見出し画像

都会の学生へ憧れた私は、地域格差の被害者だった。

私は、電車は1時間に一本、最寄り駅が全然最寄ってない、一人車一台持ちが当たり前、セブンイレブンすらも珍しいような田舎に住んでました。

そんな私は、大学進学に伴って、(私にとっては)大都会の横浜に引っ越した。

そして、その横浜で、都会と地方の格差を骨身に染みるほど味わうことになるのです。

今日は、地方と都会の格差について、ある記事を参照しながら、自分の体験を踏まえて「都会と地方の格差」についてお話したいと思います。

『「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由』

東大出身の阿部幸大さんが書いた、『「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由』という記事。

昨年、Twitterで偶然見かけた記事でした。

本記事で筆者が指摘するのは、「地域格差」は「教育機会の格差」ひいては、「階層選別」を生む一つの要因となりえるということです。

この記事に出会うまで、都会に生まれるか、地方に生まれるかで「格差」が存在するのではないか?と疑問を抱くことはあっても、それは単なる自分の都会への憧れなだけかもしれないという気持ちが強く、「地域格差」の存在を断言するには至っていませんでした。

それに加え、自分が感じた「格差」をうまく言語化できなかったんです。そして、大学で出会う友達に話しても、ほんとのことだと信じてもらえないことも多かったです。

これは別に珍しい話じゃないと伝えるために、今回、私が感じてきた「地域格差」を告白する事で、地域格差が多少なりとも階層選別に与える影響があるということに少しでも注目が当たればいいなと思い、記事の紹介と本記事を作成するに至りました。

“田舎の常識”の怖さ

まず、格差の話しに入る前に、私の地元がどれくらいの田舎で、どのくらい“やばい”常識のまかり通る所だったかをお話しようと思います。

※上記で紹介した、阿部さんの記事とも重なる部分があるのはご了承ください。

私の出身地は、人口が7000人程度の町です。

ユニクロに行くにも車で30分ほどかかる。
スタバに行くにも、車で高速に乗って1時間はかかります。
大型ショッピングモールも然りです。

そして、車は一家に一台じゃありませんよ。一人一台です。
車なしに生活なんて、できませんからね。冒頭でも伝えましたが、最寄り駅は、全く最寄ってませんし、そもそも電車もほぼ一時間に一本みたいな所ですもん。

地元に初めてコンビニが出来たのも、私が高校生になった頃(2010年代)でした。そして、セブンイレブンができたのも、私が大学生になってからのことでした。(大学生になるまでセブンイレブンをみたことがなかった)

いまだに、お年寄りには部落差別的な思想をもつ人が普通にいます。
私の祖母もそうでした。「今日〇〇ちゃんと遊んできた!」と話すと、「苗字は?」「××の辺りに住んでる子?」「あかんよ。その辺りに住む子は育ちがよくないから」なんて、やりとりがよくありました。

人口数百人ってほどの田舎ではないにしても、中々の田舎に住んでいたことが伝わったでしょうか。

では、次に田舎の教育事情を紹介していきましょう。

・「”お受験”なんてたいそうな」という雰囲気
・偏差値で学校を選ぶという概念がほぼない
・公立の高校受験は、あってないようなもの(受験前にある程度割り振られます)
・地元に帰って来たいなら、国家資格をとるか、銀行員か公務員
・女子は、勉強できなくてもいいという風潮
・大学生なんて見かけない
・国公立大学神話(私立はよくない!行くなら国公立!みたいな風潮)
・大きな模試を受けるのに電車で往復2時間以上かけて受けに行かなくちゃいけない
・有名進学塾に通おうにも、電車で往復2時間

パッと思いつくだけでも、これくらい出てきます。

大学生の間の4年間で、家庭教師と長期休暇の特別講習の講師を経験しました。上で挙げたこれまでの私の”常識”が、ものすごく古臭いものだということを、都会の生徒を通して知りました。

