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空想お散歩紀行 キャンバスバトル

その日、会場は満員御礼。主に若者を中心にイベント開始前から異様な熱気が既に会場中を包み込もうとしていた。
観客たちの前にあるステージは不思議と会場の熱気から隔絶されたような静けさを醸し出していた。
飾り気のない自然な色のライトに照らされるステージで目を引くのは、そこにある白い壁だった。
高さ3メートルほど、横幅5メートルほどのそれなりの大きさの壁。
それが今宵の戦いのフィールドであった。

古代、まだ法が未熟だった時代。
暴力は罪ではなかった。生き延びるために邪魔になるような存在は力で排除しても特に問題は無かった。
だが、現代は他人に力を行使すれば罰せられる。
しかし人の中にある暴力という本能は無くなることはない。だから、ルールの中で暴力が許されるようになった。
格闘技やコンタクトスポーツがそれである。
そして時代は進み、ネット全盛の時代。
SNS上では毎日のように言葉による応酬が繰り広げられている。当初はそれこそがネットの醍醐味とされていたが、時を経るにつれ、それは暴力と同等とみなされ忌避されていった。
しかし、他人の悪口を言いたいというのも人の本能の一つだ。
したがって、悪口もルールの中で行われるようになる。MCバトルなどがその代表だ。
こうして、他人を否定する、ディスるという行為はルール化された中での娯楽となっていった。

そして今行われようとしているのも、その一つ。
ステージ上にある白い壁、これはキャンバスである。
キャンバスバトル。絵を使って自分を誇示し、相手をディスる、今注目を浴びているアート系バトルの一つだ。
普通のキャンバスバトルは、一般的なサイズのキャンバスを使い行われる。
対戦者同士が一つのキャンバスを交互に使い、自分のターンが来たら、その前に相手が描いた絵の上に自分の絵を描いていく。
相手の絵を潰すように描いてもよし。相手の絵を利用して自分の絵をより魅せてもよし。
使う道具も、絵具からペンキ、筆から自らの手指までまさに自由。
誰が一番キャンバスを支配したか、それが審査基準である。
バトルが終わった後、キャンバスに描かれた絵は一つの作品としてその場でオークションに掛けられ、会場やネットで観ていた観客が競り落とす。キャンバスバトルの熱が続いているのか、時にとんでもない値段が飛び出すこともある。これも一つのバトルとしておもしろがられていた。

今宵、一つのてっぺんが決まろうとしていた。
いくつものキャンバスバトルで名を挙げてきたトップランカーによるバトルが始まろうとしていた。
一人目は、絵具と何本もの筆を自在に使いこなす正統派のアーティスト。
二人目は、ラッカースプレーを使い、路上で腕を磨いてきた男。
三人目は、女性でありながら水墨画という、黒一色でこの世界を染め上げてきた天才。
この3名が、白い壁に自分の世界を描き、相手の世界を否定する。

司会がステージ上に現れると同時に会場から一斉に歓声が上がった。
これから、歴史の片隅に残る、絵で全てを語る時間が幕を開けようとしていた。

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https://note.com/tale_laboratory/m/mc460187eedb5

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