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2022年度大学入学共通テスト解答速報(国語・評論/小説) ~俺ならこう解く~

【はじめに】

先般、2022年度大学入学共通テストが行われた。
国語に限らず科目全体を通じて論理的な思考力・判断力が問われる本試験において、とりわけそのウェイトを占めるのはやはり国語であり、そのため国語を制する者は受験を制するといっても過言ではない。東大・京大・医学部を志望する受験生諸氏においては、もはや英語・数学では他の受験生と差がつかないのはこれ自明であり、とすれば国語で差をつける他は手立てがない。難関大受験は1点の差が合否の分かれ目となり、何度も繰り返すがそれは国語試験が鍵を握っている。

これらを承知の上で試験に臨む者は、以下に示す本稿、共通テスト解説(国語・評論/小説)を活用することで、二次試験において己が能力を最大限に発揮できること請け合いである。

【大問1(評論・問題用紙)】

評論_問題用紙01
評論_問題用紙02
評論_問題用紙03
評論_問題用紙04
評論_問題用紙05

【大問1(評論・正答一覧)】

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【評論:設問① 解説】

評論_問1
評論_問1-2

【設問1-(ⅰ)】
■正解:
 (ア) ・・・② 予算のジョウヨ金 ※剰余
 (イ) ・・・③ カンショウ的な気分になる ※感傷
 (エ) ・・・④ 計画をカンスイする ※完遂

■解説:
 ※解説は割愛する。この問題は単純に知識の有無に懸かっているため、語意を知らない者はあきらめるべし。

【設問1-(ⅱ)】
■正解:
 (ウ) ・・・② セ襲 ※世襲
 (オ) ・・・③ カン与 ※関与

■解説:
 ※設問1-(ⅰ)と同様の理由により解説は省略。

【評論:設問② 解説】

評論_問2

【設問2】
■正解:
  よだかは生きる意味が見いだせないままに羽虫や甲虫を殺して食べていることに苦悩し、現実の世界から消えてしまおうと考えるようになる。

■解説:
 「よだか」の思考を筆者・桧垣立哉がどう解釈したのか回答する問題である。

そのため、まずは「よだか」の思考とは何なのかを明らかにすると、それは傍線部Aの直後の <<ああ、かぶとむしや  ―中略―  空の向こうに行ってしまはう。>> であり、これをごく簡潔に言うと『殺したり殺されたりのこんなバイオレンスシティーなんてもうイヤやー!』となる。では、これを筆者はどう解釈したのか、それは直後の <<当然のことながら ―中略― さらに転変していくものである。>> が該当する。さらに、この段落の内容をごく簡潔に言うと『殺したり殺されたりのこんなバイオレンスシティーなんてもうイヤやー!』と、よだかと同じことを筆者は繰り返しているだけである。したがって、左記の内容が回答番号①~⑤のどれに合致するのかを答えればよい。では、順に見ていこう。

まず、回答番号①はなんかいきなりものすっごい正解っぽい。①の内容はモロに『もうイヤやー!』である。
順に見ていこうとは言ったものの、こんなことなら回答番号②~⑤を順次見る必要はない。よって、正解は①

【評論:設問③ 解説】

評論_問3

【設問3】
■正解:
  生きることに疑念を抱いていた自分が、意図せずに他者の生命を奪って生きていることに気づき、自己に対する強烈な違和感を覚えるということ。

■解説:
 傍線部Bにおける筆者の主張が、回答番号①~⑤のどれに合致するのか答える問題である。

ということは、傍線部B「人間である(ひょっとしたら同時によだかでもある)われわれすべてが共有するもの」における <<共有するもの>> を回答番号①~⑤の中から探せばよい。ここで、<<共有するもの>> とは、傍線部B直前の <<羽虫を食べるという行為を無意識のうちになしていることに気がつき「せなかがぞっとした」「思ひ」をもつという1点>> である。
ただし、注意すべきなのは、「せなかがぞっとした」における「ぞっ」をしっかり理解した上で回答番号①~⑤と照らし合わせるということである。
ではそこを踏まえて、順に見ていこう。

