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源氏物語 幻想女楽「花かさね」楽曲解説 その2〜めずらしく今めきたる楽をもとめて〜

めずらしく今めきたる楽をもとめて

楽曲構成と演奏・鑑賞の手引き
源氏物語 幻想女楽「花かさね」は、源氏物語 若菜の下巻六条院の女楽について国文学者 故石田百合子先生による詳細なご教示をいただき、これを基に、音楽的解釈を加えた情景描写として創作したものである。(2008年伶楽舎雅楽コンサートno.20”御簾のうちそと”にて委嘱初演/2024年雅楽コンサートno.42”源氏物語を聴く”にて改訂初演)
以下、作品の演奏上及び鑑賞者の手引きとしていただけるよう、楽曲の構成と、各楽章における原文との関わり、創作上の解釈を記載する。

楽曲の基底に通奏する心理的なテーマは“祈り”である。これは女楽で最も主要な登場人物である紫の上の心情として至った境地を表す。

さて、故・石田百合子先生は国文学者の立場で生涯をかけて源氏物語の音楽を研究され、私は音楽家として雅楽の創造性に注力している立場で、<御遊>の多様な姿について常々論を交わした。<御簾のそと>における御遊とは、公式の、すなわち男社会の催事であり、舞楽に代表されるような屋外の催しであり、そのスケールは国家ページェントに及ぶ。一方で、<御簾のうち>は御殿のなかのプライベートな空間で行われた遊びであり、女性が参加することのできる非公式な場である。本作『花かさね』は、琴をはじめとする絃物(いともの)の、まさに<御簾のうち>でしか聴くことのできないような微小な音色の機微に奏者(登場人物)の心情をかさねることで、六条院に交錯する響きに映る心もよう、すなわち<心のうち>に迫ろうと思う。

かたや、源氏物語を科学的な視点で解釈するならば、光君はまさに実体のない波動であり、事物はその光に照らされて初めて色彩を得ることとなろう。すなわち、『花かさね』では、若菜の下・六条院の女楽の場面にあって、音楽をプリズムとして、光源氏を中心とした各々の人間関係とその心理が浮かび上がる情景を想定する。そして物語は、女楽以後、御簾内の“調和”を重んずる世界に破綻をきたし、不幸な展開へと向かう“兆し”を示唆する。

さて、紫式部は、紫の上の和琴の上手を評して、「めずらしく今めきたる」と記している。平安期当時の音楽=雅楽であり、既存の楽曲やその語法を熟知していた紫式部がさらに想像を膨らませて聴こうとした音楽とは何であったのか?
私は、雅楽古典の様式に基づきつつ、現代の楽人として音楽表現の拡張を行うことを意図し、調絃や和声、リズム等の要素をさまざまに展開して楽曲を構成した。この作品を通じて、一千年の時を超える幻想の楽の現出をこころみる。


◾️梅香黄昏

「正月二十日ばかりになれば、空もをかしきほどに、風ぬるく吹きて、御前の梅もさかりになりゆく」
正月十九日黄昏時、六条院の梅はたわむほどに咲き乱れ、風ゆるやかに吹く。

・ 筝:夕霧、壱越調に発の緒を立てて 〜 掻き合はせばかり弾きて、
・ 笙(髭黒の三男)/横笛(夕霧の長男):御孫の君たちの〜吹き合はせたるものの音ども、まだ若けれど、生い先ありて、いみじくをかしげなり。

正月十九日は現在の二月下旬にあたり、梅はたわむほどの満開で、春の気配とともに時が薫る。
土佐光吉の画にもあるように、源氏以外の男君は御簾の外に在り、夕霧は源氏の指示で箏の調絃を行い、謹んで短い掻き合わせの曲を弾いたのち、御簾のうちに送り入れる。
夕霧が調絃する壱越調とは、D音を主音として構成される古典の音列であり、雅楽の形而上では中央を表し、物語の中心にある源氏の姿を象徴する。この章では、古典の壱越調で始まる奏楽が、途中から作品独自の音の組織に移り、全体の序曲として提示する。

◾️花あわせ

「御琴どもの調べどもととのい果てて、掻き合わせたまへるほど」

雅楽の『調子』/『掻合』にあたる楽曲として、また登場人物の紹介を兼ねて創作。楽器と登場人物の対応は以下とし、原文における登場順(=身分順下位より)に古典の手を基に発展させ、かさね奏する。

