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紫陽花の殺人


「ねぇ、知ってる?アジサイの花言葉って『浮気』とか『移り気』なんだって」


私はこの女が嫌いだ。
だからどうしたと言うのだ。
彼女はさも得意げに、さして身にもならない豆知識を、私に目掛けて投げかけてくる。
人懐っこいと言えば聞こえはいいが、要は軽薄なのだ。顔の割に明る過ぎる髪色と、やたら面積の小さい服装などが、彼女と言う人間を物語っている。
そのくせ面持ちには陰が差している。男の加虐心をくすぐる、女の顔だ。

聞くところによるとこの女は、数多の男と浮名を流した魔性なのだと言う。
そんなもの、尻軽と何が違うのか。

私は努めて冷静に、唾を吐く内心の言葉を飲み込みながら、「へぇ」と至って平易に言った。
私がそんな事も知らないと思ったのだろうか、彼女は満足そうに微笑むと、アジサイには毒があるだとか、普通のアジサイは西洋アジサイの系統だから、あまり色が変化しないといった常識をくどくどくどくどと語り出した。

そもそも私は花言葉が嫌いだ。
別に人間に愛でられる為に生まれた訳では無い生き物に、勝手に意味を押し付けて縁起が良いだの悪いだのと言う事自体、間違っているとさえ思っている。
だいたい、それが花言葉では無くていぬ言葉や猫言葉だったらどうなのだ。
その手の手合いはどうせ、「黒猫は魔女の使い魔だ」という迷信で黒猫が虐待された史実を痛ましいと思うくせに、彼岸花は縁起が悪いと忌避するのだろう。
その愚かしさに無自覚なまま。

「私詳しいでしょ」
彼女の声は鈴のようだ。いいや錫のようだと言ってもいい。
ややハスキーな声質ゆえに、彼女の声にはノイズが混じる。酒かタバコか、あるいは両方か。
ともかく彼女の声は、しわがれたスズメのように喧しい。

「ねえ、この後どうする?」

知っている知識を披露し終えたのか、それとも私が聞いていない事に感づいて話題を変えようとしているのか、彼女は小首を傾げて私の顔を伺う。
男好きのする、蠱惑的な動きだ。

正直なところ飽きて来たのはこちらも同じであった。嫌気がさしていた。とも言えるだろうか。
彼女と男女の仲になってから日は浅い。それでも彼女の振る舞いに、私の心は限界を感じていた。
口を開けば「さびしい、さびしい」と繰り返し、身体を開けばけろりと笑う。
結局彼女と私の関係は、身体ありきの付き合いだったのだ。
恐らく彼女も、それは承知の上だろう。
そうでも無ければ、気の利いた事の一つも口にしない私に、身体を許すとは思えない。
もしかしたら、私自体何番目かの男なのかも知れないが。

しかし、だから殺したのかと聞かれたら、私は違うと言うだろう。


いくら何でもそんな理由で、人殺しなどという大罪を犯すほど短絡的では無い。
要は積み重ねなのだ。何もかも。

私は最後に彼女を抱き、そこから数日経ったある日の晩、彼女の頭をかち割った。
それは全く出し抜けに、暗い夜道の凶行だった。
彼女の家は繁華街を抜けた住宅街の奥。昼間こそ人で賑わうが、深夜ともなれば人通りは殆どない。
近くには公園や路地が多く、身を隠す場所には困らないし、近くを電車が走っているためタイミングを図れば万一悲鳴を上げられても露見する可能性はいくらか低い。
もっとも、その心配は殆ど無駄だった。あるいは自分に殺人の才能があったのかも知れないが、彼女はうめき声ひとつあげる事なく、その短い生涯を終えてしまったのだ。


きっとそれが運命なのだろう。


彼女を抱いたあの日、近所の空き地で手頃な鉄杭を見つけなければ、彼女はあと数日くらいは生きていけたのだ。
あるいは私という人間と出会った時点で、彼女の運命は決まっていたのかも知れない。
器量は良くとも要領は悪く、他人に助けを求めるくせに誰かの為には動けない。

そんな人間が、どうして愛されようと言うのか。

今思えば哀れな事と思わなくも無い。
人は環境によって作られるのだから、生まれた場所さえ違うなら、きっとまともな人生も送れたのだろう。
なまじ見た目がいいだけに、己が春を切り崩し、寄って縋って生き伸びる事だけが、彼女の出来る事なのだ。