回答番号①について、よだかは <<無力さに落胆>> したから「ぞっ」としたのではない。一般に、落胆したときに「ぞっ」とはしない。落胆したときは「ガビ~ン」が正しい。あと、よだかは弱肉強食にビビっているわけではない(①は×)。

回答番号②について、よだかは無意識に殺していたことに <<強烈な違和感>> を覚え、自分自身の無意識に対して思わず「ぞっ」となったのである(②が正解)。

回答番号③について、よだかは <<自己を変えようと覚悟>> したとあるがそんな表記は1ミリも書かれていない。コイツは根っから根暗のボンクラバードである。あと、普通、覚悟したときに「ぞっ」とはしない(③は×)。覚悟したときは「セイヤー!」が正しい。

回答番号④について、よだかは <<弱肉強食を支える存在>> という表記なぞ本文にない。また、<<絶望>> して「ぞっ」とするヤツなぞこの世にはいない(④は×)。絶望したときは、逆に「ヒャッハー!!」が正しい。

【評論:設問④ 解説】

評論_問4

【設問4】
■正解:
  人間の生命維持を中心とする見方ではなく、別の生きものへの命の受け渡しとして食べる行為を捉えている点。

■解説:
 筆者が述べる <<二つの極端な見方>> の共通点を探り出して回答する問題である。

そのため、1つ目と2つ目の要点を洗い出す必要がある。
まず1つ目の要点は「人間は生命循環の通過点」であり、根拠は段落中に <<~のであって>> と記載があったから。左記の様に <<~のであって>> <<~よって>> の直後には結論が書かれていることが多い。
2つ目の要点は「食べ物は死から生へのバトンリレー」であり、根拠は段落中に <<バトン>> というワードが3回も登場しているから。よって、筆者お気に入りのワード「バトン」という強調された主張は、それ即ち要点へと繋がるのである。

以上のことから、前述の「人間は生命循環の通過点」「食べ物は死から生へのバトンリレー」という似通った要点に合致するのは回答番号②となる(②が正解)。

◎補足:
①は、<<人間の消化過程を中心とする見方>> という表記が違う。
③は、そんなスカトロ的な主張はしてないから全然違う。
④は、<<地球環境の保護>> という表記が違う&それ以外も全部違う。
⑤は、<<栄養摂取を中心とする見方>> とか含めてもうなにもかもが違う。

【評論:設問⑤ 解説】

評論_問5

【設問5】
■正解:
  豚肉を「あなた」と二人称で表しながら、比喩を多用して消化過程を表現することで、生きものが他の生物のになるまでの流れを軽妙に説明している。

★真剣に解説:
これは難問である。かなりムズイ。
受験生はこれに時間をかけては絶対にいけない。なので、『えっこれ、難問だよな…?』と察知した時点で、マトモな回答は放棄して、あなたの「今日のラッキーナンバー」を回答して次の問題に進んだほうがいい。

以下、とりあえず解説だけはしておく。

★各回答番号の吟味:
この問題が難問であるとした理由は、
「本文全体から表現技法を見抜く必要がある」
「回答番号③~⑤の表記がバチクソにあいまい」
だからである。では、回答番号を順に見ていこう。

回答番号①は、<<心情を印象的に表現>> されておらず、豚の気持ちなんて本文に1文字も無い(①は×)。

回答番号②は、<<消化酵素と微生物とが共同して>> という表記が誤りで、本文には <<大腸には消化酵素はありません。その代わりに無数の微生物が棲んでいるのです>> とあるから共同はしていない(②は×)。

回答番号③は、擬態語(ドロドロ、くねくね)は確かに使われてはいるものの、かといってそれが <<筋道を立てて説明>> することの効果にはつながらない。つまり、擬態語なんざ使わなくても成立する(③は×)。

