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忘れていたことを思い出す儀式

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今年もいよいよクリスマス制作にかかります。来月はクリスマスリースのレッスンがあるのですが、一つとして同じものはないのが毎年の楽しみとなっています。

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創作とは、広げるより掘り下げて行くことが先にあります。技術とか知識とかデザイン力は後から必要に応じて付いてくると私は考えています。

先に広げるところから入ると、何を表現していいのか迷ってしまいます。

それはまるで、食べたいものがわからないのに、道具と材料をかたっぱしから揃えてしまう様なものでしょう。

掘り下げて、表現の種子の様なものを見つける。それは欲望や夢の様なもの、時には飢餓感でもいい。

その強い欲求があるから、それを表すために何が必要かを学び取ることができるのです。だから、花を単なるお飾りの世界だけで終わらせるのはもったいない。それは儀式の様なものだから。

ネイティブアメリカンの「儀式」とは、忘れていた事を思い出す為に行うものであると本で読みました。それは、忘れていたことすら忘れていた事を思い出す行為なのだと。

自分のDNAを辿る科学的な記憶ではなく、もっと以前、自分はこの世の創造主から与えられた生命だという壮大な記憶のことです。

自我意識にがんじがらめになっていると、その壮大な記憶を、もしくはそういう記憶があったことすら忘れてしまいます。

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クリスマスリースに代表される、花や緑を綱の様につなげる、ガーランドという手法は、もともと宗教儀式で用いられた意匠でした。

紀元前4000年頃の古代メソポタミアには、すでにこのガーランドの意匠があった様です。発掘された土器などに、その意匠が施されていました。

その意匠が、こうして受け継がれ、私はそれを作り又教えている…感動に震える(笑)。

クリスマスリースを巡る歴史を紐解いていたら、とんでもないところへ行きついてしまいました。掘り下げるから世界は広がるのですね。




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