・ 琵琶:明石の上
すぐれて上手めき、神さびたる手づかひ(由緒ある古風な手使い)澄み果てておもしろく聞こゆ
・ 和琴:紫の上
なつかしく愛嬌づきたる御爪音に掻き返したる音の、めずらしく今めきて〜にぎははしく、大和琴にもかかる手ありけりと、聞きおどろかる
・ 筝:明石の女御
うつくしげになまめかしく(可憐で優美)のみ聞こゆ
いとろうたげになつかしく、母君の御けはひ加はりて、ゆの音ふかく、いみじく澄みて聞こえつるを
・ 琴:女三の宮
いとよくものに響きあひて、優になりける御琴の音かな

日頃、まみえることのない女君たちの音を通じた対面に緊張感ある演奏が想像される。

女三の宮_琴「今よりけしきありて見えたまふを」

◾️花くらべ

「夜静かになりゆくままに、言ふ限りなくなつかしき夜の遊びなり。」
“花くらべの段”とも呼ばれ、華やかに奏する女君たちを花にたとえて描写する。
この章では、原文に従い、琴(女三の宮)、筝(明石の女御)、和琴(紫の上)、琵琶(明石の上)の順で加え、かさね奏する。
この段から声が加わるが、まずは夕霧が横笛の習いで用いる<唱歌>(しょうが)の唱法で、これを受けて源氏が<歌>として歌唱する。
笛の唱歌には当時の名残りとも言える発音が現在も用いられている。2024年改訂に際し、歌詞の音韻は、平安期の発音に準ずることとする。

◇唱歌す 
・ 夕霧:拍子とりて唱歌したまふ。
・ 源氏:時々扇うちならして、加へたまえる御声、昔よりもいみじうおもしろく、すこしふつつかに(声太く)ものものしきけ添いひて聞こゆ

◇ 臥待月 
夕霧の唱歌を受けて、源氏が神楽風の旋律を、平安期の美しい音韻を活かして歌うこととする。(夕霧とともに歌唱しても可)
歌詞は、原文の「夜ふけゆくけはひ冷やかなり。臥待の月はつかにさし出でたる」より引用

◇ 心音(こころね) 
普段は各々源氏と対の関係にある女君たちは、奏楽を通じて内なる心を見つめ、さらに互いの心の共鳴を得る一瞬をあらわす。続く“影あわせ”の章とともに、音楽的な心理描写を試みる。

※ここまでに、宴の開始より2~3時間が経過していると思われる(日没から月の運行に照らした考察を、別記エッセイ「六条院の女楽から垣間見る月夜のおはなし」に記載)

「女御の君は、箏の御琴をば、上に譲りきこえて、寄り臥したまひぬれば、あづま(和琴)を大殿の御前に参りて、気近き御遊になりぬ」
原文では、このあたりで身重の明石の女御が箏の演奏から離れるによって、和琴は光源氏に、筝は紫の上に渡される。(御簾内のことゆえに、女房の補佐と想像される)

◾️葛城 

「葛城遊びたまふ。はなやかにおもしろし。大殿折り返し歌ひたまふ御声、たとへむかたなく愛嬌づきめでたし。」

催馬楽 呂旋『葛城』(かつらぎ)は、女楽のシーンにおいて、唯一、曲名が記された楽曲であるが、現行の雅楽には伝承されていない。2024年改訂に際し、原文に記された情景に、くつろいで興に乗ずる楽しげな様子が伺われることから、男声の囃子歌風の歌謡として再興を試みた。また、先と同様に、平安時代の音韻による歌唱とする。

『葛城』
葛城(かづらき)の 寺の前なるや
豊浦(とよら)の寺の 西なるや
榎(え)の葉井(はゐ)に 白玉(しらたま)沈(しず)くや
真(ま)白玉(しらたま)沈(しず)くや
おおしとど おしとど

しかしては 国ぞ栄(さか)えむや
我家(わいへ)らぞ 富(とみ)せむや
おおしとど としとんど
おおしとんど としとんど

新潮日本古典集成 源氏物語五より

ここに著された歌詞からも、「国ぞ栄えむ」・「我家らぞ富せむ」と栄華を極めた源氏一族の宴の絢爛が想像される。

御遊の後半は光源氏が和琴を奏でる

◾️影あわせ

光源氏はその名の通り、光のように超人的な存在と言える。しかし、女君たちはその光に照らされて実存を得るとともに、自ずから影を背負う事となろう。
御遊の盛り上がりとともに、夜更けて月は高くなり、花の色香も映えて優雅きわまるうちに、心の影もまた色を増す、その気配を音楽で表す。

一方、ここまでに楽器の奏者が以下に入れ替わり、楽の趣が変わったことが記されている。

・ 和琴:光源氏
・ 琴:女三の宮
・ 筝:紫の上
・琵琶:明石の上

紫の上について、「この御手づかひは、またさまかはりて、ゆるるかにおもしろく、きくひとただならず、すずろはしきまで愛嬌づきて、輪の手など、すべてさらに、いとかどある御琴の音なり。」とし、殊更に紫の上の上手を讃えることで、存在にフォーカスし、悲哀を誘う。