回答番号④は、判定が難しい。<<比喩を多用>> はおっしゃる通りなのでOKとして、その次の <<軽妙に説明>> という点をどう捉えるかが難しく、本文中の <<集合住宅>><<下水の旅>> といった表現から「軽妙さ」を感じられるかどうかがポイントである(④が正解)。つまり、各個人の感受性の差が回答を左右してしまうということ。

回答番号⑤も、判定がややムズイ。まず、<<誇張して表現することで>> 云々とあるが、比喩を用いて消化の働きが大ゲサになっているため、ここはまあOKとする。次に、<<消化の複雑な過程を鮮明に描いている>> についてだが、比喩を用いて大ゲサにすると、かえって複雑な過程はボヤけるため鮮明にはならない(⑤は×)。

よって、設問5は、東大・理科三類の受験生であれば真剣に取り組むべきだが、それ以外の受験生は捨てたほうがいい。つまり、この手の問題に出くわしたら「今日のラッキーナンバー」でも回答して次の問題に進むことを推奨する。

【評論:設問⑥ 解説】

評論_問6
評論_問6-2

【設問6-(ⅰ)】
■正解:
  「食べる」ことは、自己の生命を否応なく存続させる行為である。

■解説:
 文章Ⅰにおける「食べる」ことの意義を回答番号①~④から選ぶ問題である。で、正解は②

①は、<<尊さ>> は描かれていない(①は×)。
③は、<<意図的>> ではない(③は×)。
④は、なんか違う(④は×)。

評論_問6-3

【設問6-(ⅱ)】
■正解:
  無意識によだかが羽虫や甲虫を食べてしまう行為には、地球全体の生命活動を循環させる重要な意味がある。しかし見方を変えれば、一つ一つの生命がもっている生きることへの衝動こそが、循環のプロセスを成り立たせているとも考えられる。

■解説:
ややムズイ。
この問題は、文章Ⅰと文章Ⅱを総合して弁証法的に結論づけられているものを①~④の中で選べばよい。

では面倒だが以下、順を追ってアラ探ししていく。

回答番号①は、<<生を昇華させる行為>> ではなく、<<循環>> が地球全体の生命活動になるのである(①は×)。
回答番号②は、オレには書いてあることがよくわからなかった(②は×)。
回答番号③は、<<無意識>><<循環>> が本文中の主張と合致して「良いとこ取り(=弁証法的)」である(③が正解)。
回答番号④は、<<序列が不可欠>> なんて表記は本文にはない(④は×)。

【大問2(小説・問題用紙)】

小説_問題用紙01
小説_問題用紙02
小説_問題用紙03
小説_問題用紙04

【大問2(小説・正答一覧)】

小説_解答一覧

【小説:設問① 解説】

小説_問1

【設問1】
■正解:
  少年を差し置いて親に連絡するような手段は、フェアではないだろうと考えていたこと。
 ⑥ 少年を説得する方法を思いつけないにもかかわらず、看板をどうにかしてほしいと願っていたこと。

■解説:
 解説の前に、この小説の内容を簡単に述べると『ノイローゼ寸前のニートのおっさんがアホみたいなことで悩み続ける痛快サクセスストーリー』である。

それはいいとして、設問1の解説は以下の通り。

回答番号①は、<<恐ろしく思っていた>> なら普通は逃げるだろう(①は×)。
回答番号②は、本文中にモロに書かれている(②が正解)。
回答番号③は、なんなんだこのキモイ回答文は(③は×)。
回答番号④は、なんなんだこのキモイ回答文は(④は×)。
回答番号⑤は、なんなんだこのキモイおっさんは(⑤は×)。
回答番号⑥は、本文序盤のおっさんのモヤモヤと合致する(⑥が正解)。

