見出し画像

One Flew Over the Cuckoo's Nest

人間の尊厳と自由とは非常に大切なものである

普段生きている中で、どれだけの人間がそれに感謝し生きているだろうか?

人間の自由は誰もが保障されている

一方、人間は先へ未来へ向かって生きている。ある目的を持ち邁進して生きている。物事を成し遂げる時、集団、組織、社会の中に軋轢が生まれてくる。それを統制し「安全、安心な社会」を構築するために法律、ルールが生まれる。

自由と監視の矛盾が生じる。

自由であべき人間は、法を守るために束縛が生じる。

目的を達成する為に、我武者羅に役割に徹し邁進していけば、自ずと全体主義が生じてくる。その全体主義の足並みが綺麗に揃い呼吸さえ乱れなければ、見事な成果と美を生み出す。まるで完璧なまでのマスゲームを見ているかの様に感動と惜しみない拍手を送りたくなる現実がそこには存在することとなる。

つまり人間は矛盾を求めているのである。

自由と束縛

自由でありたい、ありがままに生きたいと言いながら、それはダメでしょ、あれも問題あるよね、と人間を束縛、監視、ルールを強化していく。

自由だけでは収集がつかない、危険も生じる。故に安全、安心の為、法を定めルールを強化し自分をも守ろうとする。それが人間。

自由だ!と言いながら一方で監視、束縛、を求める。

平和が大事と叫びながら、時に暴力を行使する。

人間は矛盾を好み、矛盾を糧に生きている動物である。

純粋さが傷つき怨みを生み出し、正義が狂気を作り出す。

看護婦ラチェッド(Nurse Ratched)が来る。

ジョーカーがそこにいる。

60年代70年代とヒッピーハッピーで自由を叫んだ結果、自由は射殺される、自由は射殺されているんだと警鐘を鳴らしたいたが、誰もその事実に気付いておらず飼い慣らされた安全が世界を包括した。

安心、安全とは守られている証拠。規律を守り、社会維持の為に自由を殺し、我慢している証拠。その自由を殺した代償として、安心安全経済発展の今日がある。今後も自由はドンドン殺されていくだろう。

雁字搦めの監視社会がそこまで構築されている。

そしてその代償に、更に便利で安心な世界が待ち受けている。

時代遅れなのか時代の反逆児なのか、常に自由を愛し自由を横臥しようとするもの達は疎まれ排除されていくだろう。

自由を理解できていない者達が自由を叫び規律を作り監視社会を構築し、飼い慣らされた人間を増殖し20世期以降突き進んでいる人類。どこまで自由を殺して行くのだろうか?そしてどこまで行けば人類は自由と尊厳を取り戻そうとするのだろうか?もう2度と人類は自由を求める事はないのだろうか???

ジャックニコルソンもピーターホンダもデニスホッパーも殺された。自由を叫んで殺された。

そして今、ラチェッドが帰ってくる。

どんな作品となっているのだろうか?

楽しみである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?