「推し、燃ゆ」で、推さない側のわたしの過去がボヤ火
「推し、燃ゆ」を読みました。
主人公の女子高生あかりは、発達障害を抱えており学校でも家庭でもバイト先でも大変生きにくそうなのですが、アイドルの「推し活」だけはできる。
たけど推せば推すほど、周囲のあかりに対する「いやそんなことより勉強や職探し頑張れ?」という視線がキンキンに冷えていく。
日常が辛いほど、推しが生活の中心になっていく。
でも推し活が理解されないから、ますます孤立していく。
その負のスパイラルが辛すぎました。
あかりの姉が「あたしは受験勉強を必死に頑張ってる。どうしてそれが、あんたがアイドルを追いかけてるのと同じ頑張ってるになるの?あんたを見てると自分の頑張りが否定された気になる」とブチ切れるシーンがありまして、わたしはこの気持ちが非常に分かるなぁと思いました。
一方で、言われたあかりの気持ちになってみるとこの姉の発言はキツすぎて切ない。
わたしには弟がいるのですが、ヤツが大学を留年してゲー廃っぽくなってたときに、実はこのあかりのお姉ちゃんのようなセリフをそのままぶつけたことがあります。
「わたしは勉強やバイトもそこそこ頑張ってる!だけどアンタはゲームしてばっかして、バイトも辞めちゃって、挙げ句には留年なんて、一体何してんの?!」といった具合に…。
振り返り、いやこれキッツ…!!!と反省しました。
あの時は弟が怠け野郎にしか見えなくて、自分が絶対正しいという気持ちでした。
勉強とか部活とかバイトとかボランティアとか、一般的に「学生が頑張ってるといいとされるもの」を頑張ってるという自負が出て、弟に強気に出ていたな。
「推し、燃ゆ」を読んで、「なんで弟はゲームにあそこまでのめり込んでるんだろう」ってちょっとでも考えてあげればよかったのかなと思いました。
人付き合いのうまくないヤツだし、大学やバイト先でも苦労しただろうから、そういうところも汲み取ってあげれたかもしれない。
あの時の弟にとって、ゲームが救いになってた可能性が高いもんな。
うーん、でもだからといって、頑張らなくてもいいって訳じゃないしなぁ。
アニメやゲームやアイドルといった自分を現実から逃げさせてくれる場所を持つことは大切だけど、のめり込み過ぎると日常生活が回らなくなっちゃう。
そこのバランスは保たないといかんだろ、とも思うのです。
とにかく「世の中的に自分が正しい!」と思う立場にたったとき、「正しくない人」に対して傲慢ともいえる態度に人はなりがち、っていうところは肝に銘じておきたいです。
余談ですが、M-1で優勝したマヂカルラブリーの野田クリスタルさんが昔、お母さんから「お笑いやめて就職したら?」と言われ、「それは俺に死ねってことか?」と返したというエピソードを思い出しました。
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