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【感想文】夜明け前(第一部・下巻)/島崎藤村

『木曽路にさかる藤の花』

本書『夜明け前(第一部・下巻)』読後の乃公だいこう、愚にもつかぬ雑感二題以下に編み出したり。

▼あらすじ:

〽︎ 木曽路にさかる藤の花 恵那えなの雪溶け旅草鞋わらじ 天狗党の西上せいじょうに 死んで帰れと母の声 安産まもりを胸に秘め きもはがねの五枚張り 腰にぶち込む大小に 男の道を立て通す ここは名に負う中山道 つまずく石も縁の端 下四宿しもししゅくの総代は 青山半蔵、男がさかる 平田まつりし霊代たましろに ええじゃないかの空騒ぎ 王政復古がなつかしや。

▼『直毘なおびみたま』について:

本書の第12章第4節では、山吹村で勧請遷宮式かんじょうせんぐうしきが執り行われる。ここでは荷田春満かだのあずままろ賀茂真淵かものまぶち、本居宣長、平田篤胤あつたねからなる国学四大人こくがくしうし御霊代みたましろをこの村の条山じょうざん神社に迎え、そしてまつるといった場面である。この遷宮式への参列が叶わなかった半蔵は、本居宣長の思想を引き合いに出しながら今後の日本に対する展望を抱く。その中心となるのが本居の著書『直毘の霊』の次の一節である。

宣長の言葉にいわく、
いにしえ大御世おおみよには、道といふ言挙ことあげもさらになかりき。」
また、いわく、
「物のことわりあるべきすべ、よろずおしえごとをしも、何の道くれの道といふことは、異国あだしくにの沙汰さたなり。異国は、天照大御神あまてらすおおみかみの御国にあらざるがゆえに、定まれるきみなくして、狭蝿さばえなす神ところを得て、あらぶるによりて、人心ひとごころあしく、ならはしみだりがはしくして、国をし取りつれば、いやしきやっこたちまちに君ともなれば、かみとある人はしもなる人に奪はれまじと構へ、下なるは上のひまをうかがひて奪はむとはかりて、かたみにあだみつつ、いにしえより国治まりがたくなも有りける。そが中に、威力いきおいありさとり深くて、人をなつけ、人の国を奪ひ取りて、又人に奪はるまじき事量ことはかりをよくして、しばし国をよく治めて、後ののりともなしたる人を唐土もろこしには聖人とぞ言ふなる。そもそも人の国を奪ひ取らむと謀るには、よろづに心を砕き、身を苦しめつつ、きことの限りをして、諸人もろびとをなつけたる故に、聖人はまことに善き人めきて聞きこえ、又そのつくり置きたる道のさまもうるはしくよろずにらひて、めでたくは見ゆれども、まづおのれからその道にそむきて、君をほろぼし、国を奪へるものにしあれば、みな虚いつわりにて、まことはよき人にあらず、いともいともしき人なりけり。もとよりしか穢悪きたなき心もて作りて、人を欺く道なるけにや、後の人のうわべこそ尊み従ひがほにもてなすめれど、まことには一人も守りつとむる人なければ、国の助けとなることもなく、 その名のみひろごりて、ついに世におこなはるることなくて、聖人の道はただいたづらに、人をそしる世々の儒者ずさどもの、さへづりぐさとぞなれりける。」

岩波文庫
第一部下巻,P.326

現代語訳されていないため多少読みづらいかもしれないが、上記は要するに、「現代日本における物事の道理および是非はこれ全て異国(=中国)由来の漢意からごころのなせるわざであり、神を差し置いた『人為』による国の統治手段は、この神国日本において通用するわけがない。それは極悪人の所業であり、日本に聖人なぞいない。あと儒教もムカツク。」と本居宣長は主張している。なお、『直毘の霊』という表題を調べると、直毘神なおびのかみが日本に取り付いたわざわい(=漢意)をはらい清めるという示唆が込められているのだという。

では上記引用に基づいた、日本のあるべき姿とは何か。

▼『直毘の霊』から見出される意図:

ここで改めて注目すべきは、本書で繰り返し述べられてきた「自然に帰れ」という表記である。これに加え、前述の引用を考慮すると、日本は人為的に国を運営するのではなく、根本に立ち返り、<<天皇尊(すめらみこと)の大御心おおみこころ>>同,P.327 に根差した御政おんまつりごとをすべきであり、この状態こそが「自然」だとし、それに回帰せよという意図がみられる。そして第4節ではこうした <<神の御政>> に半蔵は <<まことの革命の道>> を見出している(同,P.327~P.328)。

だが残念なことに、第一部下巻の時点では「御政」とは具体的にどうすべきかの言及はされておらず、この思想に少し荒唐無稽さを感じてしまう。言及してしまうと、人為が生じるため敢えて触れていないのであろうか。あるいは、触れずとも、不変の共通認識として日本人の心の奥に刻みつけられているであろう「神の御心」に委ねることで、日本は自ずから正しい道へと進むに違いない、といった願いが込められているのであろうか。恐縮ながら小生は本書初読につき、この先の展開は1ミリも知らないが、第二部以降は前述した『直毘の霊』および平田国学における大和魂が新政府に対し、何らかの働きかけをするように思われる。なお、今回取り上げた第4節は、慶応3年3月の出来事であり、このあと10月の大政奉還を経て12月に王政復古が宣言され、これをもって第一部終了となる。

といったことを考えながら、本感想文のサムネイル画像は「天狗党水戸浪士と幕府が送り込んだ刺客『ペレ』との一騎打ちを見物している馬籠宿の村人に混じりつつペレに助太刀すけだちしようとするクリスティアーノ・ロナウドの図」である。

以上

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