世界の中心にいるのは常に自分
世界は誰を中心に廻っているか。
それは全ての人にとって、その人を中心にして世界は廻っている。
なぜなら世界は一つではないからだ。
世界とは、その人自身が心の中で作り上げたものが形となったものをそう呼んでいるからだ。
ある人が犬を怖いと思っていたら、その人にとって世界とは、犬が恐怖をまき散らすものであるし、
逆に犬を可愛いと思っている人にとっては、世界とは犬が愛らしさを振りまくものである。
世界に怖いものがあって、それが自分に脅威をもたらしているのではない。
まずは自分の恐怖が先にあって、それから世界が出来上がるのだ。
恐怖だけではない。楽しさやおもしろさも同様だ。
身近に苦手な人がいる場合、
どうしても、その相手を原因にしてしまいそうになるが、
これもやはり、自分の苦手と思う心が、そうさせているのだ。
だから、いきなり好きになるのは難しいかもしれないが、
「苦手な人」から「そういう人もいる」
くらいに思えるようになれば、その相手は実際に「そういう人」レベルの存在になるのだ。
それが難しいと思うかもしれないが、
それもまた自分の思考なのだ。
難しいと思うから、難しい世界が周りに出来上がっていく。
そこを乗り越えるには、努力しかないのかもしれないが、
世界は自分の心一つでいかようにも変わると信念ができれば、生きるということに楽しみが湧かないだろうか。
ここでポイントなのは「楽しさ」だと思う。
「正しさ」で自分の世界を作ろうとすると、たぶんギスギスしてくるだろう。
せっかくここに生まれ、心の置き所一つで世界が作れるのだから、
楽しい世界の中心であろうではないか。
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