【小説:設問② 解説】

小説_問2

【設問2】
■正解:
  頼みごとに耳を傾けてもらえないうえに、話しかけた際の気遣いも顧みられず一方的に暴言を浴びせられ、存在が根底から否定されたように感じたことによる、解消し難い不快感。

■解説:
 傍線部Bにある「身体の底を殴られたようないやな痛み」が象徴する「私」と「少年」との因縁、それが回答番号①~⑤のどれに該当するか答える問題である。
 
この問題、手っ取り早く正解に導くためには、実際に自分自身の身体の底をぶん殴ればよい。ここで「身体の底」とは足の裏に決まっている。
で、実際に足の裏を殴ってみたところ、ジンワリとした痛みがあってなんかイヤな感じがずーっと残った。とすれば、正解は回答番号①の <<解消し難い不快感>> が今の私の感覚に合致する。よって、正解は①

【小説:設問③ 解説】

小説_問3

【設問3】
■正解:
  劣化しにくい素材で作られ、しっかり固定された看板を目の当たりにしたことで、少年が何らかの決意をもってそれを設置したことを認め、その心構えについては受け止めたいような思いが心をかすめた。

■解説:
 傍線部C「あ奴はあ奴でかなりの覚悟でことに望んでいるのだ、と認めてやりたいような気分がよぎった」ときの「私」の心情を具体的に答える問題である。
 
ここで注目すべきは上記の <<あ奴>> というフレーズである。そもそも「あ奴」というのは江戸時代の武士言葉であり、「彼奴きゃつ」と同等に不届き者に対して放つ言葉として用いられる。これを念頭に置いた上で、前述設問1で述べた「私」という男は「ノイローゼのおっさんニート」であることから、はっきりいって気が狂っていてもおかしくない。ここから察するに、「あ奴」という表記からいえるのは、このおっさんは自分のことを「現代にタイムスリップした武士」だとマジに思っているのである。
 
この妄想を踏まえると、傍線部C「あ奴はあ奴でかなりの覚悟でことに望んでいるのだ、と認めてやりたいような気分がよぎった」を、武士言葉に置き換えるとすれば「あ奴……敵ながらアッパレじゃ!」となる。
 
だから、この問題は回答番号①~⑤の中で最も「敵ながらアッパレじゃ!」感がある回答を選べばよい。では、順番に見ていこう。
 
・回答番号①:笑止千万じゃ!(①は×
・回答番号②:笑止千万じゃ!(②は×
・回答番号③:敵ながらアッパレじゃ!(③が正解
・回答番号④:笑止千万じゃ!(④は×
・回答番号⑤:笑止千万じゃ!(⑤は×

 というわけで、一番アッパレなのは回答番号③となりこれが正解となる。

【小説:設問④ 解説】

小説_問4

【設問4ー (ⅰ)】
■正解:
  看板への対応を依頼する少年に礼を尽くそうとして「君」と声をかけたが、無礼な言葉と態度を向けられたことで感情的になり、「中学生の餓鬼」「あの餓鬼」と称して怒りを抑えられなくなっている。

■解説:
 これは殊更ことさらな解説は要らない気がする。正解はどうみても回答番号②

小説_問4-2

【設問4ー (ⅱ)】
■正解:
  「私」は看板を「裏の男」と人間のように意識しているが、少年の前では「映画の看板」と呼び、自分の意識が露呈しないように工夫する。しかし少年が警戒すると、「素敵な絵」とたたえて配慮を示した直後に「あのオジサン」と無遠慮に呼んでおり、余裕をなくして表現の一貫性を失った様子が読み取れる。

■解説:
 看板の絵に対する呼称が変わることは「私」のどんな気持ちを表現したのか。それを答える問題である。一体、何が悲しくて「私」というおっさんの感情を、オレというおっさんが考えなくてはならないのか。とはいえ、解説は以下の通り。
 