だから警察が来た時も、悲しい気持ちになったりした。
例えばそれは、朝のニュースで見るような、幼子が犠牲となった事故に似ている。
痛かっただろう、無念だろう。
彼が送るはずだった七色の未来は暗黒の闇の中へ投げ捨てられたのだ。
例えばそれは、道端で息絶える子猫にも似てるだろう。
出会うべき人と出会っていれば、悠々自適の飼い猫生活が待っていたのかも知れないのに、醜い腐肉の塊となって、蛆に身体を啄まれるのはどれほど辛い事だろうか。


だから私は泣いたのだ。それは嘘も偽りもなく、真実の涙であった。


警察からしてみれば、私は容疑者筆頭だろう。
(何番目かは知らないが)彼女と男女の交際をしていたのだから、痴情の縺れと思われるのも無理からぬ事だ。
だから私はあえて、姑息なアリバイ工作をしなかった。
推理小説じゃあるまいし、そんな小細工をしたところで、結局ボロが出るだけだ。
そんな事をしなくとも、その犯行が自分だという証拠さえ無ければ罪に問われる事もない。仮に問われたとしても、証拠不十分で不起訴が相当だ。

完全犯罪とは疑われない事では無い。
罪に問われない事だ。

だから私は心置きなく涙を流せた。


「なるほど、よく分かりました。ご協力感謝します。」

目の前に立つ初老の男は、神妙な顔をしたまま満足そうな声を上げた。
のっぺらぼうより印象の薄い、掴みどころない顔をムズムズと動かして、分厚い右手で手帳を畳む。

「あの」

私の発言に、男の眉がくっと上がる。

「彼女のこと、聞かせてもらえませんか。こんな事、警察の方に言うのもおかしな話なんですが、僕と彼女は、正直なところ、褒められた関係ではありませんでした」

男は「はぁ」と気の抜けた返事をする。

「そういう後ろめたさもあったものですから、彼女の葬儀にも参加していません。それにお互い身の上話をするようなタイプでもありませんでしたから、彼女の事をよく知らないんですよ」

身体の事は知ってるくせに。
心の中で誰かか言う。

「なるほど」

そう言った男は眉間に皺を寄せて考え込むような素振りを見せる。まるで昔の名探偵のようだが、この見た目ではドラマ化は無理だろう。
彼は困ったような顔を見せたまま、軽々とした口調でこう話した。

「いちおうそういうのはですね、個人情報にも当たりますし、僕らにも守秘義務ってものがありますから、お教えする事は難しいんですが」

男は今一度「うーん」とわざとらしい声をあげて考え込む。いいや、考え込んだフリだろうか。
その答えは、予想通りの答えと共にハッキリした。

「あなたと犠牲者の女性がどんな間柄だったのかは分かりませんし、まして男女の話ですからね?そりゃあ言葉に出来ない繋がりみたいなのもあったのだろうと思います。ですから、あなたのその気持ちを汲んでですね?私の一存でお話させて頂きますので、どうかその、この事は」

男は諌めるような目をしながら、口の前で人差し指を立てる。
回りくどい割には話が早い。

「諸橋かおりさん、26歳。お生まれは地方だそうですが、物心着く前にはこちらに越して来たようですね。お仕事は接客業……いわゆるアレですね、ほら、ガールズバー。お勤め先はご存知で?」
「いいえ、夜間のアルバイトとしか」

これは真実だ。
さして意外でもなかったが、予想通り過ぎてかえって意外に感じる。

「そうですか……ちなみに、借金のことは?」
「借金?」
「えぇ、彼女自身のもの、と言うよりご実家の借金なんですがね。消費者金融から、まあそれなりに」

男は言い淀む。隠すべきところはそこではない気もするが、彼の話に耳を傾ける事にした。

「幼少期からずいぶん苦労なさってたみたいでして、そもそも地元を出て来たのも、半ば夜逃げのようだったと、ご親戚の方が」
「そうですか……」

私は沈痛な表情を作り、消え入るように呟いた。
まるでドラマだな。2時間ドラマのサスペンスで、擦り切れるほど使い込まれた設定のようだ。

「彼女の、最期は」

私の問いに、彼は酷く痛々しい顔をする。流石にこれは教えてくれないだろうか。

「それは……その、本当にお聞きになりますか?」

私の耳には「言ってもよろしいですか?」と聞こえる。

「構いません。形はどうあれ、恋人でしたから」

私の返答に彼はまたわざとらしく、今度は深い深いため息をつく。

「そうですか……では、もし、聞きたくなくなったら仰ってください」

まるで歯医者だ。そう思うと少しおかしくなるが、今笑うわけにはいかないだろう。

「事件が起きたのは先週水曜の午前1時頃。お仕事の帰り道ですね。同僚の方の話によると、その日は妙に機嫌がよかったらしく、客に乗せられるがままに酒をあおってしまい、かなりの酩酊状態だったらしいですね。なので、本来の勤務時間よりも前に帰されたそうです」

