イオーヌィチ 読了

先日、チェーホフ作品集を購入したので手始めに読んでみた。

県庁所在地のあるS市近隣に赴任されたイオーヌィチと、教養深く才能溢れる名家の娘であるエカテリーナの心が上手く交わらないアンジャッシュのすれ違いコントのようなお話。

名家はトゥールキン一家と呼ばれ、家族全員一芸に秀でている(父は劇 母は小説など…)

安らかな朗読、滑稽な一人芝居

そんな中イオーヌィチはピアニストを目指す箱入り娘のエカテリーナに恋をするのだ。

エカテリーナは表情には幼さを残し、腰つきも細りと華奢であるが膨らんだ胸を筆頭にうら若き乙女の青春を物語る姿をしている。

ロリコンみたいなことを感じるイオーヌィチが抱く思いは、我々も一度は抱いたことのある思春期の恋心であろう。

思考と身体とアンバランスさが魅力的に見えるのは芸術の技法にも多く見られる。

さて、アンバランス故に自由奔放なエカテリーナはイオーヌィチを夜の墓地に呼び出し、独り待ちぼうけさせたりする。

この辺りの気まぐれさは俗に現代のメンヘラ女感漂うなんともイオーヌィチに同情してしまうような展開だった。

盲目な恋に踊らされてしまうと自分の理性に歯止めが効かなくなり、好きな相手のために身を削ってまでアピールしようとする。振り回されるのが心地よいとまで思ってしまう。

暗闇の中、接吻や抱擁を妄想していたイオーヌィチは命が燃え尽きた魂を墓地に感じるのである。

一体ここには、その辺の塚穴の中には、どれほどの婦人や少女たちが、かつては美しく蠱惑にみちて、恋いわたり、男の愛撫に打ち任せて夜ごとに情炎に燃やした身をひっそりと埋めているのだろう。

ぐるぐる思考を巡らせ、やがてくたびれエカテリーナがここには来ないことを悟ると馬車に乗り込んで帰路に着くことにした。その際、立っているのがやっとだったため「肥りたくはない」と感じる。

翌日の夕方、イオーヌィチはエカテリーナに求婚するためにトゥールキンに向かった。

甘やかされ放題育たれ、昼の二時過ぎまで眠る箱入り娘のじゃじゃ馬娘の…いや、それでも俺はエカテリーナが好きなんだ。町に勤めることも厭わない。愛してやまないんだ。

こんな風にナルシズムというか悲劇のヒロインというか、盲目な恋特有の自己肯定を抱きながら到着すると、エカテリーナをクラブまで送っていってほしいと頼まれる。

馬車で二人きり 「僕は昨日墓地に行きましたよ。あなたはなんとも意地悪なことをする人ですねえ」

エカテリーナは自分に惚れ込んでいる男を一泡吹かせることが出来て満足だった。

ここまで来ると恋に溺れる人間というものは滑稽であるなと感じる。

抑えが効かなくなったらイオーヌィチは求婚を申し込む。これまた目も当てられないほど叙情的に、自己愛に満ちている詩的でセンシティブな求婚をする。

「「ねえドミートリー・イオーヌィチ、あなたもご存じのとおり、わたしは世の中で何よりも芸術を愛していますの。わたしは音楽を気ちがいのように愛して、いいえ崇拝していて、自分の一生をそれに捧げてしまいましたの。わたしは音楽家になりたいの、わたしは名声や成功や自由が欲しいんですの。それをあなたは、わたしにやっぱりこの町に住んで、このままずるずるとこの空虚で役にも立たない、もうわたしには我慢のできなくなっている生活を、つづけろと仰しゃるんですわ。妻になるなんて――おおいやだ、真平ですわ! 人間というものは、高尚な輝かしい目的に向かって進んで行かなければならないのに、家庭生活はわたしを永久に縛りつけてしまうにきまってますわ。……」

