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パプリカと多様性〜私の子育て論〜


ちゃあちゃーん(お母ちゃん)!
また、ぱぷりぃか(パプリカ)見るよ!

昨日、2歳の娘サマは
エンドレスでフーリンのパプリカを 
ご鑑賞されていた。

彼女の中で
フーリンのパプリカは
歌を唄うが如く
「ぱぷりぃか」と発音するのが
正しいらしい。

YouTubeで
色んなバージョンのパプリカを観る機会を
彼女がくれたおかげで
ある動画にヒットした。

フーリンのメンバーと
さまざまな特性を持つ子供たちが楽しそうに
演奏する動画である。 

まだ2歳の娘は
「なんで、あの子は〇〇と違うの?」
などと聞いてくることは
まだ無い。

でも、疑問に思うようになったら
親として
何て言ったら良いかなぁと
想像した。

発達障害、統合失調症の妹について


少し話は脱線するが
後に繋げたい話題に触れたい。

私には
発達障害と統合失調症の特性を持つ家族がいる。

彼女は
先日30歳になり、婚姻歴は無く
平日、精神的に安定していれば
実家から作業所に通う日々である。

精神的にシンドイ日には
訪問看護さんに、自分の胸の内を
電話で吐露することで
セルフコントロールしたり
するときもある。

現在、私は2人目の出産にむけて
里帰り出産を控えているので
社会人となって実家を出てから約10年振りに、
実家で娘と共に居候している。

だから一時的に今は
父、母、わたし、娘、統合失調症の妹
の、5人暮らしである。

ある日、
父が、ふと言った言葉でモヤモヤした。

「あの子は、統合失調症になってから
生産性がなくなった。
自分の悩みを、訪問看護さんに相談したりしてるくらいで、生産性がない。
可愛そうだ」

父のいう、生産性とは?

「生産性」と聞いて
色んな考えが浮かんで
父にぶつけてみた。

• 生産性がないというが、
 何をもって生産性というのか?
•生産性が無いことは、果たして可哀想なことなのか?


訪問看護さんに、電話して
セルフコントロールしている。
自分と社会との繋がりをもっており、
家庭内だけで問題解決しようとしていない。

これだけでも、
彼女にとっては十分、「生産」的な事をしていると思う。

生産性がある事=幸せ
生産性がない子=不幸

という考えは
危険である。

なぜなら
自分自身に「生産性」がなくなった時に
自分は不幸だと思うロジックになる点で
危険だと思う。


現段階では
心身が健康であっても
それが永遠に続くのは不可能だからだ。

私は仕事柄、
中途障害を抱える方や
さまざまな原因で
要介護状態になった方と
お会いすることが多いので

心身が健康なまま
ピンピンコロリ逝けることが
いかに稀であるかが
身に染みている。

今は心身共に健康な父も
残念ながら
いつかは
彼のいう「生産性のない状態」になるし

その状態になったときに
自分は不幸だと
悲観するだけの日々で
人生を終わらせるのは
とても勿体ない。

生産性とパプリカと子育て論

さて話を
ばぷりぃか、改めパプリカに戻そう。

父がいう、
「普通」と少し違った特性を持つ子供たちは
果たして
「生産性」がないのか?

私は、
子を持つ親として
その子が「普通」と違う特性があると
分かったとき

どのような声をかけ
どのように育ててゆけば
良いだろうか?

まだまだ答えの見えない問いだが

ひとつだけ
言えることはある。

貴方は
可哀想な子供だと
決して言いたくない

できるだけ
生きていることを
ポジティブに捉えて欲しいと願う。

う〜ん、、、
まだまだ深掘りしてゆきたい話題だなぁ

数年後にまた
考察したい。

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