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詩との出会い


表現というものに興味を持ち始めたのは、去年の夏休みくらいだっただろうか。

当時の私は、人と人とのコミュニケーションにおける自己表現、すなわち、伝え方とか表情、身振り手振り、愛情表現や間の取り方、距離感…そういうものに興味があった。

その思考や学びの過程でいつしか、私の中の表現に対する関心事は、言語表現や芸術という表現に広がった。

その興味に基づいて大学の講義や本で学んだり、芸術鑑賞を始めてみたりして、自分の中の表現観を模索していく。

その時は表現を受け取る側や俯瞰的に表現について考えていたのだけれど、小説など創作活動をしている友人に感化され、自分も表現を生み出す側になってみたい、とりわけ言語表現をしてみようかなという意識が芽生えた。

noteでは文章という言語表現に努めていたが、その目的は表現としてというよりも、自分の気持ちや思考を言語化して伝えるスキルを伸ばすためだった。言語表現の形式小説、エッセイ、詩、短歌など、バリエーション豊かな言語表現の他の形式に目を向けてみるようになった。

そして、つい最近、(しばらく開かれていなかった)Mr.Childrenの詩集(Your Song)や金子みすゞや谷川俊太郎、最果タヒ、石垣りんの詩集を読むようになる。(敬称省略)

詩は、感情表現が繊細で敏感で言葉選びにはなんとも言えないくすぐったさがあり、分かりそうでわからない解釈の曖昧さも、受け止め方の自由さも何もかもに愛着が湧いた。

私は夢中になって、それでいて力まずに、じっくり深く読むこと、感じることを試みた。

この体験で
「ああ、これぞ私のやりたい表現だ」
とふわっと直感した。

その後私は、衝動に駆られた時にその時の感情を詩に表してみるようになった。

自分の内のどこかから引っ張り出した言葉が、仕舞ってあった記憶から呼び起こされた情景と表現しようとする感情とぴったり合わさった時の、あの至高体験と言い表しても過言ではない情動は、何ものにも変え難い。


わたしはいつからか、後ろ向きな感情には蓋をすることで逃げることが多くなった。

そのせいかわからないけど、蓋を閉めないで心がその感情に支配されるとそこにある感情をどう対処していいのかわからなくて、、手に余った状態で立ち尽くすしかなくて、しんど〜い、となる。

そんなとき、どうにか自分の感情にもがきながらもそれと向き合う手段として、『表現』と向き合う目的として、詩を書いていきたい。


2022.5.30


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