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40代サラリーマン、アメリカMBAに行く vol. 10 〜起業家に聞く4

バブソンMBAでの授業とは別に、ボストン・日本人・起業家をテーマに、起業家に会って学ぶ活動。今回はボストンで2社の経営者を務めるAyaka Roweさん。Ayakaさんは、企業向けに日本とアメリカのビジネス文化の違いや英語を教える企業を運営する傍ら、コロナ禍に趣味で始めた納豆づくりを事業化し2社目を創業された。

起業というよりサイエンス
改善を続ける先に事業が生まれる

Ayakaさんは、10歳からアメリカのミシガン州で過ごし、大学卒業後ボストンに移住された。卒業後は研究職に就きたいと漠然と考えていたが、博士号の取得を含めて本当に自分がそこまでやり切れるのかを確かめるために、ひとまずギャップイヤーを取得してボストンの研究室で働くことにする。研究室で働く傍ら、気付けばボストンに住んでいる日本人の子どもたちの勉強を手伝うことになる。小学生から大学生まで、特に英語が苦手な子どもたちの宿題をサポート。生徒が口コミで増えていくにつれて、週40時間の研究室での仕事を20時間に減らして、家庭教師に割く時間を増やす。それでも手が回らなくなり、研究職は辞めて家庭教師の会社を作って専念する。たまたま家庭教師をしていたお子さんの親御さんがボストンのインキュベーション施設のCICで働かれていて、そこで勉強を教えるために足を運ぶようになり、様々な起業家に出会ったことが刺激となった。研究室で週40時間、9~17時の仕事をしていた時に、もったいない時間が多いなと思っていた彼女。チームで仕事をしていても、ある一人に仕事が偏ってしまって待ち時間があったり、特に仕事がない日でもオフィスにいないといけなかったりする。そうしたことに疑問を感じる一方で、CICで出会う起業家たちから、エネルギッシュに生きている人が多いという印象を受けた。自分もその一員になりたい。そして起業を決意した。

最初は子ども向けの宿題サポートがメインだったが、駐在員や帯同している奥さま方から、英語を教えてほしいという依頼が来るようになる。法人からも依頼が来て、日本とアメリカのビジネス文化の違いも教えることになる。そしてコロナにより、ビジネスがオンラインに移行したことで、ボストンだけでなく日本からも依頼が増え、多くのクラスを開くようになる。外部のインストラクターを雇い、多い時で60分のクラスを週に9個運営。彼女は、採用など人事に注力する。

コロナはビジネスの機会を増やしただけでなく、彼女に新たな出会いを作る。 コロナ期間中に、趣味で発酵食品作りにハマりはじめる。キムチ、味噌、ヨーグルト、コンブチャ、ザワークラウト、そして納豆。納豆は大豆を水に浸けてから圧力鍋で蒸し、納豆菌を振りかけて発酵させて作る。アメリカでも手に入る納豆用の大豆を買ってきて、水につけ、一晩置いてから、パンを発酵する電化製品を使って作り始めた。しかし最初は納豆特有のネバネバが足りなかった。大学で生物学を専攻した彼女は、サイエンスのアプローチで改善を試みる。まず浸す水を変えてみる。蒸すときの温度を変えてみる。発酵させる時間を変えてみる。ほかにも湿度や空気量などを少しずつ調整していく。こうした改善を1年ほど続けて、ようやく満足できる味を実現。これを自分だけで食べるのはもったいないと感じ、家族や日本人の友人に食べてもらいはじめる。豆が大きすぎる、食感が硬いといった感想を受け、さらに改善を繰り返し、ようやく「これ売れるよ!」という声をもらえるようになる。そして2023年3月、本格的に納豆屋を始めることを決める。

