【感想文】橡の花/梶井基次郎
『梶井基次郎の肩幅に学ぶ純文学創作論』
を書こうと思ったけど無理だった。
▼読書感想文:
今回の課題図書『橡の花』と過去に読書会で扱われた『Kの昇天』はいずれも書簡体の形式を取る。まず、『Kの昇天』は、得体の知れない奴が得体の知れないKをターゲットに不可解な心境と事象を書簡体で第三者に語っており、私には理解不能な小説であった。が、一方で『橡の花』に関しては非常にシンプルな内容であり、手紙を書いた目的も、
<<妄想で自らを卑屈にすることなく、戦うべき相手とこそ戦いたい、そしてその後の調和にこそ安んじたいと願う私の気持をお伝えしたくこの筆をとりました。>>
と明記されており、今回はやけに親切である。また、手紙の内容も上記引用に沿って進んでおり、要するにこの手紙は、
「他人との交流を通じて鬱屈した気分がやわらげられたり、かつて自分の内に存在した美に対する情熱を七葉樹の花に見出したりする内に、最近の鬱屈した気分を "Hysterica Passio" と笑い飛ばし、戦うべき相手(=直面する何かしらの課題)を解決して心の平衡を願うオレ」
って感じの内容である。その他、何か特筆すべき点があるかと言えば、私は特に無いような気がする。著者・梶井基次郎ならではの感受性に基づく投影&心象風景も少なく、まあなんていうか、本書は要するに「病んでるヤツあるある」が大量に描かれており、そのため、プライドの高い方だったり、コンプレックスの強い方だったり、ノイローゼ気味の方だったり、それ以外にもいろんな悩みを抱えてる方はこの本を読むと共感する部分はあるんじゃないかなって思いました。以上、小並感。以下、余談。
▼余談 ~といったことを考えながら~:
私と梶井基次郎作品の相性は非常に悪い。というのも私自身、おおざっぱで無神経で単細胞な二足歩行の動物、って感じのテキトーな性格をしているからだろう。そのため、梶井基次郎作品が課題図書に選出されるといつも戦々恐々の思いで読むことになり、はっきり言って、過去に扱われた『魔の山』よりも梶井作品の方がよっぽど難解だと個人的に思っている。ちなみに、これまでに扱われた梶井作品の中でもとりわけ『冬の日』『冬の蠅』『ある心の風景』に関して、これらを総称して「地獄の梶井三部作」と名付けている……だからなんなんだという話かもしれないが、梶井が直感した事柄を梶井自らの理解を通じて客観的認識として小説の形で言語化した際、梶井という主体と私という客体があまりにかけ離れているために、いつも私は覚束ないままに読書を終えてしまうのが問題であり、要は「梶井の感性&言語レベルに僕が追い付いてない」ってことになる。と、こんな自虐的な事を考えていたら、私も徐々に卑屈になってきたため、そうした不満を手紙に書いて誰かに送りつけてやろうと思っている。
以上