見出し画像

黄色の人たち

 このnoteでもその様子をお知らせしていた「Hopenゴスペルワークショップ」
 全部で5回行い、去る10月14日(土)、4年ぶりの開催となった宮城県東松島市柳西地区秋まつりに参加して来た。
 この秋まつりには、東松島アメイジンググレイスセンター(以下AGセンター)という教会が密接に関わっている。  
 その経緯については私が牧師の横山あかり先生にインタビューしているこの動画をご覧頂ければと思う。

 先生が同じ神学校の後輩という繋がりで、東日本大震災から3年後の2014年に中央福音教会のゴスペルミニストリーとして初めてイベントに参加させていただき、コロナ禍突入の前年、2019年まで3〜4回伺わせて頂いた。 
 そして今回が4年ぶりのイベントであり、そこにお声がけ頂いたということである。

会場の川前児童公園
(通称ロケット公園)

 当日は会場設営、ヨーヨー釣りやパターゲームなど子供向け出店の運営など、町会の皆さんと一緒にさせていただく。
 AGセンターを中心に、私たち池袋からのチーム、仙台の泉福音チャペルのチーム、新潟のグレイスチャペルのチーム、と教会関係から39名がこの小さな地域の祭りに参加したことになる。

被災地と教会の関係

 秋まつりが4年ぶりだから特別に大勢集まったというわけではない。横山先生がインタビューの中で述べておられるが、2011.3.11の東日本大震災でこの地が被災した直後から、仙台の泉福音チャペルの伊藤博牧師を中心に教会の皆さんが泥かきと炊き出しを開始し、中央聖書神学校の学生や、全国のアッセブリー教会が継続して支援を行なった。
 衣食住の問題が少しずつ緩和されて行くと、被災地支援の多くの団体は働きを終えるのだが、東松島市柳西地区に入ったこのチームは物理的な支援から心の支援へと少しずつ比重を変えていきつつ、支援センターとして留まり根を下ろす決断をしたのだ。

 こうしてキリスト教とはおおよそ無縁であったこの地域に「キリストさん」達が大切な存在として受け容れられ、支援センターはアメイジンググレイスセンターという「教会」として福音宣教と礼拝の場となった。
 そして地域の方が少しずつイエス・キリストを自らの救い主として信じるように導かれ、今に至るのである。
 このように地域にしっかりと根差したAGセンターには、地域のイベントが企画されるとまず地域の方々から声がかかり、そしてAGセンターから祈り導かれた教会、ミニストリーに声がかかるという流れが生まれた。
 だからコロナ禍以前から、地域のイベントには仙台はもとより、新潟、池袋、または他の地域からクリスチャン達がたくさん集められ、このような光景が繰り広げられているのだ。

ウチの孫と地域の子供たち
町会長さんとウチの孫
開会の挨拶をする伊藤博牧師
まつりの総合司会は横山あかり牧師
ゴスペルでイエス・キリストの希望を伝える

 この秋まつりは、AGセンターから徒歩15秒?の通称・ロケット公園で行われる。
 仮設ステージを作り、芝生に椅子・テーブルをたくさん設置し、テントを出して食べ物の出店、子供が楽しむゲームの店を作り、キッチンカーも出て、クレープや焼き鳥、焼きそば、かき氷、玉こんにゃくetc.を安価で食べ歩くことが出来る。 
 ステージではすぐ隣の石巻から高校の吹奏楽部、民謡、獅子舞、昭和フォークなどのプログラムが組まれ、それに混じって私たちHopen Gospel Singers,新潟グレイスチャペルのゴスペルフラのチームが福音をお届けする。
 このまつり全体の進行役はAGセンターの横山あかり牧師、そして町会長の挨拶や来賓挨拶に混じり、仙台・泉福音チャペルの伊藤博牧師も挨拶して下さいと毎回必ず依頼されている。
 横山牧師の話では、「AGセンター抜きのイベントは考えられない」とまで町会のお歴々から言われているとのこと。

自己満足ではないのか?との戦い

 東松島に伺うたびに、私の心によぎる一つの疑念がある。ここに来るのは単に自己満足ではないのか?ということだ。
 私たちが東松島の方々と触れ合うのは、1年のうちにたった1〜2日。しかも準備や片付けも限られた時間でしかお手伝い出来ていない。その中、3〜4曲ゴスペルを賛美してサーっと帰って行く。果たして本当に意味があるのだろうか、と考えてしまうのだ。

 5年くらい前こんなことがあった。
 会場設営のお手伝いをしていた時、町会のあるご婦人から声をかけられた。

「わざわざ東京からこんな遠くまで来てくれてねー。もう随分元通りになってますけど、私たちにとっては忘れられて行くことが辛いんですよ。だからこうやって来てくれることが本当にありがたいことなんですよ。」

 こちらから何かを話したわけではないのに、まるで私の疑念を見透かしたようにかけて下さったこの言葉を忘れることができない。
 そして決意した。
 無駄に思えたり、自己満足という自分との戦いになるかも知れないけど、体力が許す限りは仲間を募って毎年行こうと。

「また来てくれたよ。黄色の人たちが。」

 4年ぶりの秋まつりが雲一つない好天の中、とても盛り上がり、楽しく事故なく終了した。
 40人弱の私たち教会関係者がひと通り片付けを終えて、ロケット公園でシートを芝生に広げて打ち上げを始めていた町内会の皆さんに挨拶に行った。

打ち上げ中の町内会の皆さんと

 「いやぁ、今年もゴスペル凄かったね。黄色の人たちがまた来てくれたってみんな喜んでたんだよ。ほんと良かったよー!また来年も絶対来てねー!」

 どういう訳かいつも東松島で賛美する時、私たちの衣装は上が黄色、下が白なのだ。
 行く前に「衣装どうしよう?」と相談するのだが、ディレクターも私も衣装へのこだわりが殆どなく、何となく黄色&白になる。過去の写真を見ると結果論としていつもそうなのだ。
 だから東松島の皆さんは、東京からゴスペル歌いに来る人たちは「黄色の人たち」と刷り込まれているみたいなのだ(笑)
 そう言えば町会長はじめ役員の人たちも黄色のTシャツ。なぜ黄色のシャツにしたのか聞くのを忘れてしまったのが心残りだが、私たちの来訪を心から喜んで下さっている事はどうやら間違いなさそうだ。

 数えきれない涙が流された場所に、少しずつ、着実に、消えることのない希望が芽吹き、花を咲かせ、実を結んでいる。
 「黄色の人たち」もその景色の中にちょっとだけ写り込んでいるなら幸いである。


この記事が参加している募集

この経験に学べ

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?