ちょっとブレイク「春のうつわ」八重の山吹
天寿というものがあって、人はいつか旅つわけで。遠くて近いところへ。親をはじめ、生きるものはさようならと手をふってゆく。
意図せずに、新しく元号がかわる前の日、義理の両親の家は引き払われた。
分け枝をして我が家のちいさな庭に植えた山吹。もう15年くらい経つだろうか。なにかを告げにきたかのごとく、今年も我が家のちいさな庭に、静かに低く咲いていた。
彩度を落とし控えめに光を透く桜。それと同時季に咲く山吹は、無鉄砲な色をした上に、八重の花びらはこれでもかと屈強さを押しつけている感じで、ぼんやりする春のなかで、どうしても好きになれなかった。あの日からずっと。
「挿し木して庭に植えたら?」
「きれいですね、やってみます」
そんな会話、タテマエだった。
新年号のタイミングで万葉集をふたたび開いた人は多いことであろう。奇しくも山吹の歌が眼に飛び込む。万葉集の時代、山吹は庭に植えられ、宴席に持ち込まれた花のひとつであったとか。
花咲きて実はならねども長き日に
花が咲いて、実はならないけれども、
長く望んだ山吹の花よ (作者不明)
八重の山吹は、実のひとつぶもつけず、種を残さない品種であると歌から知る。好きになれず放りっぱなしであった花なのに、愛らしく、そして誇らしく思った。
数回しか淹れてあげられなかったお茶。自作の急須に山吹を挿してみた。
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