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「82年生まれ、キム・ジヨン」チョ・ナムジュ〜なんとなく、と向き合いたい〜

 読んだらきっと辛くなる。そう思って、ずっと読むのを先延ばしにしてきました。普段気にしないようにして心の中に埋めているモヤモヤを明文化されると、向き合うのに胆力が要るように感じます。

 「でも、そういうものだから」という空気感も心底辛いですが、「そうは言っても変わらないだろう」と諦め、無思考で現状に流されていく方が楽だと判断しているのかもしれません。

 最近はあまりにも後者の考えに浸って感覚が麻痺していたのか、「そういえば読んでいないな」と軽い感覚で手に取ったが最後、途中途中で叫び出したくなりながらやっとの思いで読了しました。

 この物語ではキム・ジヨン先輩の幼少期から社会人になり結婚・出産を経るまでの半生が描かれており、ラストで問題が解決するわけではありません。先輩に他人が乗り移ったかのような現象が起こるというフィクション性が、唯一の救いに感じられるほどです。ですが、先輩の物語を辿っていくことで、「やっぱり、あれっておかしかったよね!」と自分の経験を反芻することができ、逃げないで考えることが自己肯定に寄与したように感じました。

 私も先輩と同じで弟がいますが、母親はどうしたって弟を可愛がっていました。形の崩れたおかずは私が食べ、あらゆる家事の手伝いをするは私だけでした。反対に、一番風呂に入ったり、テレビ番組のチャンネル権があったりするのは弟でした。母親は思い出したように「母親にとっては男の子の方が可愛いものなのよ」と言っては自分の考えと行動を正当化しているようでした。私はそれでも母親が無条件で好きで、母親の考えがおかしいとも思っていませんでした。それなら、もっと好きになってもらうように自分が頑張ればいいのだと考えていました。
 学校に行っても、私はなんでも男の子が先だということが偶に嫌だなとは思っても、違和感を抱きませんでした。教室に貼られている出席簿で、女の子の名前順の方が上に書いてあったら逆に違和感を感じたでしょう。ここでも、先生たちは「男子の方が幼いから時間がかかる、手間がかかる」というような理由で女子の方が後になることを正当化していました。
 先輩と同じく、男の子に意地悪をされても「あいつはあなたのことが好きでやっているのだから許してあげてね」という思考は、私にも理解できませんでした。もし私に好きな人ができたら、精一杯優しくするのに、と思っていました。ですが、これも「幼いから」許してあげるべきなのだと飲み込みました。

 あまり直近のことを羅列する度胸はないのですが、社会に出てからも「もし私が男だったら」と考える機会は少なくありません。でも、違和感を違和感として捉えようと思えたことが、私にとっては前進です。キム・ジヨンさんが世界にたくさんいるという事実が、これから選択し、行動して生きていく上できっと力をくれると思います。

 

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