見出し画像

のほほんとしたオッさんクリスチャンが神学校入学に導かれたきっかけ

 私は2011年に中央聖書神学校の通信科に入学し、2015年に卒業した。
 入学したのはクリスチャンになってなんと32年後ということになる。
 要するに自分では神学校に行くなど全く想定外の、超のほほんとしたクリスチャン生活を送っていた中年オヤジだったということだ。

 そんなオッさんが神学校に導かれるきっかけとなったのは、2003年から本格的に取り組むことになったゴスペルクワイアであった。 
 教会のミニストリーとしてのICGC(池袋センターゴスペルクワイア)から始まり、「池ゴス」こと池袋ゴスペルミュージックワークショップ、更には勤務先の部活でゴスペルクラブを立ち上げ、自分の教会をベースに8年。多くの人々がそれぞれのミニストリーを通じて聖書の言葉に触れ、その中から救われる(キリストを信じる)人もたくさん目の当たりにすることとなった。

ICGC
池ゴス

 それはまさにその人が暗闇から光へと転換していく様の証人となったことを意味する。 
 素晴らしい神様の恵みと救いの喜びに満たされる一方で、ミニストリーとは人の生死にかかわる責任重大な働きであることにある種の戦慄のようなものを覚えた私は、適当かつあやふやな聖書知識、自らの体験というおよそ一般化するには心もとない素材で福音を語るのは、あまりにも無責任だと思ったのだ。 

そんな折、全寮制の対面授業オンリーだった所属教団の中央聖書神学校にオンラインで受講出来る通信科が出来た。そのニュースをいち早くキャッチしたミニストリーの同労者の一人が、当時教会役員をしていた私に、
「神学校の通信科に願書出すから、役員としてのハンコが欲しい」
と言って来たのだ。
 驚きつつも快く書類に判を押したのだが、自分は何をもたもたしているのだ、先を越されてしまった、という人間的な焦りと、自らへのダメ出し。悔い改め。これはもう自分も行ってちゃんと学ぶしかないと決意した私は、同労者に遅れて1年後の2011年に入学を許されることとなったのである。

 日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団立のこの神学校は、私の恩師である佐布正義師が長年教鞭を取られ、校長も務められた学校である。私の入学時には校長職は勇退され北野耕一師に引き継がれていたが、日本のプロテスタント史の中では当初異端史する人々がいたり、聖霊体験を重視するところから反知性主義のレッテルを貼られることもあったペンテコステ派で唯一の教団立神学校であった。そのため教派神学校を持たないペンテコステ派教会からも、他教派からも学生を受け入れている。
 佐布師は、福音派超教派の学会である福音主義神学会の会長も務められるほどの組織神学の専門家であり、長年、中央福音教会を牧会しながら、伝道者として神学教育に注力されて来られた。

 そのような背景の神学校の神学生となり、フルタイムのサラリーマンをしながらの学びは、私にとって最高にエキサイティングで実り多いものであった。

教団の全国聖会での奉仕

 凝り固まった思い込みの聖書知識が砕かれ、組織神学、教義学、歴史神学、聖書地誌、ギリシャ語、ヘブル語、実践神学、説教学などなど全ての授業が楽しく、授業を視聴するのが楽しみで仕方なかった。
 年に一度、一週間は神学校に泊まり込みの対面授業もあり、本科の学生、他の通信科の学生との交流も、全国の教会の牧師である講師の先生方との交流も、得難いものであった。

派遣先での一コマ

 更には日曜日は教会実習もあり、卒業までに3教会(自分の教会も含めると4教会)での奉仕をさせていただいた。

こんな形で派遣先教会に迎えて頂き感激!

 聖公会が母体の立教で培われた信仰の土台、ペンテコステ派随一の神学者が牧師だった中央福音教会での信仰生活、日本独特のゴスペルミニストリーでの経験。
 これらの延長線上に導かれた神学校での学びが、今思うと神様のあまりにも豊かで大きな恵みであったのかがわかる。

 次回以降、いずれかに機会に、これらの経験を経た今の自分のやるべきミッションについて書いてみたいと思っている。

#神学校 #献身 #ゴスペル #教会 #聖書 #キリスト教 #半生記 #通信科 #社会人学生 #大人の学び #ゴスペルクワイア

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?