そして、そんな常識を常識として受けきれてきた自分も、学校も、あの小さなコミニティも、今は全部「怖い」と感じます。

想像力すらも奪う「地域格差」

私の通っていた大学は、いわゆる”グローバル”を謳ってる公立大学でした。

”グローバル”を掲げるだけあって、入試制度も多様で、公立大学には珍しいAO入試や、帰国子女枠なんかが設けられていました。

だからなのか、中学や高校で留学に行っていた子や、帰国子女の子なんかが、ざらにいました。

入学してすぐの新歓期のことでした。私は、あるサークルの新歓に参加していました。そこで、初めて地方出身のコンプレックスを抱えることになります。

その新歓で初めて出会った子が、一通り軽く自己紹介を終えると、

「どこに行ってたことあるの?」

と、質問してきたんです。

私は、すぐに質問の意図が理解できませんでした。
どこに”ってどういう意味何だろう、、、とグルグル考えて、やっと正解を見つけました。

「どこに”留学”行ってたことある?」っていう意味か。と。

まるで、海外への留学経験が当たり前のように質問されたことに、カルチャーショックを受けました

だって、私の育った環境では、中学生や高校生で留学にいくなんて、”ありえない”ことだったから。

私の育ったところでは、長期休暇に、東京を旅行してきたと聞くだけで「すごい!東京ってどんな感じ?」と質問攻めにあうし、海外の人が居れば、みんなが、もの珍しそうな目で彼/彼女らを見てきました。
だから、海外旅行ならまだしも、中学生・高校生で留学する人なんて、まず周りにはいないし、そんなことが可能だなんて、想像すらも出来なかったです。

何がそこまでショックだったか。
それは、その質問をしてきた子が、何の悪気もなく嫌味でもなく私に質問してきたということでした。

その時、住んでる場所が違うだけで、お金があるとかないとか、英語が得意だとか不得意だとかっていう制約の話じゃなくて、“知らないことは想像すら出来ない” っていう次元の話になるんだと痛感しました。
これが、地域の“機会の格差”を初めて実感し、地方出身であることにコンプレックスを感じた日でした。

教育格差は、経済格差か

これはゼミの先生からの受け売りですが、日本の大学進学率は現在、全国平均が約5割です。
ただし、都道府県別に見ると、かなりばらつきがあることがわかります。
大学進学率1位は勿論、東京で72%、最下位は鹿児島で35%ということでした。1位と最下位で、37ポイントも差があるんです。
この差は、単純に両親の所得が高いと、子供への教育投資も高まり、結果として大学進学率が高まるという、経済的な理由が主な要因なのでしょうか。

私は、引用記事の筆者と同様に、「地域格差」が与える影響も大きいのではないかと思います。

地域格差が、教育格差と直接的な因果関係を持つかどうかは、社会学者の方達の研究にお願いするとして、地域格差は多様な「機会格差」を生んでいます。

都会の子なら簡単に受けられる高等教育の「機会格差」、情報所得の「機会格差」、田舎特有の”常識”が生む将来の選択肢の「機会格差」、文化・芸術に触れる「機会格差」、”多様性”に触れる「機会格差」などがあげられるのではないでしょうか。

そして、これらの「機会格差」は、少なくとも「教育格差」分析の説明変数に入れられるべき変数だと思います。

大学に行くことが、偉いとか幸せとかって話をしたいわけではありません。

引用記事でも筆者は、以下のように述べています。

知らないほうが幸せ」という意見は、「家事こそ女の幸福」と主張して女性差別を温存するのにも似た、差別と搾取と格差を是認するロジックと同じである。

大学進学ないしは、学びの機会・文化・芸術・課外活動・人・多様性に触れられる機会があるかないかで、「想像できること」が大きく違ってくる。

それを大人になって知っても、過去に戻れるわけではありません。
また、自分の見てる世界の狭さや、自分の周りの”常識”がいかに脆弱で、ステレオタイプなものかを知らないままというのも、怖いものです。
そのまま、次世代に受け継いでしまう可能性があるんですから。

最後に

ここまで、「地域格差」について触れてきました。しかし、徐々にこの格差も収束できる可能性が高まりつつあるのではと、一縷の望みを感じてもいます。

というのも、現代の高校生たちは、インターネットネイティブ世代と言われる世代の子達です。

ネット上に多様なサービスが充実し、遠隔地からでもリアルな情報に触れられるようになりました。

情報リテラシーの問題はあるにしても、私が学生の頃よりは圧倒的に地方の学生にも多彩な”機会”が提供されつつあるように感じます。

そして、子供達自身が手を伸ばす方法も、私の子供時代なんかより、よく知ってるんじゃないかと思います。

インターネットやSNSがこれだけ浸透した社会をうまく活用し、都会と地方の「地域格差」が収束すること、それによる教育格差や階層選別の緩和に繋がることを願っています。