◇月光
「月やうやうさし上がるままに、」時間の経過とともに夜空の月は高く上がり、その光が御簾内に差し込んだであろうか。その月明かりにも照らされて、「返り声にて」呂から律へ変更するという記述に沿って、ここでは、曲中で筝の柱を動かして調弦をおこなう。

◇五箇の調べ
琴の“五六のはら”なる奏法をふくむ古典曲を適宜引用しつつ、即興する。

◾️花襲

「花の色香ももてはやされて、げにいと心にくきほどなり」

日頃まみえることのない女君たちが一堂に会した合奏に御遊は優雅を極める。
ここでは、横笛に始まる早只拍子のリズムに四絃が綾織りなすように加わり、次第に音をかさね、心をかさねる。ここでは、少年たちの笙、笛も彩りを添え、女楽のシーンの華やかなフィナーレを飾る。
また、“御遊”の折には残楽の形式で演奏する事が慣習となっていたとの記述もあり、これに準じて、笙、笛の順で吹き止め、絃物のみの合奏が残る。

◇祈り
若菜の下・女楽の場面は、源氏が栄華の頂点を極めた時期の御簾のうちがわを描いた場面である。その優美の深層に様々な思いが交錯する中で、源氏の人生においてもっとも深い絆で結ばれた紫の上に焦点を絞り、人生の終焉に向かう翳りと悟りの心情を表す。

◾️夜更

宴の締めくくりに、吹物奏者の君たちに褒美が手向けられ、光源氏が戯れに褒美を所望すると、女三の宮は几帳の端から<いみじき高麗笛>をたてまつる。光源氏が少し吹き鳴らすと、夕霧は退出の足を止めて横笛で応える。この上ない優雅の余韻をそこに集った人々の心に残すのである。

女楽には、優れた奏法が優れた奏者に継承される様を描写することで、楽を通じて時のうつろい(=世代交代)を表すが、これを象徴するような幕切れである。

伶楽舎雅楽コンサートno.42 ”源氏物語を聴く”より幻想女楽「花かさね」


最後に、作曲にあたって

紫式部は、雅楽について大変見識が深く、文中にちりばめられた楽曲名や楽語をたどるだけでも、その情報量の豊かさに圧倒される。物語には沢山の曲名が記されているにもかかわらず、女楽の段に記されるのは『葛城』のみであり、そこに創作の余地が残されたことは興味深い。作曲の課程において、その謎は常に意識のなかにあったが、最終的に私が至った結論は、紫式部としては、この複雑な心理劇を表現するに思い当たる既存の楽曲がなかったのではないかという考えである。であるならば、なおさら、女楽の創作が如何に困難であるかという事になり、原文に記された音楽情報を具現化するという作曲の基本姿勢を固めた上で、さらに大きな壁となって立ちはだかった。
 日本文化史上、究極の美の世界と、人間の心理の両者が持つ、年月を越えた普遍性、その光と陰の気配を少しでも醸し出せればと思いつつ、2008年の初演を向かえた。
 その後、2024年5月の改訂初演に向けて再び源氏物語の原文を熟読し、その仔細にわたる情景描写に改めて驚嘆すると共に、この女楽の一夜が、それまでの光源氏の輝かしい生涯を集約したような尊い時間であることに気がついた。源氏物語のクライマックスとも言える優雅を極めた御遊の光景は、色彩豊かな視覚情報とともに、聴覚や触覚にも触れるような、まさに総合芸術として想起されている。言葉によって語り尽くされた場面に、響きを加えることで、その光景が立体的に浮かび上がり、登場人物の心情とともに、一千年の時空を超えて紫式部の心を受け渡すことができれば本望である。

🔶六条院の女楽(『花かさね』) 奏者/楽器一覧

[光源氏] 歌・扇拍子・和琴・高麗笛
[女三の宮] 琴
[紫の上] 和琴・箏
[明石女御] 箏・扇拍子
[明石の上] 琵琶
[夕霧] 歌・扇拍子/笏拍子・横笛
[夕霧の長男] 横笛・歌・扇拍子
[髭黒の三男] 笙

※カバー写真:土佐光吉画源氏物語若菜の下 久保惣記念美術館所蔵
文中写真は、伶楽舎雅楽コンサートno.42 ”源氏物語を聴く”(2024.5.31@四谷区民ホール公演)より

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源氏物語 六条院の女楽から垣間見る月夜のおはなしhttps://note.com/tamami_tono/n/n4066c4ef439a

伶楽舎雅楽コンサートno.42
https://reigakusha.com/home/concert/4710





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