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息子がタマタマを手術した話

息子が生まれて10ヶ月くらいが経った頃。区の定期検診で「タマタマがちゃんと袋に入ってないですね」と指摘された。その時は、成長と共にちゃんと発達して正常になる事があるので、このまま見守りましょうという事になった。

遊走精巣、停留精巣というらしい。タマタマが正しい位置に固定されず、お腹の上の方に遊びに行っちゃう異常だ。そんな事があるのだと驚いた。一歳半健診でも異常が続けば手術と言われて、ゾクっと体が緊張した。簡単な手術ですからと言われても、小さな体で手術しなければならない状況が何とも可哀想に思えた。

なるほど、オムツを替える時にタマタマに注目してみると、確かにお袋さんがやたら小さい気がする。お風呂に入って、お袋さんが伸び伸びと伸びていると、スポッとタマタマが収まっているけれども、すぐにスイっとお腹の方に吸収されるように移動していく。遊びに行ったり来たりして、なかなかホームには戻ってこない。デリケートな部分だけに、素人があまり触ってもいけない気がする。

出来る事なら自然に治って欲しいという願いは届かず、一歳半健診で「治ってませんね。小児外科のある病院を紹介します」とかかりつけの医師に言われた。お腹の中でちゃんとタマタマを作ってあげられなかったと、母親としての責任を感じた。でもそれは仕方がないことで、母親の私が悪かったことなどないのに、息子の体に何か起きると自分の責任な気がして、余計に落ち込んだ。これが親心というものなのか。

大きな病院に息子を連れて行く時も、もしかしたら手術は必要ない程度なんじゃないかと淡い期待に胸を膨らませた。夫と二人で小さな息子を連れて、診察室に入る。診察台に上がり、エコーでタマタマの様子を見た医師が「これは手術したほうが良いですね」と言った時、心が重くなった。

息子の病名は両側の停留精巣で、100人に一人くらいの確率で発生する、割とよくある病気らしかった。担当医からは「手術している子は結構いるんですよ。デリケートな場所なので誰にも言わないだけなんです。簡単な手術で、記憶にも残りませんから今やっちゃいましょう」と言われて安心するも、やはり手術という事実は重く心に残った。

コロナの影響もあって、入院に親は付き添えない。息子が一人で泣くだろうと思うと、胸が苦しくなった。手術しなければ、将来の不妊、悪性腫瘍化のリスクがあると聞けば、手術しないわけにはいかない。手術が決まった息子は何も知らない顔をして、初めて来る大きな病院に興奮して、待合で走り回っていた。

手術が決まると、その日の内に検査を行い、入院手続きをすることになった。まず検尿は、検尿パックと言われるビニールでできた掃除機のゴミとりパックのようなものをお股に貼り、オムツを履かせて自然に排尿するのを待つ事になった。採血に呼ばれると採血室から息子の悲鳴が15分の間で3回も聞こえた。おそらく3回針を刺されたのだろう。採血室から出てきた息子は大泣きで私に抱きついてきた。最後のレントゲンは待ち時間が長く、ずっと息子を抱っこしていたが、抱っこに飽きた息子が逃げ出そうとして大変だった。

診察、手術の決定、入院準備には半日かかって、夫と二人で来たことは正解だったと思った。途中で息子がお腹を空かせて機嫌が悪くなり、二手に分かれて、夫に病院内のカフェで息子にご飯を食べさせてもらい、私は入院手続きを行った。入院手続きをする私の元に、夫と息子が合流し、受付の看護師が息子の顔を見るなり笑顔になって、子供が作る笑顔の力を知った。

「何食べたの?」と夫に聞くと、「フルーツサンド。一人前をペロッと一人で食べたよ」と返ってきた。息子は満足そうにニコニコと笑っていた。

入院は二泊三日。入院する日は少し風邪気味で、手術できるかどうかが怪しかった。入院の初日の診察の結果、手術は可能とのことだったが、麻酔科医から事故リスクを説明されて恐ろしくなった。入院準備をして、息子も病棟に入って、後に引けなくなったタイミングでリスク説明されても、素人の自分にはどうしようもない無力感があった。

翌日は朝一番の手術で、手術室に向かうエレベーターホールで息子と再会した。看護師さんに抱っこされていた息子は、くまさんや車の小さなモチーフで飾られた甚平スタイルの手術着を着ていた。私が視界に入ると、私の目を真っ直ぐ見て両手を伸ばし、「あっこ」と抱っこをせがんだ。看護師さんよりもママに抱っこしてもらいたい、その気持ちが伝わり胸が温かくなった。

「昨晩は夕飯を食べた後はしばらく泣いていたんですよ。ベビーカーに乗せてお散歩したら機嫌が良くなって、夜は1回も起きることなく朝までぐっすりでした」と看護師さんが報告してくれる。息子をぎゅっと抱きしめて、よく頑張ったねと褒めてあげた。

手術室に入ると女性看護師ばかりで、手術前の確認事項を済ませると、息子を看護師さんに渡す時間になった。息子は大人しく看護師さんに抱っこされて、私が「バイバイ」というと、真顔で「バイバイ」と手を振りかえしてくれた。「大抵の子はママと離れる時泣いちゃうんですけど」と帰りのエレベーターで看護師さんに言われて、うちの子は気丈なのだろうかと思った。

手術の待合は、川と堤防が一望できる窓があって、天気も良く気持ちよかった。甘くてスッキリするものが飲みたくて、自動販売機でオロナミンCを買った。喉がシュワシュワとして、甘くて、酸っぱくて、手術に対する漠然とした不安が一緒に泡と混じっていった。

簡単な手術だ。きっと何もない。何年か前に、麻酔事故で小さい子供が手術で死んだ事件が頭にフラッシュバックする。親になるということは、子供の事で不安になったり心配になったりする事でもあるのだなと思った。私は子供の時に手術をするような大きなことはなかったけれども、多少なりとも親に心配をかけて大人になったのだと思った。

二時間ほど経つと名前が呼ばれて、執刀医との面談があった。手術は無事終了して、術後の過ごし方の注意などを受けた。次の受診日を決めるお話の最中に扉の向こうから息子の鳴き声が聞こえて、「今麻酔から覚めたみたいですね」と医師が言って、確かに自分の息子の声だと感じ、安心した。

息子と再会したのはまたエレベーターホールで、動物園の檻のようなベッドに寝転んだ状態の息子がエレベーターから出てきた。「ママだよ」と話しかけると、「あっこ!」と泣きながら抱っこをせがんだ。点滴に繋がった手が、悪戯できなようにロボットの腕みたいにギプスががんじがらめになっていて、それが嫌だと暴れていた。抱っこをしてあげたかったけど、ベッドの柵が邪魔してできなかった。

「あっこ、あっこ!」と泣く息子をみて胸が痛くなるのと同時に、手術が無事に終わったこと確認し安堵した。タマタマの手術でこれだけ不安になって心配になるのだから、もっと大変な病気のお子さんの親御さんはもっと大変なのだろうと想像した。子供を育てていくことは、痛みを受け入れながら、神様に祈るような気持ちで日々を生きていくことだと思った。


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