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縦の比較、横の比較

物事には100%良いものもなければ、
100%悪いものもない。

と言うのが、僕の考えだ。

ネットやSNSは誰でも自分の考えを発表することができる。
この文章だって、ネットがあるから出せるわけだ。

だけど、同時にネットやSNSがあることで不幸になってしまった人も大勢いる。

その多くは他人との関係だ。

けしからんとか、不謹慎とか、思想やら信条が違うとかで、

とにかく、許せないと思う人が毎日のように目に入るようになってしまった。

たぶん、人間には対人の限界があるのだ。

これまでの世界では、殆どの人は人生の中で関わる人と言えば、家族や友人、学校や職場、ご近所さん等々、極めて身近な範囲だった。

ネットやSNSの力で、その範囲が一気に世界中になってしまった。

本来だったら、一生関わることの無かった人たちの人生まで見えるようになってしまった。

そりゃ、感情がいろいろと揺さぶられても仕方ないとは思う。

今まで自分が信じてきたものが、顔も名前も知らない誰かから、否定されたら心中穏やかにはいられないと思う。

だけど、もうこの世界にあって、しかも生活に深く根付いている技術にアレコレ文句を言っても、無くなることはないだろう。

だったら、やるべきことはこちらがどういう心でそれを捉えるかである。

これからどんな風に技術が進化、変化していくかは分からない。
だけど、どんな時代になろうと、心の在り方は自分で決めることができる。

結局は他人と比べるときに、比較していることが問題なのだ。
それも「縦の比較」である。

他人に対して怒りや不満を感じるのは、いろいろ理由はあるだろうが、
その中に間違いなくあるだろうことは、
自分と他人を上下で比較していることだ。

自分の思想や信条が、他人に否定される
(正確には否定されたように感じた、かもしれない)

その際、自分が下になったような気がして、感情が揺さぶられるわけだ。

だから、自分と他人を比較しないのが一番だが、するとしたら「横の比較」をしたほうがいい。

縦の比較だと、どっちが上でどっちが下の争いになるが、

横の比較だと、立っている場所は同じ高さなので、

ああ、そういう人もいるのね~

で、終わらせることができる。

これも心の使い方の一つだ。
自分の心が感じることは、当たり前で当然だと思ってはいけない。
ちゃんと使いこなさなければ、
ずっとアクセル全開の車のように、いつか事故を起こすだろう。

心は自分しか責任を持てない道具なのだ。

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