・回答番号①:このおっさんにおけるこのおっさんならではの不安定な有り様が的確に説明できている(①が正解)。
・回答番号②:「あのオジサン」という表記に敬意の意図はない(②は×)。
・回答番号③:「あのオジサン」という表記に親しみの意図はない(③は×)。
・回答番号④:同上(④は×)。

【小説:設問⑤ 解説】

小説_問5
小説_問5-2

【設問5ー (ⅰ)】
■正解:
  Xー(ア) Yー(ウ)

Xー(ア)・・・看板を家の窓から見ていたときの「私」→
  () Xー歳時記の句 ) Xー歳時記の句 では案山子の存在に雀がざわめいている様子であり、国語辞典の説明にある「おどし防ぐ」存在となっていることに注目する。

Yー(ウ)・・・看板に近づいた時の「私」→
 () Yー歳時記の句 b では案山子が実際には雀を追い払うことができず、国語辞典の説明にある「みかけばかりもっともらし」い存在となっていることに注目する。

■解説:
 Nさんのノートの空欄を埋める問題である。
ここでNさんのノートを見てみると、非常にジジ臭い。今どきこんなノートを取る高校生が果たしているんだろうか。高校生ならもっと部活動に励んだり、バイトにいそしんだり、不純異性交遊ふじゅんいせいこうゆうを楽しんだりしてもいいと思うのだが、このNさんのノートにはそんな様子が1ミリたりともうかがえない。Nよ。君はそんな青春でいいんか…
 
で、解説だが、「私」→「看板」の関係性について、a~cの俳句から受ける案山子の印象のどれに合致して、さらに国語辞典のア~イのどの語意に該当するのか、その組み合わせを答えればよい。
これは本文の「私」の言動を把握していれば容易であり、つまり、
 
・X:案山子(=看板)にビビる雀(=私)
・Y:案山子(=看板)は単なる「こけおどし」だと見破った雀(=私)
 
となるので、正解は回答番号①である。

小説_問5-3

【設問5ー (ⅱ)】
■正解:
  はじめ「私」は、常に自分を見つめる看板に対して a「群雀空にしづまらず」の「雀」のような心穏やかでない状態であった。しかし、そばに近づいてみたことにより、看板は「見かけばかりもっともらし」いものであって恐れるに足りないとわかり、「ただの板」に対して悩んできた自分に滑稽さを感じている。

■解説:
 国語の試験は、漢文→古文→評論→小説 という順番で解いていくのがセオリーであり、まずはじめに簡単な古典を片づけておいて、残り時間を読解が面倒な現代文にくといった要領である。よって、その順番で解いていくと、今回の問5(ⅱ)がこのテストの最終問題となる。
で、面倒なことにこの問題の回答番号①~⑤はすべて長文であり、もし仮に、テスト問題作成者がこの鉄板セオリーを看破した上で問5(ⅱ)の様な長文を用意したのなら、敵ながらアッパレだと私なんかは思う。
 
で、回答番号①~⑤を読んでみたら文章が長いだけで読み取りやすかった。ホントによかった。解説は以下の通り。

・回答番号①:末尾の <<大人げなさ>> という表記は本文にはない(①は×)。
・回答番号②:冒頭から末尾までアベコベな説明になっている。逆や、逆(②は×)。
・回答番号③:末尾の <<自分に自信を持つことができた>> かどうかは定かではない(③は×)。
・回答番号④:末尾の <<自分に哀れみを感じ>> たかどうかは定かではない(④は×)。
・回答番号⑤:本文の二十傍線部に <<動悸を抑えつつも苦笑した>> とあることから、回答文末尾の <<滑稽さを感じ>> たとする説明は正しい(⑤が正解)。

【総括】

評論大問1の設問5が非常に難しいから、適当にさっさと回答して小説に時間をかけた方がいい。また、二次試験は英語と数学でどれだけ点を稼げるかに懸かっているのでその二科目を中心に勉強したらいいと思う。

以上

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