ただ発酵食品をアメリカで販売するためには、業務用キッチンで作られたものでなければならない。まだまだ納豆への理解が少ないアメリカでは、シェアキッチンの利用を断られてしまう。そこで彼女は潰れたレストランから格安で器具を譲ってもらい、配管工や電気工事士なども雇って自力でつぎはぎのキッチンを作る。総額で3万ドルほどを自己負担。「大学やMBAに行くよりは安価で、この投資で会社の作り方から学べるといいかなと思いました」

キッチン建設中の2か月ほど、日本に行って納豆工場を訪問する。茨城はもちろん、大阪、京都、東京、そして韓国にまで足を運ぶ。納豆屋さんを訪れるたびに芋づる式に次の訪問先を紹介してもらえた。当時彼女は、発酵段階で豆が乾燥してしまうという問題にぶつかっていたが、日本の納豆屋さんを訪問することで解決策を教わった。市販の納豆に必ずついているプラスチックの膜(被膜)が重要だったようだ。良い被膜屋さんも紹介してもらい、納豆菌のブレンドのアドバイスまで教えていただけたという。

こうした始まった納豆事業は、現在はまだ誰も雇わずに全ての仕事を自分一人でやっている。一通り自分で仕事をやってみないと、どんな人がその職に適しているのかが分からないと考えているからだ。 まずやってみる、そして学びながら改善を続ける。こうした姿勢を、彼女はサイエンスの考え方だと話す。元々はネガティブなパーソナリティの持ち主だったようだが、大学でエクスペリメンタルマインドセットをトレーニングされたことで考え方が変わったのだと言う。「失敗を恐れる人も多いと思いますが、失敗をするということは一つ選択肢が減って次のもっと良い選択肢に出会えるということなので、結果的には良いことだと思います。例えば実験が思うようにうまくいかなかった時に、いちいち落ち込むのではなく、次に何をすればうまくいくのか、何がダメだったのか、どう改善すればよいのかを考える。そうした考え方が身につきました」

アメリカでマネジメントをする秘訣
Herding Catsという視点

2社を経営する彼女に、アメリカでのマネジメント方法について面白いことを教えてもらった。簡単に予想できるが、アメリカ人と日本人とでは、マネジメントの仕方を変える必要はある。その違いを考える際に、彼女はHerding Catsという言葉を挙げた。「アメリカには、Herding Catsという言葉があります。猫の群れ。それを束ねるということです。アメリカ人のチームは、自由に動き回る猫をまとめていくようなイメージなのです。まだまだ私も試行錯誤しながらやっていますが、例えば1社目の事業でアメリカ人のインストラクターが一番やる気を出してくれていると感じる瞬間は、同じミッションに向かって全員が突き進んでいる時です。そのためにも、私はゴールを明確にしなければなりません。また何かをトップダウンで指導したり、命令したりする形では動いてもらえません。そして未来を見ている人が多く、あまり過去の背景や失敗、事例について興味を示さない印象を受けます。準備もそれほどせず、とりあえずやりながら学ぶという人が多いと感じます」

個人の自由を尊重しながら、まずやってもらい、途中で何かうまくいかないことがあったらサポートしていく姿勢がマネジメントに必要なようだ。合わせてタイムマネジメントについても教えてもらった。時間に対する考え方もアメリカと日本では異なる。アメリカ人はプラスマイナス5分程度の遅れを気にしないことが多い。そのため、日本人のお客さまも参加する大切なミーティングの前には、そのミーティングの直前に30分の事前ミーティングを設けることで、お客様とのミーティングに遅刻することを防いでいるようだ。

一方、日本人のマネジメントには明確な指示が求められると話す。これから起きるかもしれない問題を回避するために念入りに準備をし、それがしっかりできてから動き始める感じる人が多い。そのため日本人の先生には最初のプロセスや仕事の説明を丁寧にして、いろいろ質問にも答えて、それから始めてもらうと話す。こうした日米のマネジメントの違いも、エクスペリメンタルマインドセットを通じて、学び改善してきて得た知恵なのだろうと感じた。

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