なるほど、私はてっきり仕事と偽って合コンにでも行っていたものと思っていたのだが、そういう事だったのか。

「彼女を最後に目撃した人の証言によりますと、だいぶ千鳥足だったらしいです。そして人通りの少ない路地に差し掛かったところで背後から、後頭部を殴打されたようです」

ふぅ、息継ぎをするように呼吸をしてから、彼は話を続ける。

「死因はいわゆる脳挫傷。打たれた後頭部もそうですが、倒れた際に縁石にも打ちつけてしまったようですから、それで。ま、俗に言う凶器、ですな、これは近くに捨てられていました」

「このくらいの」と言って彼は人差し指と親指で輪を作り、凶器の太さを私に示す。

「鉄の棒です」

そこから彼は犯人はまだ分かっていないこと、凶器からは犯人を割り出せないことを私に告げた。

「彼女が所持していたモノからも手がかりになりそうなモノもありませんでした。化粧ポーチ、薬の類、ハンカチ、ティッシュに、土」

「土?」

明らかに不自然なものが混じっている。私は取り繕うのも忘れて思わず口に出してしまった。

「ええ、いわゆるほら、培養土、園芸用の土ですな。バッグの他にコレと花束を持っていましたから、素面でも防御姿勢をとるのは難しかったと思います」

「花束」

私はまた、考え無しに復唱した。

「ん、ああ、何でも出勤途中に近所のおばあさんからもらったそうで、諸橋さんが事件の夜機嫌がよかったのも、この為みたいですね」

そう言って彼は、一枚の写真を取り出す。

「アジサイ、ですか」

私の声に、彼はうなづく。

「そのおばあさんが自分家に生えてるものを切って渡して来たらしいんです。いやあ、このお話を聞きに行った時は大変でしたよ。おばあさん、事件のことを聞いたらその場にへたり込んでしまって、仕事柄そういうのは慣れてるつもりなんですが、相手が年寄りだとこう、いたたまれなくて」

男の声が小鳥のさえずりのように遠い。

「『挿木』と言うんですが、若い枝を剪定して土に植えておくとそこから根が出るんで、増やすことが出来るんです。これは家内の受け売りなんですがね。どうやら諸橋さんはそれをしようとしてたみたいですねえ」

男はなおも語り続ける。
しかし、それは意味をなさない音に成り果てる。


「愛されて、いたんですなぁ」


その言葉は、ハッキリと耳に響いた。

「諸橋さんのご実家は花屋だそうで、幼い頃は彼女も店先によく顔を出していたらしいんです。それはそれは可愛かったと、近所でも評判だったそうです。夜逃げ同然に上京した事もあって、ご両親の事を悪く言うご親戚も多かったみたいですが、彼女についてだけは、皆さん口を揃えて褒めちぎってましたよ。素直で優しくて、お日様みたいな子だって」

「まあこちらに越して来てからはご両親共に別なお仕事に就いて、諸橋さんも高校の頃からアルバイトをされていたようですし、懐かしくなったのかも知れませんなぁ」

「その近所のおばあさんと顔見知りになったのも、そのお宅の庭を覗いていた事がキッカケだそうで。おばあさんも『花を見る目が子供みたいで、可愛らしいお嬢さんでした』なんて仰ってましたよ」

彼の話は止まらない。
まるで締め忘れた蛇口のように言葉がボロボロ溢れ出してくる。
私の意識はただ、アスファルトに打ち捨てられたアジサイの写真に集中していた。

普通、アジサイの花びらとして認識されている部分は本来は萼(がく)と呼ばれている部位であり、実際の花は真ん中の小さな部分である。
アジサイは受粉に虫の仲介を必要とする虫媒花であるから、このような形に進化したと言われているのだそうだ。
そういった花の事を『装飾花』と言うらしい。
小さな花の生存戦略、とでも言うのだろうか。

彼女もまた、もしかしたら。

「おっと、すいません、アナタのお気持ちも考えずにペラペラと。まぁその、気を確かに、何て気休めにも励ましにもなりませんが、あまり思い詰めないようにしてください。何か思い出した事があれば、どんな小さな事でもご連絡頂けますか。それが諸橋さんへの供養にもなります」


「刑事さん」


「はい?」


私は努めて冷静に、至って平易な声色でひとつの事実を彼に話した。

「私が犯人です」

私は咲き終えたアジサイがそうするように、首を静かに、真下に垂らした。

夏の足音が、確かに聞こえた。


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