」と鋭い眼で問われた。

おひつからおしゃもじでごはんをよそう所作を何度も教わった。料理が出来上がると「〇〇!」とうつわの指示が出るので、棚からうつわを出して美しく盛りつける。それは厨房でなく店内のお客様の前で行われるのだから緊張するのだけれど。店主の「料理もうつわも五感で学べ」「目と口で盗め・手でまねろ」という強いこだわりから、美大に「陶芸を学ぶ人」という条件で求人広告を貼ったらしい。

ありがとう、おじさん。


おじさんの明太子豆腐

味も口で盗めの教えから、毎回開店前のまかないをつくってくれるので、働く時間より1時間早く入る(ねばならない)。時給が発生しないし通勤に時間かかったので大変だったけれど、ここも学びだ。調理場に入って手順を眺められる時間。「これポイントね!」と、コツを教えてくれた。おじさんは家庭料理のプロだったようだが、青い渋柿だったわたしは、大人相手に経歴など聞ける能力など持ちえておらず、あいにくおじさんのことをよく知らないままに終わった。

焼き魚、オムレツ、ハンバーグ、野菜のいためもの、おひたし、豆腐サラダ…。今では珍しくないが35年前、先駆的だったオーガニックで素朴を活かす自然派の家庭料理。中でも、おじさんのつくる明太子豆腐が大好きだった。

おじさんのことをよく知らないまま、わたしは美大を卒業してバイトもおしまいとなった。きっと、あの時のおじさんくらいの年になった。

おじさんの明太子豆腐、35年間で何百回つくったかな。今夜はおじさんの明太子豆腐をアレンジしたスープよ。


① 土鍋で沸騰させた湯に豆腐をくぐらせたら豆腐を取り出し湯を捨てる。
② 土鍋に皮を取った明太子と酒をいれさっと火をいれる。(スープにするときはだし汁を加える)
③ 醤油を少々。レモン汁も少々。
④ 小口ネギなど散らして完成。


写真:ミニミニ土鍋は直火で調理もできます

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