失恋のショックでイオーヌィチはしばらく茫然自失となるが

一蹴したエカテリーナが音楽学校のあるモスクワへ旅立ったことを知る。

こうして諦めのついたイオーヌィチは元のように医者として勤める日々に戻る…

と、ここまでが前置きなのである。

4年後、でっぷり肥り、喘息持ちになったイオーヌィチは癇癪持ちでカードゲーム(賭け事)に明け暮れる、財産だけ無駄にある醜態をさらしていた。

街の人から「高慢ちきなポーランド人」と呼ばれるほどまで性格が歪んでしまった。

そんな中、トゥールキン一家のマッマ(小説好き)から近ごろお見えにならないわね〜と、お誘いの手紙が届く。

乗り気ではなかったが、少し考えた挙句馬車を走らせた。

昔のような笑顔で出迎えるトゥールキン一家の人々。

子猫ちゃんことエカテリーナは前よりも痩せ、顔の艶めきが落ち、器量と姿が良くなっていた。

しかし、これはイオーヌィチが恋した子猫ちゃんではなくエカテリーナ・イヴァノーヴァという1人の人間であった。

4年もの月日が経てばうら若き乙女から綺麗な女性へと変貌を遂げるのは当たり前であるが、昔の表情とは打って変わって無駄なところが付け足されていた。

眼差しにも身のこなしにも別の誰かと接しているような様子が見受けられる。

今見てもエカテリーナのことは好きになれそうだった。むしろ大いに好きになれたが、今では足りないもの、余計な部分すらも感じられて…

初めはおどおどした態度や蒼白さ、弱々しい微笑が目に付いたのに、座っているイスや、肘掛、彼女を構成するディテールの全てが鬱陶しくなった。

マッマが小説の朗読をしていても「無能とは小説の書けない人ではない、書いてもその事が隠せない人だ…」と、まで思ってしまうひねくれ具合を見せるイオーヌィチ。

そんな内面を露知らず、エカテリーナはもう一度プロポーズしてほしいようで、「あなたは今どんな暮らしをしているの?」と、かつて自分に恋焦がれていた男に感謝を伝えるべく潤んだ眼と好奇の目せんとそれから過ぎし日が惜しまれるような愛くるしい姿で尋ねてきた。

仕事の愚痴を零すイオーヌィチにエカテリーナはあなたを尊敬しています!とプロポーズにも似た言葉を届ける。

「でもあなたにはお仕事が、生活の高尚な目的がおありですわ。あなたは御自分の病院の話をなさるのがあんなにお好きでいらしたじゃありませんか? わたしあの頃はとてもおかしな娘で、一人で大ピアニストのつもりになっていましたの。今ではどこのお嬢さんでもピアノぐらいお弾きになりますけど、わたしもつまりは皆さんと同じように弾いただけの話で、べつにこの私にとり立ててこれというほどのものなんかありはしなかったんですわ。わたしのピアニストは、ママの小説家と同じことなんですわ。それにもちろん、あの時のわたしにはあなたという方が分かりませんでしたけれど、その後モスクヴァへ行ってからは、よくあなたのことを考えるようになりましたの。実はあなたのことばっかり考えておりましたの。本当になんという幸福でしょう、郡会のお医者さんになって、お気の毒な人たちを助けたり、民衆に奉仕したりするのは。まったく何という幸福でしょう!」とエカテリーナ・イヴァーノヴナは夢中になって繰り返した。「わたしモスクヴァであなたのことを考えるたびに、とてももう理想的な、けだかい方に思えて……」

プライドだらけだったエカテリーナは、自分よりも優れたピアニストを目の当たりにし、心が粉々になるにつれて、イオーヌィチのことを考えるようになった。

しかし、もう遅い。イオーヌィチの心は既に移ろいでおり、自分が毎晩ポケットから取り出すお札のことをふと思い出した瞬間に、エカテリーナへの炎がプツリと消えてしまった。

「よかったなぁ、あの時もらっちまわないで」

数年の月日がたち、イオーヌィチはぶくぶく太った癇癪持ちの金持ち医者として孤独に暮らしている。

来る日も来る日も退屈で…

一方、エカテリーナは来る日も来る日も四時間ピアノを弾いている。ちょいちょい病気をするようになって、秋になると療養地まで母親と一緒に向かう。(おわり)

かんそー。

結局のところ、イオーヌィチが抱いた恋心はイノセンス信仰以外の何者でもなく、エカテリーナは自己愛に浸るえげつない地雷女だった。

「なんであんなやつ好きだったんだろ、」と、後悔するまでが恋のワンセットなんだろうな〜って気がする。

淡い幻を追いかけていくから現実に引き戻された時に全てが憎らしくなるし、一番盛り上がっている時の感情に代用は効かないので、いつまでも同じ喜びは味わえない。

時の流れは栄枯盛衰で、大好きだったあの子のことを考えては苦しくなってを繰り返す。

時と感情の移り変わりのような大きなテーマを様々な比喩表現を交えながら作品に仕上げているチェーホフだが、読み難さは全くなかった。

この軽やかさは戯曲だからこその楽しみであり、ジョーク映えして会話に浸れる場面展開の速さがとても心地よかった。

尾崎翠が愛読していたのも頷ける。良作品。








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